第57話 半分でも背負わせない

 森の中を逃げる。逃げる。逃げる――でも足音は後ろからずっとついてくる。

 頭の中が混乱している。どうしてこうなったんだ。別れる前まで、笑い合っていたはずなのに。今は俺にもカナリにも笑顔はない。変わらず笑っているのは、シルファだけ。


「ねーちゃ、逃げたらダメなのよ!」

「逃げなかったらどうなるんだ? 教えてくれよ!」

「シルファが殺すの!」

「はっ! だったら逃げるに決まってるだろ!」


 逃げるという領分はカナリの専売特許だが、今回は相手が悪いし、場所も悪い。

 崖の出口に向かってはいるが、森遠墓所の中はシルファのフィールド。そしてシルファの足の速さは、カナリより少し遅い程度。まるで木々の間を飛ぶように駆けてくる。これならウサギの数え方がなのも納得だ。いくら足が速かろうと、有利不利で言ったら、不利の側に天秤は傾いている。

 盗賊のナイフの鈴の音も鳴りっぱなし。まぁ、ナイフおかげで天秤が傾ききらずにいるわけだけど……


「シオンも黙ってないで、なんか手を考えろ!」

「わかってる……わかってるよ!」


 ナイフは、目の前の木を右に避けるべきか左に避けるべきか、を回避する方法しか教えてくれない、とカナリは言っていた。

 カナリが左に避けた木の右側面に、シルファの鎌が食い込む。右側のほうが草の丈も低く、避けやすそうに見えた。だからと右に避けていたら、首が胴体からさよならしていただろう。


「すごいの! すごいの! ねーちゃ、よく避けたのよ!」


 木にめり込んだ鎌を抜き、シルファが感嘆の声を上げる。それだけ間近に迫られていたカナリに、返事をするような余裕はない。

 この事態そのものを解決するのは、カナリではなく俺の役目。それがナイフが出した答え。だからって、俺がどうすればいいかまでは教えてくれないらしい。無機物が男女差別すんな。もうちょっと俺に優しくしろよ。


「俺は無機物になに言ってんだ……」


 文句を言う前に考えろ。カナリは逃げるのに集中しなきゃいけない。だから俺が考えなきゃいけないんだろ。どうする、どうすればいい……

 カナリが絶えず走っているおかげで、少しだけシルファと距離が開いた。だけど、カナリだって無限に走り続けられるわけじゃない。足だって治りたて。このままじゃ、シルファに捕まるのも時間の問題だろう。


「……カナリ、シルファと話がしたい」

「この状況でかよ。話、聞いてくれんのか?」

「シルファはこの追い駆けっこ――いや、鬼ごっこを楽しんでる。話してる最中に襲ってはこないと思う」

「思うかよ……」

「そうだ。だから、すぐに逃げる準備だけは怠らないでくれ」


 返事はない。でも、カナリの走る速度が落ちる。……ありがとう、カナリ。

 シルファの気配はどこにも感じない。でも、いる。見られている。獲物がなにをするのかを観察している。冷や汗が止まらない。狩人に狙われてる獲物って、こんな気持ちなのかな。


「シルファ! 話を聞いてくれ!」

「――なーに?」


 上か正面か横から聞こえてくるのか、シルファの声は木々に反響し、居場所が絞れない。……それでもいい。俺は声を上げるだけだ。


「こんなことをして、本当に楽しいのか?」

「楽しいのよ。とっっっっても楽しいのよ!」

「俺たちと一緒にご飯を食べたり、釣りをしたときよりもか!?」

「もちろんなの!」


 当然だ、とシルファがよどみなく答える。


「獲物が逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて! それをシルファが追って狩るの! 狩るのよ!! 逃げれば逃げるだけ楽しいの! 手ごわければ手ごわいだけ楽しいの!」


 逃げてはダメだと口にしながら、逃げること期待してる。それは狩りになるからか、それだけ楽しい時間が延びるからか。でも、聞きたいのはそんな楽しさじゃない。


「違うシルファ……! 俺が聞きたいのは、そういう冷たいものじゃない! もっと温かいものだ! 三人でいたとき、なにも思わなかったのか!? 戦う楽しさじゃなくて、一緒にいる温かさを!」

「うん。あったかかったの。心地よかったの」

「だったら……」


 一緒にいたときのシルファの笑顔をウソだと思いたくない。笑顔を向けた相手を、平気で斬ろうとするシルファであって欲しくない。


「ありがとうなの、シオンにーちゃ、カナリねーちゃ。昔を思い出したのよ。薄れてたけど、これでいつでもあったかい気持ちになれるの。だから、二人が死んでもシルファは悲しくないのよ」


