第七話 隠岐脱出

 縄二郎長智は館の奥でしきりと足の裏をほぐしながら一人考え込んでいた。息子の太郎義智と小太郎智光が、隠岐に配流となった廃帝をお救いしようと躍起になって人を集めている。だが、縄二郎長智はそれをあえて止めさせないでいた。家は海運業で巨万の富を得ている。食うに困ることはない。贅沢だって出来る。何の不足があるのか。しかし、縄二郎長智にも心の奥底に熾火のように燃えるものがある。縄氏は石神源氏の末裔を自称している。縄二郎長智は今でこそ四十を過ぎたが、若い時は船に乗り、襲い掛かる海賊から自船を守るため、弓矢を使ったこともあるし、敵を何人も殺している。軟弱な商人とは訳が違う。銭が貯まれば、名誉が欲しくなる。廃帝をお救いし、この伯耆でまさに蜂起すれば、第一の名誉は縄二郎長智だ。しかし敗れれば、何もかも失い、死ぬ。冒険するには多少、年を取り過ぎた。心がピシッと一つに絞れる何かが欲しい。足の裏をほぐしながら縄二郎長智の長考は続く。そんな時、太郎と小太郎が戻ってきた。

「入れ」

 縄二郎長智は低い声で言った。足裏ほぐしは止めない。もう十分にほぐれているのだが心が落ち着かずに惰性で続けている。やがて二人が部屋に入ってきた。

「父上、有体に申し上げます。やはり廃帝をお救いいたしましょう」

 太郎義智が切り出した。

「うむ、それはどうかのう」

 惚ける縄二郎長智。

「すでに近隣の御家人の同意は得ました。皆、宝条に不満を持っています。後は父上のお力添えがあれば、事はなります」

 太郎義智が説得する。今ここで決めなければ、計画は頓挫するだろう。決死の覚悟である。

「さて、隠岐からお救いしても、どこで旗揚げをいたすつもりだ?」

 縄二郎長智は老獪だ。簡単には本心を見せない。

「ここより見える、船上山。これこそ要害。鎌倉勢を迎え撃つにはふさわしいではありませんか」

 小太郎智光が言った。

「船上山な」

 縄二郎長智はほぐしていた足裏を扇子でバチッと叩いた。

「よし、ならば見事廃帝を救い出して来い。わしは船上山を要塞化する。同心する御家人は小鶴に甘粕だな。奴らにも船上山に来るように言え。ぬかるなよ」

 縄二郎長智は立ち上がった。商人とはいえ、その体には石神源氏の血が流れている。

「行け!」

 二人の息子に気合を入れると、自分も納屋から先祖重代の甲冑を持ってこさせた。廃帝をお助けし、男を上げる。縄二郎長智はその瞬間、商人から武士に変貌した。


 縄太郎義智と小太郎智光の廃帝後太鼓救出決行の予定日、あいにく海上は大時化であった。

「兄上、この天候では隠岐に行けぬ」

 小太郎智光は歯噛みした。しかし、太郎義智は、

「いや、敢えて行く。敵はこの天候で気が緩み、警護が散漫になるであろう。座礁、転覆したならそれまで。運がなかったということだ」

と強行を宣言した。そこへ、

「太郎様、小太郎様。ご面会の方がお見えです」

と配下の者が告げに来た。

「この大事な時に何者だ」

 両者が訝しがると、大柄な男と、小兵の男が現れた。

「縄のご兄弟様、私はさる御家人の家臣にて、大斧銛太郎と申します」

 大男が名乗った。

「私は備前の住人、小鳥三郎高徳。我ら二人、ご兄弟の大事を存じております。どうぞ、お供にお加えください。銛太郎、元は海賊、私は身軽のものでございます。きっとお役に立ちます」

