第6話
微かに目が開く。閉じたカーテンが朝の光に当てられて薄っすら灯っている。気怠く体を起こしてカーテンを開けた。窓の向こうでは、まだ顔を出していない太陽が、そこから放射線状に伸びる細長い雲を紅色に染めていた。
僕は景色に飽きて高宮さんのことを考えていた。彼女と出会って一ヶ月程が経つ。思えば、彼女は出会った時から僕に対して積極的で、好意を隠さなかった。その理由を聞こうと思っていても、彼女の調子に乗せられた時には失念しているのが常だった。でも、そろそろ聞かなくてはならない。そう思った。上手く説明できないけど、このままだと、何か良くない方に進んでいく、そんな気がした。
壁の一点をしばらく見つめる。
「よし」
声を出して自分を鼓舞した。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
口の中に残っているトーストをもごもごしながら答える。登校する時は母がこうして見送るのが習慣になっていた。
玄関を開けると、誰かが家の門の前に立っているのに気づいた。こちらを向いて微笑まれたところで、あわてて玄関を閉めた。
「高宮さん、なんでここに……」
「来たらダメ?」
小悪魔みたいに言った。
「そ、そういうわけじゃないって。なんでいるのかなって」
彼女は僕の返事に満足気に笑って、こう言った。
「あなたと一緒に登校したかったの」
「そ、そっか」
鼓動が一際大きく打って、顔が熱くなるのを感じる。その言葉は断続的に僕の胸を甘く締め付けて止まない。
「それじゃあ行こっか」
そう言って、当たり前のように僕の横にくっつくように並んだ。恥ずかしくなって、俯いた。彼女は、どうしたの?と優しく言いながら、顔を覗き込んだ。視界の隅に彼女が映る。心を覗き込まれているようだった。彼女はわかっているのだ。僕がどうして歩き出さないのか、どうして俯いているのか、わかっていて声をかけた。僕はできるだけ、真っ赤になっているだろう顔を間近にみられないようおずおずと彼女の顔を見る。そこには、愉しそうな、妖しい笑みを浮かべる彼女がいた。彼女は唇を動かす。
「歩けるかな?」
「……うん」
そこから彼女のいつものペースが続いた。けれど、僕は"それ"を失念していなかった。そろそろ学校に着く。僕は意を決して、彼女に聞いた。
「あのさ」
「んー?なぁに」
小さな子供を相手にするような、柔らかい声。
「なんで、僕に優しくしてくれるのかな」
「ふふ、友達じゃない」
「そ、そっか」
僕が聞きたいこととは少し違った。彼女は友達になろうと言ってくれる前から、僕に優しかった。乗りかかった船だ。もう一度聞こうと思った時、彼女は思い出したように口を開いた。
「あ、それとね、私の愛犬に似てるの」
「……えっ」
「真っ白なトイプードルでね、とっても可愛いのよ」
声を輝かせて言った。今度見る?と声がする。その声は、真っ白になった頭では上手く処理できなかった。頭の中では「愛犬に似てるから」という言葉が渦を巻いている。足は止まっていた。
しばらくして「で、でも、それだけじゃないわ」と声が聞こえた。
「……え?」
頭の中が上手く働くようになった気がする。
「その、最初はそれだけだったけど……今は違うの」
顔を赤らめて、目を逸らして言った。僕は、その姿があまりにも可愛らしく感じて、しばらく茫然としていた。
「き、聞いてる?」
「あぁ、聞いてる聞いてる」
間の抜けた返事を返す。
沈黙が続く。何か言わなければならないと思った。
「えっと、歩く?」
「……ええ」
僕達は縦に並んで歩き出した。
「なるほどねぇ」
僕達は体育館裏に来ていた。誰にも聞かれないような場所で小池君に話を聞いてもらおうと思ったのだ。僕と彼女は登校後、お互いに恥ずかしくなったのか、微妙にぎこちなくなっていた。
「俺はいい傾向だと思うけどね」
「え?」
「そりゃお前、なんでかっていうと、高宮もお前のことを男として意識しだしたってことだろ」
「……なるほど」
言われてみればそうだと思った。これはいい傾向かもしれない。
「さしずめ、声に出して自分の気持ちを確認したら、思った以上に意識し始めたってところだろうな」
小池君はそこで区切って続けた。
「俺はもう両思いだから、告白したらいいと思うんだが」
「こ、告白!?」
「当然だろ」
「……無理だって」
「そうか?」
僕は……彼女が好きだ。彼女に優しくされたり、……からかわれたりすると、とてもドキドキする自分がいた。それは僕の女性が苦手な体質によるものだと考えたこともあったけど、彼女のことを考えるだけで、切なくて、胸が苦しくなる。彼女と会う時は嬉しくなって、別れる時は悲しくなった。僕がそれを恋だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「どうする?」
「……告白する」
覚悟を決めて言った。
「はは、そうこなくては」
彼は嬉しさを隠さずに言う。
「相談に乗ってくれてありがとう、いつもいつも」
「いいんだいいんだ、長い付き合いだろ」
照れたのか、彼は鼻の下をさすった。
放課後、僕は体育館裏にいた。小池君に相談して告白することを決めた後、すぐに彼女に、放課後体育館裏に来て欲しいと伝えた。彼女は小さく、「……わかった」と、何かを決めたように、目を見開いてまっすぐ僕の方を見て言った。
僕はじっと待っていた。鼓動がいつもより大きく、いやにゆっくり動いている気がする。一度深呼吸する。僕ならやれる、と自分に言い聞かせる。
ジャリ、ジャリという足音が聞こえる。全神経がその音に集中するのを感じる。だんだん近づいてくる。
高宮さんだった。
「えっと、あの、その……」
続かなくなってしまった。彼女は小さく笑った。
「大丈夫だから」
優しく包み込むような声だった。
落ち着いてきたところで、覚悟を決めた。
「高宮さん!」
「は、はい」
「僕と付き合ってください!」
頭を下げて言った。……返事がない。もしかして、彼女は僕のことを好きじゃなかったんだろうか。思い違いだったんだろうか。そう思って顔をあげたその瞬間。
「相川くーん!」
「わっ!」
一瞬何が起きたかわからなかった。気づいた時には彼女に強く抱きしめられていた。とても柔らかかった。背中には手の感触があって少しくすぐったい。花の香りがする。
「私もね、あなたのことが大好きよ!」
「う、うん」
柔らかい体に一際強く抱きしめられる。
恐る恐る、彼女に軽く手を回した。けれど、彼女はそれに満足しなかったのか、耳元で微かに囁いた。
「……もっと強くして」
僕の体がビクッと震えるのを見て、ふふっと笑った。また息が吹きかかって震えてしまう。楽しくなったのか、しばらくの間、彼女は息を吹きかけて反応を楽しんだ。
「私達、恋人同士ね」
「うん」
「これから、よろしくね」
彼女は僕と向かい合って、僕のほっぺに優しくキスした。
高宮さん @tamagoyaki014
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