グレープ・ジュース
「撃つな! 彼は警官だ!」
敷島の声が響き渡った。
その場にいた全員の動きが止まった。
敷島は歩み出た。
そのまま中央に向かって進んでいった。
場は静まり返ったていた。
警官だけではない、ボスも、ボスの部下たちもその場にいた全員が耳を疑った。
「敷島さん、今何て?」
青柳が沈黙を破った。
「チェリーと呼ばれるその男は警官だ。だから撃つな」
潜入捜査は超極秘任務だった。
チェリーが潜入捜査官であることを知っているのは、敷島と警察の上層部でもごく一部の者だけだった。
驚愕の事実に警官隊も、組織のメンバーも、誰も口をきけなかった。
特に組織の連中にとっては受け入れるにはあまりにも信じがたい事実だった。
チェリーはボスの愛人だった。
疑われるべき一番最後の人物になるはずだった。
「クックック…」
不気味な含み笑いが聞こえてきた。
グレープだった。
込み上げる可笑しさをこらえきれないようだった。
「だから言ったろ? そいつが潜入だって」
グレープはついに声を上げて笑った。
「…てめえ、よくも俺を騙しやがったな…」
うめくように言いながら、ボスがよろよろと立ち上がった。
その手にはいつの間にか銃が握られていた。
ボスは銃口を潜入=チェリーに向けた。
「死ね」
潜入は油断した。
まさかボスが意識を取り戻すとは思わなかった。
終わった…
銃声が上がった。
次の瞬間、チェリーはしかし何も感じなかった。
膝が折れ前のめりに倒れたのはボスだった、
頭部から血が流れ、溜まりとなって広がっていった。
チェリーは弾丸の出所を目で追った。
グレープだった。
構えた銃から煙が上がっていた。
「何度も言うが、お前をやるのは俺だ」
グレープは潜入捜査官=チェリーに向かって言い、再び銃口をばあさんの側頭部に当てた。
包囲している警官たちには、あるいはグレープを撃つチャンスがあったかも知れない。しかし、予想のつかない展開にただ呆然とするばかりだった。
敷島は、ボスの傍に寄り膝をついた。
うつ伏せに倒れた彼の身体を仰向けにした。目を見開き、身動きひとつしなかった。
数々の悪事を働いてきた弟だった。
金で殺しを請け負い、部下といえども用済みになれば始末する。
そんな男の当然の末路と言えた。
それでも複雑な想いが敷島の胸中に渦巻いていた。
暗殺組織、殺家ーのボスでありながら彼は敷島の弟だった。
子供の頃は一緒に遊び、飯を食い、風呂に入り、同じ部屋に並んだ寝た。顔を見合わせて笑い合った仲だった。
しかし、中学卒業後、弟は悪の道を歩み始めた。
敷島は兄としてそれが悲しかったし、責任を感じた。
だから、彼は警官になり、彼の手で弟を逮捕し、殺家ーを殲滅し、法の裁きを受けさせたかった。
「いいだろう」
潜入の声が敷島の感傷を遮った。
潜入はグレープと向かい合った。
「ケリをつけようじゃないか」
潜入は両手を上げ、丸腰であることを示した。
「だめだ」
敷島が言った。
彼の銃口はすでにグレープに狙いを定めていた。
「弟の敵ってわけか?」
グレープに動揺はなかった。
すでに向けられた20の銃口が1つ増えただけだった。
グレープは身を屈めてばあさんの背後に隠れた。
「撃てよ」
「さあ、早く。撃て!」
まるでばあさんの操り人形がしゃべっているかのようだった。
「撃つんじゃないよ! あたしゃ善良なお年寄りだよ!」
ばあさんはもがいた。
グレープの手から逃れようとしたが、ばあさんは非力過ぎたし、グレープは強力過ぎた。
敷島は迷っていた。
いま、ここでばあさんを撃ってしまえばグレープは人質を失う。後は、彼を撃てばいい。
殺家ーイチの殺し屋を倒し、弟の敵討ちにもなる。
だが、さすがの敷島も老婆を撃つのはためらわれた。急所を外したところであの歳では命に関わるかも知れない。
もし老婆が死ねば敷島は殺人の罪を犯すことになる。ミイラ取りがミイラになるわけだ。
「どうした、撃て!」
敷島のためらいを見透かすようにグレープが言った。
「どうせろくでもねえババアだ。早く撃っちゃえよ」
「うるさいよ! あたしゃ何十年も銭湯の番台に腰掛けてきた善良な市民だよ! こんな目に合うなんてほんとカンベンだよ!」
敷島は何も言わなかった。
ただ銃を構えるだけだった。
「お前らしくないな。まあ、いいさ。撃たないなら…」
帰らせてもらうぜ、と言うが早くグレープはばあさんと背中合わせになり、担いで走り出した。
チッ!
舌打ちをして潜入は後を追った。
敷島は、しまったと思いつつ、銃を構える警官隊に指示を出した。
「A班、グレープを追え! B班、ここにいる全員の身柄を確保しろ!」
(つづく)
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