猜疑心が忠誠心を試す


韓国のソウルフード、黒いヌードル、チャジャンミョンは「昇竜」の看板メニューでもあった。

この辺では出す店が他にないせいもあって、チャジャンミョンを食べたい人は「昇竜」に足を運んだ。結果、客の8割はチャジャンミョンをオーダーするのだった。


昇竜は赤い看板に白抜きの文字が目印の典型的な町中華だ。


ボスとマンゴーはのれんをくぐった。


「らっしゃい」


L字型のカウンター席と4人がけのテーブル席が3つ。


カウンターの向こうで1人が鍋を降り、1人がネギを刻んでいる。2人は兄弟だ。


年齢不詳のウェイトレスが1人、男性客にジャジャンミョンを運んでいる。


たった1人の先客はカウンターの端で、正体を隠すように帽子を目深にかぶっている。


土曜の夕飯時にしては客が少ないが、この店が混むのは、居酒屋で飲んだ連中がシメのラーメンを食べに来る夜の10時以降だった。

「昇竜」は午前1時まで開いている。

そんな遅くに開いてる店が他にないので酔っ払いから重宝されていた。


「ネエさん、ビールくれ。それと、餃子2枚」


ウェイターの女性にボスが声をかける。

ボスは若い頃からこの店の常連だった。


「ボス、この店よく来ますか」


「ああ、昔からな」


瓶ビールとグラスが2つ運ばれてきた。


ボスはビールをそれぞれのグラスに並々と注いだ。


ボスはグラスを掲げた。


マンゴーが自分のグラスをカチンと合わせた。


2人はほとんど同時に飲み干した。

今度はマンゴーが注ぎ足した。


「昔はな…」


ボスが口を開いた。


「土曜の昼になると、この店の前に高校生の行列ができたんだ。何でか分かるか?」


「ウェイトレスのお姉ちゃんが可愛いかったから」


ボスは声を上げて笑い、そこにちょうどウェイトレスが餃子を運んできた。


ボスはウェイトレスの尻を撫でながら確かにそうだな!と言ってまた楽しそうに笑った。


ウェイトレスはボスの手をパシン!と叩いて去っていった。


「ここはな、高校生が制服で煙草を吸えたんだ。昔は土曜日は授業があってな。でも午前中で終わるから高校生はここで昼飯を食って帰ったんだ。煙草が吸いたくてな。だから行列ができたってわけだ」


「煙草なんてその辺で吸えばいい」


「昔はうるさかったんだ。その辺で吸えば警察に補導されたり、大人に注意されて、停学になる」


「テイガク?」


「学校を休まされるんだ」


「ラッキーですね」


「確かにな」


ボスは苦笑した。


「まあ、だからみんな隠れて煙草を吸ったんだ。でも、隠れて吸えば吸う程、堂々と吸うことに憧れるようになる。この店はな、それが許される唯一の場所だった。席に着くと店員が灰皿を持ってきてくれて、脂っこい中華を食ったあと、ふんぞり返って煙草を吸えた。喫煙高校生の聖地だったんだ」


「ボス高校行きましたか?」


「ああ。でも内緒だぞ」


「煙草吸ってたこと?」


「高校行ったことだ。俺とお前だけの秘密だ」


「うまいスね、ここの餃子」


マンゴーはボスの昔話には興味がないらしく、話題を餃子に移した。


「チャジャンミョンはどうだ?」


「変わった味スね、私もっと辛いのが好きです」


「そう思うだろ? ところが、だ。明日になるとまた食べたくなるんだよ、これが。このドロッとした甘じょっぱさが一日で恋しくなるんだ」


「餃子、もう一皿いいスか?」


マンゴーは聞いちゃいなかった。


「おう、どんどん食え」


「スミマセン、餃子ください」


マンゴーはカウンターに向かって注文した。


「犬がいる」


ボスはチャジャンミョンをすすりながら唐突に言った。


マンゴーはてっきり店内に犬がいるのかと思って辺りを見渡した。


「どこスか」


「すぐ近くだ」


マンゴーは後ろを振り返った。


「バーカ、違うよ。動物の犬じゃない。警察の犬だ」


「警察の犬・・・デスカ」


「警察の潜入が組織内にいる」


「センニュウ?」


「警官が組織に潜り込んでいる、つまり組織内に裏切者がいるってことだ」


「まじっスか?」


「間違いない。グレープがパクられたのは犬が情報を送ったからだ」


「ボスは犬が誰かわかりますか」


ボスは答える代わりにマンゴーに聞いた。


「マンゴー、お前、俺の下で働き始めてどれくらい経つ」


「ボス、俺を疑ってますか?」


「サツの犬じゃないって証明できるか」


「というと?」


「例えば、例えばだぞ、パートナーのグレープを殺れって言ったら殺れるか」


「私、掃除屋、殺し屋じゃない。ましてグレープは殺せない。こっちが殺られる」


「例えばの話だ。それぐらいの忠誠心があるかって聞いてるんだ」


「チュウセイシン?」


「ロイヤリティのことだ」


「ロイヤリティ、あります。100%っス」


「マンゴー」


「はい?」


「ソープ行きたいか」


「『ダイヴァース』ですか?」


「ソヨンがお気に入りなんだろ」


「ええ、私、ソヨン以外抱きません」


「今夜は俺のおごりだ。店には電話しておくから存分に楽しんでこい」


ボスはソープランド『ダイヴァース』のオーナーでもあった。


「マジっスか!?」


「性病にだけは気をつけろよ」


「マインド・ボムですか? 最近ハヤッてるみたいスね」


「ソヨンにうつしたら故郷に帰れないと思え」


「さっき言った、俺、ソヨンしか抱かない。ソヨンがMBじゃなければ俺からうつすことはない」


「それとな・・・」


ボスはワニ皮のセカンドバッグから分厚い封筒を取り出し、テーブルに置いた。


「これ、とっとけ」


マンゴーは封筒を手に取り中を覗いた。札束が入っていた。


「オオガネっすね」


「タイキンって言うんだ」


「私にアゲマスカ?」


「お前にやるよ。ボーナスだ」


追加の餃子が来た。

マンゴーはさっそ箸をのばした。

ボーナスのことなどすっかり忘れているようだった。


「マンゴー」


「はい?」


「ソープの前に歯磨けよ」


「ハイ」


チャジャンミョンを平らげたボスは、口の周りをティッシュで拭いた。


「マンゴー」


「はい?」


ボスはマンゴーの目を覗き込んだ。


「信用してるぞ」


餃子を頬張りながらマンゴーは答えた。


「ロイヤリティ、120%ッス」


(つづく)

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