第五話 帝の謀反

 場所は変わって京の都。

 新帝となる、義治親王は三十一歳。本格寺統の宇多田帝の第二皇子であらせられる。寿命院統の桃園帝の即位により皇太子に立てられ、譲位により即位された。当時の帝は幕府主導で本格寺統と寿命院統が交互に擁立されることになっており就任直後の新帝(諡号、後太鼓帝)は自分の直系に帝位を継がせられないことに非常な不満をお抱きになっていた。

「なぜ、王家のことなのに、鎌倉の意見に従わねばならぬのか」

 帝は激しい気性であられた。なので、即位してすぐに鎌倉政権打倒を秘密の目標とされた。これは側近である吉田照房、北畠新房、日野佐清などごく少数の者たちだけに伝えられていた。しかし、しばらくの間は上皇となった桃園院が院政を引かれたので、帝は表立った動きをすることがお出来にならなかった。その思い、裾を噛むほどであったと、後に北畠新房は『神狼掃討記』の中に著している。

 三年後、桃園院が院政を止めると、帝は関白、太政大臣を廃して早速親政に入られた。その理想は摂政関白を置かず、三十四年に渡り親政を行った、太鼓帝にあり、「朕の諡号は後太鼓とせよ」と早いうちから表明しておられた。帝の諡号はその薨去の後に付けられるのが通例であるので、例外中の例外である。親政を開始した後太鼓帝は早速、最大の不満の元であった鎌倉打倒計画を密かにお立てになったが、なぜかすぐに六波羅探題の知るところとなり、帝側近の日野佐清が処分された。しかし後太鼓帝はうまく釈明され、処分されることはなかった。ことは京内で収められ、誰かが蜂起することもなかった。

 しかし、しぶとい後太鼓帝はその後も鎌倉打倒計画を止められず、近習の門徒たちに、関東呪詛の祈祷を行わせたりしていた。しかし、計画を側近の吉田照房に関東方へ密告され、やむなく三種の神器を持って笠置山に籠り挙兵されるも、またしても同調するものは少なく、大軍で攻めた鎌倉軍に完敗した。ちなみにこの鎌倉軍には足柄又太郎吉氏も出兵している。果たして、又太郎はどんな面持ちであっただろうか。鷹揚なその表情からは何も伝わってこない。一方の新羽小次郎は鎌倉守備の一員に命じられている。こちらの心中は察して余りある。


 敗色濃厚になったある時、御太鼓帝は御座所で、うつらうつらと夢見つつになられた。その夢の中で、御太鼓帝は爽やかな草原に立つ、巨木をご覧になった。その木の見事さに思わず近寄られる帝、木陰は涼しく、穏やかな風が吹く。帝は心安らかな気持ちになられた。「朕はこのように心穏やかな政がしたい」と思われる帝。すると、突然、この木の精霊が現れ、「帝がそれをお望みなら、我が子を使わし、その先鋒といたしましょう」とて葉の中から一つの木の実を落とされた。それを帝が拾いたまうと、巨木は消え、帝は御目覚めになった。その手にはしっかりと木の実が握られていた。この奇瑞に接し、帝は北畠新房をお呼びになり、「これは何の木の実か」とお尋ねになった。博学多才の新房は、「これは樫の木の実でございます」と言上した。「樫の木。誰かこの近隣に樫の名が付くものはおらぬか」と帝が訪ねたまうと、日野君朝というものが「河内国に樫木兵衛尉正成と名乗るものがおります」とお教えした。「それじゃ、そのものを呼べ」と帝はお言いになり。早速、樫木兵衛尉正成が召し出された。御太鼓帝は、

