第四話 新羽小次郎の器量
新羽の庄は実りの秋を迎えていた。辺り一面稲穂が頭を垂れている。赤とんぼが大群をなして飛んでいる。収穫量では新羽の庄の方が足柄の庄よりはるかに多いだろう。のどかだ。さっきから後ろに見え隠れする新羽家の郎党どもさえいなければ。ついに、耐え難くなって銛太郎は後ろを振り返った。スーッと郎党が稲穂に隠れる。腹立たしい。銛太郎は大声で怒鳴った。
「我こそは平大将軍が家臣、大斧大吉の末裔、大斧銛太郎である。ご当家ともゆかりのあるものでござる。ご当主、島太郎様にお会いしたい。案内を乞おう」
ビクともしない、後方の稲穂。
すると前方から一騎の駒が駆けて来た。
「お主の大声、遠くからもよく聞こえたぞ。大斧大吉の末裔だと、家来筋の分際で大きく出たものだ。しかし、俺には分かるぜ。お前、相当の猛者だな。俺の家来になれよ。家臣筆頭にしてやるぜ」
馬上の青年が言う。
「あなたは小次郎様で」
銛太郎は問うた。
「聞くまでもない。俺の噂は知っておろう。お主、俺の後ろに乗れ。館まで乗せて行ってやる」
小次郎は銛太郎の腕を掴むとヒョイっと馬の背に乗せてしまった。すごい力だ。銛太郎はびっくりした。そして、慌てた。海育ちの銛太郎は馬に乗ったことがなかったのだ。
「セイヤー」
そんなことにお構いなしに小次郎は駒を駆けた。
新羽家の一室。
中には当主、
「銛太郎殿、お主の言うことは誠に得心のいくものである」
島太郎は口を開いた。
「だがな、両家には言うも言われぬ因縁があるのじゃ」
「それは?」
「もともと我ら新羽は明光様の長男、明良が立てた家だ。つまり、本来は我が家が本家、次男の明風が立てた足柄家は分家筋なのだ。それが、当家と宝条殿との関係がこじれ、足柄が盛を伸ばし、新羽が廃れ、さらには先代の時に、明光流平氏の家宝『源平産着』と『新帝玉剣』を宝条の命で足柄に取り上げられるという大不覚があって、それ以来両家は断絶したのである。もし、和解を願うなら、足柄が頭を下げ、家宝を返却しなければならないのだ。残念だが無理な話でな」
淡々とした口調の中に口惜しさが滲んでいる。
「そうでしょうか。又太郎様なら案外、返してくれるかもしれませんよ。それに、田畑を見る限り、新羽の方が足柄より栄えているように思えますが」
銛太郎が言うと、
「田畑など、いくら育っても駄目なのだ。家の格式こそ、武家の大事。残念ながら今の新羽には格式がない」
島太郎はため息を吐いた。
「親父よう、格式なんてどうでもいいじゃないか。気に入らなきゃぶっ潰す。足柄だってぶっ潰せるし、宝条だっていつかはぶっ潰してやる」
小次郎は吠えた。
「めったなことを言うものじゃない、小次郎。この家にだって宝条の草の者がきっと入っている」
島太郎は小次郎を窘めた。
「いいじゃないか追討軍が来れば、来た時だ。返り討ちにしてやるぜ。今の得宗を知ってるか。闘犬ばっかりやってて政なんて見てないんだぜ。やってんのは賄賂大好きの内管領、
小次郎の指摘は的を射ていた。
「だいたい、蒙古に戦いで勝ったのに、西国や、板東の御家人には少しも恩賞が出なかったんだぜ。御恩と奉公の基本はどこ行ったっていうんだ。宝条はさ、御恩と奉公をきちんとやってくれてたから、将軍でもないのに威張ってこれたんだ。それが出来ないんじゃ、ぶっ潰して、新しい世の中を作るしかないよな。な、銛太郎」
銛太郎が頷くと、
「小次郎様の言うことには一理ありますな」
家宰の香諸尚が重々しく言った。
「だとしてもだ、今の新羽家に何が出来る」
島太郎は怒りの表情を見せる。
「新羽家じゃなくて良いんだよ。誰か旗頭を立てれば良いのさ」
小次郎は言った。
「誰をじゃ、どこをじゃ?」
言い返す、島太郎。
「ふん、足柄家だよ。又太郎の野郎だ」
小次郎は何事もなかったように言った。
「何ぃ、足柄家だと!」
島太郎は怒りで卒倒した。
「大変だ、早く薬師を!」
大わらわになる、新羽家。そんな中、小次郎は黙って父親を見ていた。銛太郎は、
(小次郎、こう見えて、とんでもない策士だ)
と必死に動揺を隠そうとした。
新羽島太郎重義はついに目を覚まさなかった。享年五十五。葬儀は領民に配慮して稲刈りの後に執り行われた。宝条家からは得宗の名代として
