第4話

「あーん……」


 時間が止まった気がした。僕の口のすぐ前には、彼女の箸に掴まれた卵焼きがあった。止まった時間が動き出すように、教室がざわざわとし始める。今朝の夢と酷似した目の前の光景に、僕は蛇に睨まれた蛙のようになっていた。けれど、鼓動は打ち上げられた魚のようにドクドクと跳ねていた。そして、彼女は僕にもう一度言った。


「あーん……」


 慈愛に女性のフェロモンを混ぜ合わせたような声が耳に侵入して、胸の奥深くが甘く締め付けられる。そして、その二度目の声は、僕に口の前の卵焼きを食べることを急かした。けれど、僕は永遠と思われるような長い間、卵焼きを口の中に入れることができずにいた。小池君が応援するような声を飛ばす。それに同調して、クラスメイトの何人かが同じような声を飛ばした。それに押されるように、恐る恐る卵焼きに口を近づける。口を開けて、箸と卵焼きをくわえて、卵焼きを抜き出そうとする。そこで、僕は彼女の箸に口をつけていることに気がついて、僕の顔はさらに熱く、赤くなった。真っ赤になっているだろう顔を隠すように、急いで卵焼きを口の中にいれて俯いた。卵焼きを噛む。甘い味が口の中いっぱいに広がる。


「おいしい?」


 彼女の声は少し不安げだった。


「うん……おいしい」


 僕は顔をあげて、正直な感想を言った。


「ふふ、良かった」


 彼女は花が咲いたように笑った。そして、彼女は目を細め、妖しげにこう言うのだった。


「それじゃ、また食べさせてあげるね」


 そう言う彼女があまりにも艶めかしくて、僕は頷くことしかできなかった。

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