 ……でも、笑顔はウソじゃなくて、俺たちに鎌を向ける姿が、本当のシルファだったら。


「だから早く逃げるのよ。それとも戦うの? お墓に倒れてた木って、ねーちゃが伐ったんでしょ? 最初は期待してなかったけど、今は期待してるのよ!」

「シルファ!!」


 叫びに答えたのは、声ではなく風を切る一本の矢だった。

 矢は穴の後ろに当たり、ガチンと甲高い音を立てた。


「チッ! そっちかよ!」


 カナリは穴を抱え、来た道を引き返すように、また森の中へと入る。知らぬ間に後ろに回りこまれていた。なら、遺跡へと戻るほかない。


 後ろを見ると、弓を草むらへと投げ捨てるシルファが見えた。矢を放ったのは、挑発、だったんだろう。さぁ逃げろと追い立てるために、わざと外して、穴の後ろを狙って。

 シルファは逃げ道を塞いだぞという具合に、ゆっくりと歩いている。ジワジワと狩り立て、追い詰め、獲物を仕留めるつもりなんだと思った。


 笑っているシルファが怖い。いつもと変わらない笑顔が怖い。どうしてあんな顔ができる。どうして笑える。

 ……シルファの思考は、完全に俺の常識の外にある。そんな相手に、俺はどうすればいい。今すぐ犯罪心理学なんか理解できない。説得なんて、端から無理があったんだ。

 それより、ここから逃げる手段は、カナリが無事で済む手段は……


「……ある。ガルスだ……」


 カナリはシルファに、ガルスの存在ことを教えていない。そもそもマーニデオの魔女の存在さえ知らないだろう。普通の魔物なら数体まとめて倒せる魔狼だ。いくらシルファでも攻撃が躱せるとは思えない。

 けれど――


「……ったく、先に言いやがったな。ダメだ。ガルスは召喚できない」


 ――魔狼の召喚師が、首を横に振る。


「まさか、召喚できなくなったのか!? それとも魔力が戻ってないのか!?」

「違う、違うんだシオン。ガルスは召喚できる。でもな……シオンがガルスを望んじゃダメなんだよ。だから、オレはガルスを召喚しない」

「どうしてだよ! このままじゃ、シルファに殺されるんだぞ! それでもいいのか!?」

「イヤに決まってるだろうが! だから今、こうして逃げてるんだろ! じゃあ聞くけど、シオンはシルファに死んで欲しいと思ってるのか」


 カナリはと言った。きっとガルスは、殺さず撃退なんて器用なことはできないんだろう。それでも俺は……


「っ……」


 言葉が詰まる。答えられるわけがない。

 ……シルファの笑顔を怖いと思った。思ったけど、それでも、少し前にはその笑顔を見て、俺も笑ってたんだ。一緒にいられて楽しかったんだ。そんな相手に、死んで欲しいなんて思えるわけがない。


「だったら、簡単に諦めるな。オレが無事で、シルファが死ななくて、シオンが余計なもんを背負わない手を考えろ。諦めるのは、最後の最後の最後でいい。それまで諦めるな。それでもダメだったら、オレがオレの意思で、ガルスを召喚ぶ」

「それはダメだ! また前みたいなこと思ってるのか? 俺は勇者で、もっと相応しいところがあるって? んなもんあるわけないだろ! 俺は勇者じゃない! だから俺の命令でガルスを召喚べよ! それに俺は、俺は――」


 ――もう一人くらい背負っても、大丈夫だから。


 また、言葉が詰まった。最後まで言えなかった。……怖い。カナリに知られるのが怖い。カナリに嫌われるのが……怖い。

 なのに、うつむいた俺の頭を撫でたのは、カナリの手だった。嫌われたくない相手の手が、髪を優しく撫でる。


「そんなん知るかバーカ。シオンがどう思ってようが、オレにとっての勇者は……あー! そんなのどうでもいい。なにかあったら、オレにも半分背負わせろ。それでもイヤならどうにかしろ」

「……俺にできるのかな」

「できるさ、諦めなきゃな。今までだってどうにかなったんだ。きっと今回も、どうにかなる」


 ……人の気も知らないで、気楽に言ってくれる。


「ふぅぅぅ……よし!」


 気合を入れる。

 カナリには、半分だって背負わせてやるもんか。だったら、シルファを殺す以外でどうにかするしかない。

 説得でも、ここから逃げるでもいい。ナイフが見た未来を、俺が作ってやる……!

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