 小鳥三郎高徳が申し立てる。

「その方ら、何故我らの秘事を知っている?」

 太郎義智はいきり立った。剣に手を掛ける。

「お疑いごもっとも。しかし、お聞きください。私、銛太郎は板東のある御家人より、廃帝をお救いし、鎌倉政権を打倒する旗頭にせよとの密命を受けております」

「私、小鳥三郎も廃帝こそ、宝条独裁のこの国を改められるお方と私淑し、その救出の時を伺っておりました。どうぞ、御信用くだされ」

 二人の熱い言葉に、縄兄弟の心は動いた。

「左様か。ならば、我々はご両人を信じる。この悪天候の中だが、船を出し、廃帝ご一行のお身柄を頂戴する。警護は堅固だ。ご両人、腕に覚えは?」

 太郎義智は尋ねた。

「あり申す」

 銛太郎と小鳥三郎は同時に答えた。

「よし、共に参ろう」

 太郎義智と小太郎智光が両手を差し出す。四人は固く握手し、船に乗り込んだ。風雨が激しい。果たして、大事は成せるのか。


 隠岐の島の御所には後太鼓廃帝と中宮、喜子様とそれに仕える古野絹子、枯草忠顕が流されていた。周りは鎌倉方の兵卒に厳重に守られているように見える。しかし、内情は違っていた。地元、隠岐の者もいるが、多くは鎌倉から遠い隠岐の島に派遣されてきた兵卒たちであり彼らは妻を思い、子を思い、寂しい思いをしていた。当然士気も劣る。それに今日はこの暴風雨だ。早く交代の兵卒が来ないか。そればかり考えていた。


 その頃、伯耆の縄湊を出た、後太鼓廃帝救出部隊は予想以上の大風に苦しんでいた。

「漕ぎ手以外は帆柱に縄で体を巻きつけろ。そうしないと、海に転落してしまうぞ」

 太郎義智が叫ぶ。しかし、自分は船首に立ち、縄も使わず、前方を見つめていた。さすが、縄家の嫡子である。そこへ銛太郎が近寄ってくる。

「予想以上の時化ですな」

「銛太郎殿、危ないですぞ。身を巻かれよ」

「なに、海賊時代にはこれ以上の大風に襲われたこともございます。なんのこれしき」

「これは頼もしい。ところで三郎殿は」

「彼は海知らず。船底でへばっております」

「それは、ちと情けない」

「しかし、陸に上がれば、文字どおり、鳥の如く飛び回り、お役に立つでしょう。ところで、隠岐の島は」

「もうすぐだ。あと少しの辛抱」

 そう言うと太郎義智はまた前方を睨みつけた。


 その深夜、縄氏の船団三隻は隠岐の島の南東にたどり着いた。昨夜のうちに小舟で島に到着し、状況を調べていた、縄氏の小者が報告にやって来る。

「茂助、廃帝はどこにいなさる」

 小太郎智光が問う。

「はい、ここから北東に二里行ったところに御所がございます。なれど、警戒は厳重。激しい戦いが予想されます」

「廃帝にはつなぎをつけ賜ったのだろうな」

 太郎義智が聞く。

「はい。天候を考え、近日中にお助けに参ると申し上げました」

「それでいい」

 そこへ、ふらふらになった小鳥三郎が現れた。

「小鳥殿、大丈夫か」

 銛太郎が尋ねる。

「平気、平気でござる。それにしても揺れぬ地面はありがたいものよ」

「ははは」

 皆が笑った。総勢五十名。船知らずは三郎だけであった。

「小鳥殿にはこれから働いて貰えばいい。雲行きを見るに帰りは海も穏やかであろう。せいぜい安心して働きませ」

 太郎義智が言うと、軍議に入った。

「ここはやはり、夜陰の内に攻め入ろう」

 小太郎智光が言う。

「ならば私に先鋒をお申し付けください」

 銛太郎が名乗り出た。

「いや、縄家の私が」

 小太郎智光も手を挙げる。

「うん、ここは戦慣れした銛太郎殿にお任せしよう。小太郎は後学の為、銛太郎殿の後ろに付け」

「承知」

「三郎殿は身軽さを生かしていち早く、御所に入り、廃帝方をお起こし申し上げ、我らの到着をお告げしてくれ」

「はい」

「では、半刻休憩の後、御所に攻め入るぞ」

 太郎義智は見事に采配を振った。


 一刻後。

 御所を警備している鎌倉勢は大風に震えながら、眠気と戦っていた。風が強くて篝火が炊けない。ヒューヒューと吹き荒れる風の音が恐怖を感じさせる。

「やってらんねえな」

 一人が呟いた。その時、

「そりゃあ」

突然、大男が飛び出してきた。

「なんだあ」

 慌てる兵卒。

「たあっ」

 銛の持ち手側で鳩尾を突かれた兵卒は音もなく、崩れ落ちた。

「それ、門を壊せ」

 銛太郎が命ずると、縄家の家来衆が大鎚で門を叩き出した。

『ドーン、ドーン』

 その音に驚いた鎌倉方の兵卒達が急いでかけてくる。その中には大将格もいるようだ。

「おのれ、慮外者、どこの者だ」

 大将格が吠える。

「我こそは前の征夷大将軍平明明が家臣大斧大吉の玄孫、大斧銛太郎大成なり。腕に自信のある者は掛かって来い。先祖伝来のこの大斧で首級をはね、自慢の長銛で心の臓をぶち抜いてくれるわ」

