第5話
今日は土曜日。僕は小池君の家にいた。天候は雨。少し肌寒い。次々に雨つぶが窓に当たって、何かを諦めたように伝っていくのをぼんやりと眺めていた。足音が近づいてきて、声が聞こえた。
「飲まんか」
コト、という音がして、喉を通る音が静かに部屋に広がる。
「飲まないとやってられないわなあ」
どこかの居酒屋のサラリーマンのようなセリフに、僕は小さく笑った。彼がこういうやつということは、随分前から知っている。
「別に、嫌われたわけではないと思うけどね」
グビッといわせて続けた。
「何か、言わないとさ、だめなんじゃねえの」
そう言って、彼はまたグビグビとジュースを飲む。
「……うん」
僕は、彼女――高宮ゆかりと喧嘩していた。昨日のことだった。
「ね、相川君」
最近の彼女は、僕と小池君や他のクラスメイトとの会話を遮って、自分との会話を強要することが多かった。友人達は、「高宮さんなら仕方ない」と言ってからかったが、もう少し話を続けたい時もあった。自分との会話を強要する彼女に、僕は苛立ちを覚え始めていた。なんて自己中心的な女なのか、と。けれど、その苛立ちも彼女が話すときに見せる笑顔を見るとすぐに消えていった。そんな自分が情けなかったのだ。だから、僕は彼女と顔を合わせないように少し冷たく言った。
「なに」
彼女がその時、少しの間口をつぐんだのを覚えている。そして彼女は少し怒ったように言った。
「何、その態度は」
僕は顔を合わせずにそのまま言う。
「別に」
「何よ、言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
透き通った声で言った。その通りだった。でも、だからこそ、僕はカチンときた。
「うるさいから黙っててよ!」
思ったより大きな声が出た。教室のあちこちから聞こえていた声がピタッと止む。沈黙が流れる。視線が僕達の方に集まるのを感じる。
長い沈黙のあと、彼女はこう言った。
「相川君はさ、私と話すの、嫌いなの……?」
彼女らしくない小さな声だった。僕はその甘い声に屈するものかと、目を閉じて、俯いて、馬鹿みたいに意地になっていた。今起きていることから逃げていた。何も答えずにいた。
「私より、小池君とか柿本さんとかと話す方が楽しい?」
柿本さんというのは男子のグループにもよく混じって話す女子のクラスメイトのことだった。僕は反射的に顔を上げて答える。
「違う、そういうことじゃなくて」
「ごめん……もう話しかけないから」
何か言おうしたけど、言葉がでなかった。
それから、僕達は一言も言葉を交わしていない。
「どうする?」
僕は長い間、下を向いていた。それでも、小池君は僕が答えるまで静かに待ってくれた。
「仲直りしようと思う」
「……そうか」
小池君は静かに、けれどどこか嬉しそうに言った。
ピンポーン
インターホンが鳴った。ちょっと行ってくるわ、と言って彼は玄関に向かっていく。僕は、また窓に当たる雨つぶを眺めることにした。その雨つぶは、僕の心を洗うようだった。
彼がニヤニヤしながら戻ってきた。何をそんなにニヤニヤしているのか聞こうとしたら、彼の後ろについてきた女の人を見て驚いた。上下ともに私服で最初はわからなかったが、高宮さんだった。
「え、なんで」
僕が思わず声をあげると、小池君は得意げに言った。
「お前の家に行ったらしいんだが、いないからどこに行ったのか、お前の婆ちゃんに聞いたらしい。それで、俺の家にいるということを知って、俺の家の場所を聞いてここに来た、というわけだ」
彼女はその間、下に俯いていて、彼女の表情はわからなかった。何か言わなければならないと思った。
「えっと……、座ったほうがいいんじゃないかな」
小池君はそれもそうだな、と言って、座布団を敷いた。テーブルを三人で囲う。少しの間、三人とも黙っていた。小池君は困ったように言った。
「えーっと、じゃあまずは相川から」
いきなりそう言われて、僕は高宮さんの方をみて、吃りながら言った。
「あ、うん。えっと、昨日は、ごめん」
彼女はここで初めて顔を上げた。目があう。いつもの誘惑するような目ではなく、親に叱られた子供のような目をしていた。
「私こそ、ごめん。私、あなたの気持ち考えてなかった」
彼女は本当に申し訳なさそうな声で言った。
「いや、いいんだって。僕がその、はっきり物言えないのも悪いから」
「確かに、そういうところはあるな」
僕が横槍をだすなという抗議の目を向けると、彼はごめんごめん、と笑った。そんな僕らをみて彼女はくすりと笑う。
「それじゃあ、何する?」
小池君は思い出したように言った。
「何って……何を」
「高宮は、ゲームとかできるのか?」
「できるわ」
彼女はいつもの調子に戻っていた。僕はこんな、美しくて綺麗で、自信を持っている高宮さんの方が……。
「それじゃあ、PuyoPuyoでもやるか」
「それって……小池君が得意なゲームじゃないか」
「そうだが?」
そう言って、すました顔でゲーム機のコンセントを入れた。
「私も得意」
僕は意外に感じて訊く。
「え?そうなの?」
ええ、と彼女は答えた。彼女にそんな一面があるとは知らなかった。思えば、僕は彼女のことをあまり知らないのだ。知っているのは、昼食の時に教えてくれた好物とか……それくらいしかない。でも、これから知っていけばいいのだ。時間は沢山ある。
僕は高宮さんと小池君が盛り上がっているのを恨めしそうに見ていた。ワンゲーム終わったようだ。高宮さんの勝ち。これで一対一だ。彼女はリモコンを手放して、黙ってこちらに向かってきてこう言った。
「次はあなたとやりたいな」
猫が甘えるようだった。僕は精一杯頷く。ここで高宮さんに勝って、男らしいところを見せようと思った。
結局、一ゲームも勝つことができなかった。けれど、とても楽しくて、あっという間に時間は過ぎていった。
気がつくと雨は止んでいた。
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