「兵衛尉、お主は神の子じゃ」

 とおっしゃり、

「朕を助けてくれ」

とお頼みになった。正成は衣服を正し、

「我、命を賭して主上にお仕えいたします」

 と答え、その本拠地である、河内赤坂に戻って行った。


「参っちゃったなあ」

 赤坂へ戻る道すがら、樫木兵衛尉正成は弟の樫木仁二郎正季にぼやいた。

「なんでですか、帝にご信頼を得て、これほどの名誉はござるまい」

 正季は言った。

「馬鹿め、我らはせいぜい百の兵。それが鎌倉方の大勢に勝てると思うか」

「はあ」

「これは上手く負ける手を考えねばならぬ」

 馬上で正成は考え込んだ。

 半月後、樫木は赤坂城にて立った。それを聞いて、鎌倉方は「樫木って誰?」と訝しがった。それだけ樫木は無名の士であった。執権宝条花時は「兵の千でも送ればいいであろう」として、一門の宝条風時を河内に送った。


「この戦、真っ当にやっては勝てぬ」

 赤坂の山城で一門、家臣、それに近隣の村人を集めて言った。

「いや、勝つことは不可能。どうやって犠牲を少なく、又、立ち直れるようにすることが肝心じゃ」

 一同がざわつく。

「女どもは我が家の旗をたくさん作ってくれ。男衆はこれも大量の人形を作ってくれ。敵に我が勢に威のあるよう見せつける」

「はあ」

「そしてな、柵を作り、その内に大量の大石を入れる。敵が上ってきたらそれで突き落としてやるのじゃ」

「なるほど」

「それに、煮え湯を大量に炊くための大釜を作らねばならぬ」

「敵にひっかけてやるのですな」

「五郎、その通りじゃ」

 正成は一門の和良五郎を褒めた。

「任二郎、五郎、それに新宮寺三郎ら一門は森に隠れ、後退してきた敵を攻めよ。そうすれば敵は怯む。だが、それにも限界がある。ある程度の成果が出たら、わしは城を燃やして皆で逃げる。村の衆はとばっちりを受けぬよう、山や森に隠れておれ」

「おう」

 宝条風時の軍はその十日後に来た。

「なんじゃ、この粗末な山城は。一気に攻め入り押し崩せ」

「しかし、威勢のある旗の数。相当の人数がいるのでは」

 副将の宝条晴時が訝しがる。

「何を恐れる。敵は田舎者の土豪ぞ。攻めよ、攻めよ」

「はっ」

 風時軍は総攻撃に出た。一の柵を崩し、二の柵に迫る。すると、

「それっ」

正成が名を下し、兵たちが大石を押し出す。ゴロゴロと下り落ちる大石。

「わあ」

 風時方の兵士が、大石に押しつぶされ、転落する。

「怯むな、掛かれ」

 風時が軍配を振るう。

「やあ」

 再び、風時の兵が山を駆け上ると、

「煮え湯を飲ませてやれ!」

正成が叫ぶ。正成軍は大釜の煮え湯を風時軍に打ち掛けた。

「熱い」「熱い」

 たまらず、退く。風時軍。そこへ、

「射かけよ」

正成軍は一斉に矢を放った。これはたまらない。

「退け」

 風時が命令し、兵が後退すると、

「おりゃあ」

掛け声とともに、樫木正季、和良五郎、新宮寺三郎の軍八十が旋風の如く攻めより、敵二百を討ち取った。

「これはいかん、体勢を立て直すぞ」

 宝条風時は城を離れ、退却した。

「これは思わぬ強敵」

 風時は迷ったが、ここは力押ししかありえず、何度も赤坂城を攻略、その度に押し返され、滞陣すること六十日にもなった。その内に帝の籠る笠置山の方が落ちてしまった。


「帝は捕らえられ、兵糧も尽きてきた。ここが引き頃」

 樫木正成は覚悟を決めると、赤坂城に火を放ち、一門ごとどこかへ逃走した。しかし、その戦ぶりの見事さは、敵味方双方に賞賛された。

 前述の通り、帝の籠る笠置山は宝条勢に討ち滅ぼされ、帝は囚われの身となられた。即日、廃位となられ、寿命院統の新帝(黄金帝)が立てられた。廃帝となった御太鼓院は、隠岐に流されることとなった。

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