 銛太郎の血が滾った。兵卒達は恐れ慄き、近寄ることすら出来ない。それを見ていた鎌倉方の大将格が恐る恐る、名乗りを上げる。

「わ、我こそは宝条一門の大仏権之佐正直である。う、うどの大木め、我が名刀、清丸でお前の首級をと、取ってやる」

「ははは、良く出来ました。それっ」

 銛太郎は正直を嘲笑うと、大斧を一閃させた。哀れ、大仏正直の首級は遥か彼方に吹っ飛んでしまった。

「それ、銛太郎殿に続け!」

 小太郎智光が号令を掛け、縄軍が一斉に門に突っ込む。大将の悲惨な死を見た鎌倉勢は総崩れになった。


 同じ頃、御所の天井に入り込んでいた、小鳥三郎高徳は、その下におわします、廃帝後太鼓に声を掛けていた。

「後太鼓院様、後太鼓院様。頭上よりご無礼いたします。お目覚め下さい。お目覚め下さい」

「うぬ、外でのこの騒ぎじゃ。起きておるぞ」

 廃院後太鼓は仰った。

「恐れ入ります。私、備前の住人、小鳥三郎高徳と申す者です。ただいま、伯耆の縄一族の者どもが院をお助けに参上いたしました。間もなく、鎌倉勢を討ち崩し、お部屋に参上すると思います。どうぞ中宮様方とともに脱出のご準備をなさってくだされ」

「そうか、大儀である。中宮どもも目覚めておよう。迎えが来るまで心静かに待とう。ところで、其方の名は小鳥三郎と申したな」

「はい」

「心づくしの手紙をくれたのは其方であろう」

「は、はい」

「朕はあの手紙で大いに心強く感じたぞ。礼を言う」

「ははあ」

 小鳥三郎は廃院後太鼓のお言葉に感涙した。そして、どんなことがあっても、この方を帝位にお戻しすると固く心に誓った。そこに、

「後太鼓院様はおられますか」

 との声とともに太郎義智、小太郎智光、銛太郎が頭を低くして廊下にやって来た。

「喜子、戸を開けよ」

 後太鼓院が言った。

「はい」

 中宮、喜子と枯草忠顕が戸を開く。廊下には、三人と、小鳥三郎が平伏していた。

「朕が後太鼓じゃ。皆大儀であった。直答を許すゆえ、名を上げよ」

 後太鼓院が優しく語りかけた。

「伯耆の縄二郎長智が嫡子、縄太郎義智でございます。鎌倉勢は我らで全て討ち取りました。この上は心穏やかに本土にご帰還くださいませ。帰りの警護は私が命に代えてお守りいたします」

「うぬ、頼むぞ」

「長智が次男、縄小太郎智光でございます」

「大儀であった」

「大斧銛太郎大成にございます」

「大斧? どこかで聞いたことのある苗字だな。どこの国のものだ?」

「祖先は相模の住人でございました。その後、かつての征夷大将軍、平明明に従い、大海に出で、四海の警護をしておりました。今は相模の足柄吉氏、武蔵の新羽貞義両君の元で鎌倉政権打倒の秘義の仕事をしております」

「ほう、あの伝説の明明大将軍の配下の子孫か。それにしても足柄、新羽両家に支えているとは面妖じゃの」

「はっ、両家とも明明大将軍の子孫。それに、吉氏、貞義両者甲乙付けかねる器量ゆえ、どちらか一方に決めかねているところでございます」

「ははは、面白い。その両名が鎌倉討伐に助力してくれると言うのか」

「はい、左様でございます」

「それは心強い」

 後太鼓院は大変お喜びになった。

「さて後太鼓院様。間もなく夜が明けまする。幸い、先ほどまでの大風も止み、海は穏やかになっております。どうぞご出立の準備を」

 義智が言上した。

「そうか、本来なら酒でも振舞ってねぎらうところだが、ここにはない。早速出立するか」

「はい、父が伯耆国、船上山に要塞を築いてお待ち申し上げております。その地にて早速のお旗揚げを」

「うぬ、何から何まで世話になる。帝位に戻った暁には、十分に報いよう」

 こうして一度、隠岐に流された廃院後太鼓は、再び本土の土を踏むことになった。

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