普段なら「又太郎め、ぶっ殺す」と叫びそうな小次郎も今日は礼服を着、
「わざわざのお運び、痛み入ります」
と頭を下げた。喧嘩別れのような最期になってしまったが、小次郎は優しい父が、好きだった。父がいたから勝手な振る舞いができたのだ。これからは当主となり家政を見ていかなければならない。家宰に香二郎諸尚がいるが、こいつが煮ても焼いても食えない男で何を考えているかわからない。しかし、今は財政を握られているから様子見をし、いざとなったら斬り殺してしまえばいいと思っている。それはさておき。
「小次郎殿、お父上のこと残念でござった」
又太郎が言うと、
「痛み入る。ところで、後で、二人にて話がしたい。もし、不安なら銛太郎も同席させよう」
小次郎が会合の約を取った。
葬儀も終わり、弔問客も領民も去った夕暮れ時、又太郎と小次郎は、ざっくばらんにということで縁側にて会合した。後ろには銛太郎が控えるのみで、両家の家臣は席を外させていた。
「又太郎」
小次郎が口を開いた。
「なんです」
又太郎が鷹揚に応える。
「俺は今、お主を殺す気がないことだけを最初に言っておく。安心してくれい」
「ははは」
又太郎は笑う。
「有体に申す。俺たち二人、組まないか?」
「組む? こんなに仲違いしておったのによろしいのか」
「言いたいことはいろいろある。だが大事の前の小事だ」
「大事とは?」
又太郎は惚ける。
「鎌倉を、宝条をぶっ潰す」
「……」
「聞こえたか? 宝条をぶっ潰す」
「聞こえていますよ。ずいぶん大胆なことを言いますね。私の妻は宝条の人間ですよ。その耳に入れば、新羽家など風の前の塵に同じ」
「分かってるよ。でもお主がそれをしないことも分かってる。それにこの大事の旗頭は俺じゃ駄目なんだ。地位も名誉もない。御家人たちの信用もない」
「私だって、なんの力もありません」
「わかってないな。お主には潜在能力があるんだ。諸国の御家人の信頼も厚い。お主が立てば、今の宝条政権に不満を持った奴らが、一斉に立ち上がるに決まってんだ。分からないか」
小次郎はイラついて来ていた。それを感じたのか、
「もう一つ駒が必要ですね。それが揃えば立つかもしれません」
と又太郎は判じを掛けた。
「もう一つの駒?」
「ええ、大きな駒です。日の本で一番大きな駒」
「なんだよ、もったいぶらずに教えてくれよ」
「帝です」
「帝?」
「日の本で最大の崇拝を誇るお方。その力があれば私でも、貴方でも一方の旗頭になれる。宝条を倒すことも可能です」
「どうやって帝を味方に出来るんだ?」
「待つのです」
「どれだけ?」
「英邁な帝が立つまで」
「そんなのいつになるかわかんないだろ」
「大丈夫、そう待たずして、英邁な帝が立つでしょう」
「なんでそんなことがわかるんだ」
「手の内を明かすのはもったいないですけど、同志ならば教えましょう。我が家の、京にいる草の者が、近々、新帝が擁立されると伝えてきました。義治親王です。かのお方なら、我らの力になっていただけるでしょう。いや、あちらから我らに綸旨が来るかもしれません。その時こそ立つ機会でしょう」
そう言うと又太郎は立ち上がった。
「その時が来るまで、お互い仲違いしていましょう。そうすれば宝条は安心しているはずです」
又太郎は歩き出した。
「わかったぜ」
又太郎の背中に小次郎は答えた。すると、又太郎は振り返り、
「銛太郎、私と小次郎殿。どちらの家臣になると決めた?」
銛太郎は真っ赤になり、
「申し訳御座いません。決められません。お二方とも私の予想以上の御器量。まさに龍虎。お二方が左右に並べば、大事もなるでしょう」
と平伏した。
「ならば私が、任務を与えよう。全国の御家人を巡り、誰が味方になりそうか。誰が宝条に不満を持っているか逐一報告せよ。体力がいるぞ。宝条の草の者に殺されるかもしれんぞ。いいか」
又太郎が尋ねた。
「はっ」
返事をすると、銛太郎は支度を始めた。
「焦るな、一献くれてやろう」
小次郎が銛太郎を引き止めた。
「ははは、銛太郎はせっかちだのう」
笑いながら、又太郎は退席した。
この出来事は『縁側の誓い』の名で後世に知られる。
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