犬はお前か


殺家ーサッカー」の事務所は自社ビルに入っている。

大したビルではない。5階建ての小さなビルで、その名をサッカービルヂングという。


1階は駐車スペース、2階は不動産屋、3階は土建屋の事務所、4階はとある会社の労働組合事務所、5階は会議などで使えるレンタルスペースとなっていた。

表向きこそ5階建てのビルだが、実は6階があり、そこに「殺家ー」の事務所があった。6階に行くには隠し扉を開けて階段を上る必要があった。


ボスは実業家だった。

暗殺ビジネスで財を成し、今では市内にカラオケ、ソープランド、飲食店、土建業、清掃業など多種多様なビジネスを展開していた。


この日、ボスの下で働くすべての従業員(パートも含む)が5階のレンタルスペースに臨時招集された。

およそ100名がフロアに五列縦隊で整列していた。

そこには銭湯「天子湯あまこゆ」の番台に座る婆さんの姿もあった。


全員が緊張の面持ちだった。

パートも含めた全従業員が召集をかけられることなどこれまでなかったし、演壇に立つボスの表情を見れば、これから催されるのが社内パーティでないことは明らかだった。


演題のマイクをオンにしてボスは話し始めた。


「25年前、俺はあるビジネスを立ち上げた」


挨拶もなくボスは唐突に話し始めた。

冷静な口調だったが、声には不気味な予感を孕んでいた。


「誰だってこの世に一人ぐらいは殺したい奴がいる。俺はそこに目をつけた。そう、暗殺ビジネスだ」


ボスは言葉を区切り、間を取った。

「暗殺」という言葉を聞く者の心に染み込ませるため、さらには暗殺集団のボスである自分の恐ろしさを重々分からせるためだった。


「25年間、うまくやってきたつもりだ。殺しがあっても「殺家ー」の仕業だと警察が気づくことはなかった。いや、「殺家ー」の存在自体、警察の知るところではなかった。しかし、だ」


ボスはまた言葉を区切った。

「しかし…」と言ったボスの声は熱を帯びていた。

ボスは鋭い眼光で一同を見渡した。


「警察はどうやら我々の存在に気づき、ついには犬を送り込んだ」


ボスは演台を蹴り倒した。


「裏切者がこの中にいる!」


声を張り上げ、いつの間にか手にしていた拳銃を天井に向け引き金を引いた。

不気味な予感は怒りとなって噴出し、部下たちの緊張は恐怖へと変わった。


ボスは演壇から降りると部下の整列に分け入った。

一人一人の前で立ち止まり、その目を覗き込んだ。


犬はお前か? 

それともお前か? 

そう無言で問いただしながら。


潜入捜査官は背中に一筋の汗が伝うのを感じた。

暑さのせいではなかった。氷の滴のような汗だった。


ボスのような男は頭が悪い分、常人とは違う種類の感覚が備わっている。

論理的思考で答えを見出すことはできない。

しかし、この男は常人に見えないものを見、聴こえない音を聴き、嗅ぎとれない匂いを嗅ぎとる。

ビジネスもそんな特殊能力で拡大してきた。

その能力で今、裏切者をあぶり出そうとしている。


ボスの信頼を揺るぎないものにするため潜入はやれと言われたことはすべてやってきた。それどころか、誰よりも気に入られようと言われたこと以上のことさえやってきた。


その成果が試されるときだった。

彼が得た信頼はボスの第六感を惑わせるのに十分だったか?

警察の潜入捜査官であることがバレて、ついに殉職をもってこの任務を終えるのか。


ボスが正面に立った。

いつもと違う眼差しだった。

一瞬の心の揺らぎも見逃すまいとするかのようだった。


潜入は騙した。

ボスではなくまずは自分を。

自分は警官ではない。

「殺家ー」の一員だ。

自分を騙すことができればボスも騙せる気がした。


ボスの目を見返した。

そよ風ひとつ吹かない草原をイメージした。

無数の草が不動のまま起立していた。

イメージを頭に描くことで平静を保ち、疑念が入りこむ余地を防いだ。


ボスは潜入がシロだと判断したのか、視線を隣の男に移した。潜入の緊張がわずかに緩んだ。


潜入は隣の男に見覚えがなかった。

背が高く痩せていて、顔色が悪く目の下の黒ずみが目立った。


突然、銃声が響き、男が悲鳴を上げた。

潜入が男の方を向くと左肩を抑えていた。指の隙間から血があふれ出ていた。


「裏切り者はお前だな!」


「ち、ちがいます…!」


男は肩を抑えながら振り絞るようにして声を上げた。


ボスは男の右肩を撃った。

再度、悲鳴が上がった。


「ど、どうして・・・」


男は泣きそうな声で言った。


「裏切者はお前だ」


「ちがいます・・・どうして俺なんですか・・・」


苦痛に呻きながら男は言葉を発した。


「違うなら、証明してみろ」


「証明・・・?」


「ここにいる誰が警察の犬か言え」


「言えっていわれても・・・」


ボスは男の左足を撃った。


今一度の悲鳴。


「まだ言わねえか」


男は床に倒れた。痛みに喘ぎ、目に涙をため、額に汗が滲んでいた。


「なるほど、これだけ撃たれて言わねえとなるとどうやら俺の間違いだったようだ。お前は裏切者じゃねえ。だとしたら他にいるってことだな」


ボスは大きな声で呼びかけた。


「おい!」


一同を見渡しながら、この中にいるはずの裏切者に語りかけた。


「お前は警官だろ。いいのか、無実の市民を見殺しにして。お前が名乗り出れば、こいつは死なずにすむ。でもお前がだんまりを決め込むならこいつは死ぬことになる」


潜入は葛藤していた。

ボスの言う通り警官として名乗り出るべきだった。

しかしそのとき彼は確実に殺され、「殺家ー」壊滅作戦は振り出しに戻るだろう。

「殺家ー」に潜入して3年。多くの証拠を集め、壊滅までもう一息だった。


「10数える。それまでに名乗り出ろ。もし名乗り出なかったらこいつは殺す。お前は無実の人間を見殺しにする。それでも警官と言えるかな」


ボスは不敵に笑い、弄ぶようにゆっくりとカウントダウンを始めた。


「10!」


「9!」


「8!」


「7!」


「6!」


「5!」


「4!」


「3!」


「2!」


「1!」


「0!」がカウントされようとしたときだった。


たった今ボスの眼差しをパスした男が飛び蹴りを放った。


ボスは床に尻もちをつき、驚愕の表情で彼を見た。


「まさか、お前が…」


(つづく)


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