猜疑心が忠誠心を試す
韓国のソウルフード、黒いヌードル、チャジャンミョンは「昇竜」の看板メニューだった。
「昇竜」は赤い看板に白抜きの文字が目印の典型的な町中華の店だった。
中華料理ならこの類の料理をジャージャー麺と呼ぶが、ここではチャジャンミョンとしてメニューに記載されていた。
実際、味付けに黒味噌を使い、名前に違わず正真正銘の韓国チャジャンミョンを提供していた。
「いい匂いすね」
「昇竜」のそばまで来ると料理の匂いが漂ってきた。
ボスとマンゴーはのれんをくぐった。
店内はL字型のカウンター席と4人がけのテーブル席が3つあった。
カウンターの向こうでは大将がタバコをふかしていた。
「おう、いらっしゃい」
カウンターの向こうから大将が気さくに声をかけた。
「殺家ー」のボスとは言え、高校生の頃から通っている馴染の客だった。
接し方は高校の頃と変わっていない。
先客が一人、カウンターの端でチャジャンミョンをすすっていた。
まるで正体を隠すようにキャップを目深にかぶっていた。
土曜の夕飯時にしては客が少ないが、この店が混むのは夜の10時以降、居酒屋で飲んだ連中がシメのラーメンを食べに来る時間帯だった。
「昇竜」は午前1時まで営業していた。酔客から重宝されていた。
ボスとマンゴーはテーブル席についた。
「ネエさん、ビールくれ。それと、餃子2枚」
ウェイターの女性をボスはネエさんと呼んだ。彼女もボスが高校生の頃から働いていた。当時からそう呼んでいた。当時も今も年齢不詳だった。大将もそうだがここの店員はその店構えと同様、何十年経っても変化がなかった。
瓶ビールとグラスが2つ運ばれてきた。
ネエさんは二人の前にグラスを置き、ビールを注いだ。
「珍しいねえ、注いでくれるなんて。いいことでもあったのかい」
「店空いてるからねえ」
「ネエさんも付き合えよ」
あたしゃ酒が飲めないんだよ、と言って立ち去った。
ボスとマンゴーはビールが並々と注がれたグラスをカチンと合わせた。
「オツカレサマデス」
二人とも一息に飲み干した。
マンゴーがすかさずボスのグラスに注ぎ足した。
「オツカレサマ」の挨拶も然り、気遣いの習慣を日本に来て身につけた。
「なあ、マンゴー」
「はい?」
「犬がいる」
ボスが唐突に言った。
マンゴーはてっきり店内に犬がいるのかと思って辺りを見渡した。
「どこスか」
「すぐ近くだ」
マンゴーは後ろを振り返った。
「バーカ、違うよ。動物の犬じゃない。警察の犬だ」
「警察の犬・・・デスカ」
マンゴーは日本の警察官が犬を連れて歩いている姿を想像した。
警察犬じゃねえぞ、マンゴーの勘違いを察したようにボスが言った。
「警察の潜入が組織内にいる」
「センニュウ?」
「警察官が潜り込んでいる、つまり俺たちの中に裏切者がいるってことだ」
「まじっスか?」
「間違いない。サツに情報が流れてる。でなきゃグレープがパクられるばすがない」
「ボスは犬が誰かわかりますか」
ボスは答える代わりにマンゴーに聞いた。
「お前、俺の下で働き始めてどれくらい経つ?」
「俺を疑ってますか?」
「サツの犬じゃないって証明できるか」
「できます。ショウメイの仕方を教えてもらえれば」
「例えば、例えばだぞ、グレープを殺れって言ったら殺れるか」
「それは無理。私、掃除屋、殺し屋じゃない。ましてグレープはこっちが殺られる」
「例えばの話だ。それぐらいの忠誠心があるかって聞いてるんだ」
「チュウセイシン?」
「ロイヤリティのことだ」
「ロイヤリティならあります。100%デス」
「マンゴー」
「はい?」
「ソープ行きたいか」
「行きたいです」
「ソヨンが好きなんだろ」
「ええ、私、ソヨン愛してる。彼女以外の女は抱きません」
「今夜は俺のおごりだ。店には電話しておくから存分に楽しんでこい」
ボスはソープランド『ダイヴァース』のオーナーだった。
「マジっスか!?」
「性病にだけは気をつけろよ」
「MBっスね。最近スゴイっスね」
「MBだろうがなんだろうがソヨンに病気うつしたら
「さっき言った、俺、ソヨンしか抱かない。ソヨンがMBじゃなければ俺がうつすことはない」
「わかった、わかった」
答えながら、ボスはワニ皮のセカンドバッグを開けた。
中から膨らみのある封筒を取り出し、マンゴーの前に放り投げた。
「とっとけ」
マンゴーは封筒の中を覗いた。
札束が入っていた。
「ボーナスだ」
「ありがとうございます。あの、餃子お代わりいいスか?」
「ああ。大将、餃子2人前追加ね」
「あいよ!」
「マンゴー」
「はい?」
「いつの間に俺の分も食ったんだ?」
「ボスの分ですか?」
「まあいい、ソープの前に歯磨けよ」
「ハイ」
「マンゴー」
「はい?」
ボスはマンゴーの目を覗き込んだ。
心の奥底まで見透かすような視線だった。
嘘を見透かし、恐怖を植え付け、四六時中監視されていることを思い出させるような視線だった。
「信用してるぞ」
「ロイヤリティ、120%ッス」
(つづく)
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