第十話 鎌倉攻略
新羽小次郎貞義は上野国において関東諸国の御家人に都の六波羅が壊滅したことを告げ、ともに鎌倉政権を倒そうと檄を飛ばした。しかし、約束の場所、生品明神に集まったのは一族の脇牙義助、大立氏、世良氏、などわずか百五十騎だった。小次郎は頭にきて、弟の脇牙義助を蹴りつけた。
「何やってんだよ。こんな人数じゃ、鎌倉なんか討てないだろ」
「兄さん。努力はしました。でも兄さんの評判がすこぶる悪い。誰も兄さんの下では働きたくないって言っています」
「なんだよ。俺が悪いっていうのか?」
「はっきり言ってしまえば」
「クソ、その素っ首斬ってやる」
小次郎はキレて、弟脇牙義助を叩き斬ろうとした。それを家宰の香二郎諸尚が抑える。
「殿、落ち着きください」
「これが落ち着いていられるか、鎌倉を攻められないんだぞ。又太郎の奴に負けちまうんだぞ」
「その、又太郎様をご利用ください」
「なに?」
「今、我が陣中には又太郎様ご嫡子、万寿丸様がいらっしゃいます。それを全面的に、宣伝するのです」
「あんな、年端もいかないガキを宣伝してどうするんだ。意味ないだろ」
「いいえ、大いに、意味はございます」
「ならば好きにすれば良い」
小次郎はふてくされて馬上で眠ってしまった。
『足柄万寿丸様、立つ』
この一報は板東を震撼させた。その父、又太郎吉氏は都の六波羅探題を滅亡に追い込み、後太鼓廃帝の帰還を待っている。やがては武家の棟梁となって御家人を指揮するかもしれない。そのご嫡子が立ったのだ。各地の御家人は争うように、その傘下に入ることを望んだ。百五十騎だった勢力が十万騎になった。万寿丸は、
「大儀である。後のことは新羽殿に任せてある」
と馬鹿の一つ覚えで言ったので、御家人の小次郎を見る目が変わった。それまで腐っていた小次郎も、一気にやる気を出す。
「よし、駒は揃った、にっくき宝条、鎌倉を倒す!」
「おー!」
気勢が上がった。
小次郎軍(実は万寿丸軍)は手始めに賄賂内管領、佐賀鷹助の一族、佐賀孫四郎兵衛の守る、上野守護所を壊滅させた。体制を整え、利根川を超えると、越後、甲斐、信濃の新羽一族や里美、田の中、大井、羽鳥らの氏族が合流し、大軍に膨れ上がった。
小次郎軍は鎌倉街道を進み、入間川を渡り小手指原に達し、桜田淳国を総大将、佐賀鷹重、佐賀孫四郎左衛門、蟹二郎左衛門を副将とする鎌倉軍と衝突する。
両者は遭遇戦の形で合戦に及び、布陣の余裕さえなかった。戦闘は数十回を越える激しい戦いとなった。兵数は鎌倉軍の方が勝っていたが、以前より鎌倉へ不満を募らせていた河添氏ら武蔵の御家人が鎌倉方から離反、小次郎軍は次第に有利となっていった。日没までに小次郎軍は三百、鎌倉軍は五百ほどの戦死者を出し、両軍共に消耗し、小次郎は入間川まで、鎌倉軍は久米川まで一旦撤退して軍勢を立て直した。
翌日朝、小次郎の軍勢が久米川に布陣する鎌倉軍に奇襲を仕掛けたことで再び戦闘が発生した。桜田淳国は事前に奇襲に対する備えを講じており、奇襲は失敗に終わった。鎌倉軍は鶴翼の陣を敷いて小次郎を挟みこむ戦法を採ったが、この戦法を小次郎は見抜き、ひっかかったような振りを見せ、陣形を拡散させたため今度は手薄になった淳国の本陣を狙い打ちにした。これにより佐賀両軍、蟹軍は撃破され、桜田淳国は軍勢を纏め、分倍河原まで退却した。
退却した鎌倉軍は再び分倍河原に布陣し、小次郎軍と決戦を開始ようとした。先日の敗北により士気が下がっていた鎌倉軍であったが、そこに宝条安家を大将とする新手の軍勢数万騎が加わり、士気が高まった。
翌未明、小次郎は突撃を敢行し、鎌倉軍と激突する。だが、増援を得て持ち直した鎌倉軍に迎撃され、堀兼まで敗走した。本陣が崩れかかる程の危機に瀕し、小次郎は自ら手勢を率いて鎌倉軍の横腹を突いて血路を開き撤退した。
敗走した小次郎は、退却も検討していた。しかし、堀兼に敗走した日の晩、二浦氏一族の大和田義勝が相模国の氏族を統率し、軍勢数千騎で小次郎に加勢してきた。大和田氏は宝条氏と親しい氏族であったが、宝条氏に見切りをつけて小次郎に味方したのだ。
翌日早朝、義勝を先鋒として小次郎は分倍河原に押し寄せ、鎌倉軍に奇襲を仕掛け大勝し、宝条安家以下は敗走した。重要な戦に小次郎は勝った。
「よし、あとは鎌倉本陣に向かってまっしぐらだ。狙うは得宗、宝条花時の首級!」
多摩川を渡った小次郎軍は幕府の関所のある霞ノ浦にて鎌倉軍の宝条安家と再び決戦を行った。結果は小次郎軍の大勝利である。
鎌倉街道を進軍してくる小次郎軍に対し、鎌倉方は、各切り通しの防備を固め、金沢八計を化粧坂切り通しに、大仏晴時を極楽寺坂切通しに、宝条森時を洲崎切通しに配備した。援軍もいつでも動かせるように用意していた。
関戸に一日逗留し、態勢を立て直した小次郎は、小次郎軍が化粧坂、大立宗氏と井田行儀を極楽寺坂切通しに、堀越貞満、大山守之の部隊が巨福呂坂切通しから、鎌倉を総攻撃する手はずを整えた。険しい要害での戦闘が続き小次郎方は大立宗氏が戦死、鎌倉方は宝条森時が自刃した。
切り通しの防御が鉄壁と悟った小次郎は稲村ヶ崎に駆けつけた。
「俺は神仏は信じないが、今はこれにかける」
と黄金作りの太刀を海に投げた。
「神仏よ、波を遠ざけてくれ!」
すると海に水が遠くに離れていく。
「我が事なれり、突入だ!」
小次郎は稲村ヶ崎に突っ込んだ。
稲村ヶ崎に飛び込んだ、小次郎軍は由比ヶ浜で鎌倉軍を撃破。最期を悟った宝条花時は一族もろとも東勝寺で潔く自害して果てた。花時は本当に無能だったのだろうか? それは歴史の謎である。
それはともかく、新羽小次郎は、足利又太郎との約束を守り、鎌倉宝条政権を滅亡に追いやったのである。
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