復讐の現場3
3.
冷たいものが頭頂部から伝うのを感じ、サキはつかの間の暗闇から引き上げられた。
開かれた目に滴り落ちるしずくが入り込んできた。
声を上げようとしたが口枷が邪魔をした。言葉にならないうめき声が喉の奥からもれるばかりだった。
身体は椅子に縛り付けられ身動きが取れなかった。
わけが分からず、もがき、縛られた己の身体を見て自問した。
こ、これは…?
タクシーを降りたところまでは覚えていた。そこから先の記憶がなかった。
スニーカーを履いた両足が視界に入った。なぞるように視線を上に這わせていった。
九一がやかんを手にして彼を見下ろしていた。
表情はなかったが、瞳の奥に憎しみが渦を巻いていた。
九一はサキを見下ろしたままヤカンを放り投げた。
静まり返ったフロアに大げさな音が響き渡った。
何、これ! いったい何なのよ!
サキはそう言ったつもりだが、やはり言葉にはならなかった。
「シッ」
九一は唇の前で人差し指を立てた。
「縛られるのは嫌いじゃないだろ?」
九一はSMプレイのときによく見せるサディスティックな表情を浮かべた。
サキは混乱した。これは二人がよくやるプレイの延長なのか。
これは一体何なの⁈
サキが再び言葉にならない声を発した。
九一がサキの頬を張った。
鋭い音がフロアに響き渡った。
サキは歯を食いしばろうとして、唇を口枷と歯の間に挟めた。
血の味が舌に滲んだ。
「分かってる。これから説明してやるよ」
九一はうつむきながらサキの周りを歩き始めた。右の拳で顎を軽く叩いていた。考えるときにやる彼のクセだった。どこから始めるべきか思案していた。
九一は足を止めずに話し始めた。
「先日、マインド・ボムの検査を受けた」
九一は言葉を区切った。サキの反応を伺うためだった。
サキはその言葉だけで理解した。なぜ自分がこのような目にあっているのか。
バレたのだ。
マインド・ボムに感染していることが。
九一は続けた。
保健所の前を通りかかったら行列ができていたこと。
マインド・ボム(MB)の抗体検査を待つ列だったこと。
MBは現在、爆発的に流行しており性行為が主な感性ルートであること。
自覚症状はまったくなかったが、気になったから試しに受けてみたこと。
「結果は・・・陽性だった」
サキが予想した通りだった。
MBの感染ルートはサキだと九一は疑っているのだ。
そして、その通りだった。
「これから質問をする。首を振って答えろ。Yesなら縦に、Noなら横に。いいな」
サキは頷いた。
九一は深く息を吸い、吐いた。そして、聞いた。
「…お前は、マインド・ボムか」
サキはうつむいた。
それはイエスを意味したが九一には明確な意思表示として伝わらなかった。
「聞こえたか?」
「・・・」
「答えは分かってるんだ。ただはっきりさせておきたい」
サキの髪の毛を掴み無理やり上を向かせた。
九一はまた彼の頬を張った。
「聞いてんのか?」
サキは睨みつけるように九一を見上げた。挑戦的でもあり、覚悟を決めたようでもあった。
「もう一度聞く。お前はマインド・ボムか?」
サキはただ睨みつけるばかりだった。
九一はサキの髪を鷲掴みにしたまま再び頬を張った。
「お前はマインド・ボムか?」
答えはなく、九一が頬を張ると鼻血が滴り落ちた。
「お前はマインド・ボムか?」
サキはやはり答えなかった。
九一は靴底でサキの上体を蹴り倒した。
サキは椅子ごと後ろに転倒した。
九一はサキの上体をまたいで見下ろすように立った。
手にはいつの間にかサバイバルナイフが握られていた。
九一の顔に笑みが浮かんだ。
ナイフの柄を指先でつまむようにしてぶら下げた。
刃先はサキの顔に向けられていた。
サキは首を左右に動かし、今にも落ちそうなナイフを避けようとした。
残忍な笑みが九一の顔に広がった。
このとき初めてサキは恐怖を感じた。
そう遠くない日に自分にも死が訪れる。マインド・ボムの検査結果が出て以来、死ぬ覚悟はできていた。残り少ない人生を我が儘に生きようと行動した結果、九一をMBに感染させてしまったわけだが、問題は死に方だった。少なくともサバイバルナイフに刺されて死ぬのは望むところではなかった。
「ショーはこれからだ」
九一は背もたれを持ってサキの椅子を起こした。
再びサキと向かい合った。
「これから裁判をする。俺が裁判官。お前は被告人。裁判官が判決を読み上げるところから始める」
九一は振り返ると誰もいない傍聴席たるフロアを見渡し、被告人に向き直った。咳ばらいをし、サキの周囲をゆっくりと歩きながら判決文を読み上げた。
「被告人は自らがマインド・ボムに感染していることを知りつつ、その事実を隠蔽し被害者と性的な関係を持った。己の欲望を最優先にする被告人の身勝手な行為は非人道的であり、到底承服することはできない。よって被告人は…」
九一は立ち止まりサキと向かい合った。
ナイフを高々と掲げた。
鋭利な刃がスポットライトを受けて残酷な光を放った。
「死刑!」
(つづく)
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