Barber’s Trap2

敷島が律儀に月一回その理容室(「Barber’s Trap」)を訪れるのは散髪のためではなかった。

敷島は髪型にこだわりはない。

他人から笑われなければ短髪だろうが、長髪だろうが構わなかった。


ではなぜ敷島が月に一度「Barber’sTrap」を訪れるのかと言えば、それはこの理容室が提供する付加価値のためだった。


腰を下ろすとまず初めにウィスキーが提供された。

続いて葉巻。

葉巻を燻らし、ウィスキーを舌で転がす。

敷島はウィスキーにも葉巻にも詳しくないのでそれらが上等なものなのか定かではないが、少なくとも味にこだわりがあることは確かだった。


マッサージは頭皮、顔からさらには肩、腕へと至り、熱く蒸したタオルにはミントオイルを染み込ませてあった。


内装にもこだわっていた。

ニューヨークの下町ブルックリンを想わせるレンガづくらはのかへ内装はどこかダーティーな印象を受ける。

ひと昔前の、まだニューヨークが危険な街だった頃の雰囲気を醸し出している。

そのせいもあって客のほとんどが強面だった。

顧客の中で入墨がないのは敷島ぐらいだった。


巷の理容室では提供されるはずもないサービスだった。


料金が高額なのも頷けた。

一度ここを訪れれば理容室の罠「Barber’s Trap」にハマることは請け合いだ。


敷島が初めて「Barber’s Trap」を訪れたのは聴き込みのときだった。

そのダーティーな雰囲気から「殺家ー」が経営しているのかと勘繰ったが、それにしては気が利きすぎていた。


「殺家ー」が提供しているのは、暗殺ビジネスを除けばどこにでもあるサービスだった。ソープランド、カラオケ、銭湯、土建業等々。

いずれのお店も差別化とは無縁のありきたりのサービスを提供していた。


しかし、この理容室で提供されるのは冒頭に挙げたような、どこにもないサービスだった。

重厚かつ繊細だった。

細部に神が宿っていた。

「殺家ー」の、時流に乗るだけの場当たり的で卑俗なビジネスモデルとはまるで違った。


「Barber’s Trap」が殺家ーの経営によるのではないと確信した時、敷島にある考えが浮かんだ。


殺家ーの連中がこの店の常連にいるかも知れない…


完全予約制のため他の客と同席することはないが、入れ替わりですれ違うのはほとんどが、入墨を背負った、強面の、逮捕したくなるような連中ばかりだった。

殺家ーのメンバーが通っていてもおかしくはない。


何とか情報を得るため、敷島は店主との精神的な距離を縮めようとした。


三度目に「Barber’s Trap」を訪れたとき敷島は店主に会話を投げかけた。


「無口なんだね」


「すべての床屋がおしゃべりとは限りません」


「話しかけてもいいかな?」


「もちろんです。しゃべるのが嫌いなわけじゃありません。しゃべり過ぎるのが嫌いなんです。散髪中に話しかけられるのを嫌うお客さんも少なからずいます」


敷島は慎重だった。

殺家ーについて心当たりを聞き出す前に、何気ない会話でまずは友好関係を築いた。それに3ヶ月を費やした。

一旦、話し始めると店主は気さくと言ってもいいぐらいの人柄だった。

自分について多くを語った。


高校を卒業して理容師になったこと。

昔、ロカビリーのバンドを組んでリーゼントに凝っていたこと。

仲間たちからも頼まれるぐらい髪型をセットするのが得意だったこと。

ニューヨークに憧れていること。

この店もニューヨークのダウンタウンのイメージだが行ったことはない。いつか行ってみたい等々…


相手に話をさせるため、互いの距離を近づけるために敷島も身の上話をした。

警察官、バツイチ、子供はいない、

狭いアパートに寝に帰るだけの毎日であること。

差し支えない程度に、あまり羨ましいとは言えない日常生活を披露すると店主はますます親しげになった。


「わたしも独身でね。こんな店やってると恐いひとと思われちゃうみたいで」


「まだ若いじゃないか。これからいくらでも出会いはあるよ」


「もう一杯どうです?」


敷島が飲み干したウィスキーのグラスを櫛で差した。


「いただこうかな」


「ロックでいいですか?」


「ああ、悪いね。マスターも飲んだら?」


「酔って手元が狂っちゃいますよ」


「そんな弱くないんだろう?」


「いやあ、飲みながらってのも何なんで、終わったらいただきます」


「じゃあ、待つことにしよう。一緒に飲もうじゃないか」


これをきっかけに散髪後に二人で酒を飲むのが習慣となった。


店主は敷島の後には予約を入れなかった。


しゃべり過ぎるのが嫌いと言っていた店主は酒が入ると饒舌だった。


こんな感じで敷島と店主の距離は少しずつ近づいて行った。


2人の酒盛が習慣化しても変わらないことが三点あった。


①月に一回

②「Barber’s Trap」で

③ウィスキー


①敷島が店を訪れるのが月一より多くなることはなかった。

いつも帰り際に敷島は次の予約を入れた。

1ヶ月後の月末だった。


②場所は「Barber’s Trap」と決まっていた。話が盛り上がって居酒屋へ飲みにいこうなどとはならなかった。店主はそもそも外に出るのが好きではなかった。


③アルコールはウィスキーと決まっていた。ワインやビールや日本酒に変わることはなかった。

ウィスキーをロックかストレートで飲むのが常だった。


この三点が二人の関係を継続するための不文律となっていた。言葉にしなくとも自然と確立した決まりごとだった。二人はこの決まりを侵してはならないことをよく心得ていた。

決まりに従う限り、平定が乱れることはない。


5回目の酒盛りのとき敷島は確信に迫った。

「殺家ー」のメンバーの写真を次々に店主に見せていった。

最初にグレープ。


「この男知ってる?」


「知らないですねえ」


次にラズベリー。


「この男は?」


「知らないです」


次にストロベリー。


「知らないですねえ」


ラズベリー→知らない


マンゴーの写真を見せた時、しかし、答えが違った。


「あ、うちのお客さんだ」


(つづく)

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