第56話 間幕 狂い 壊れる 少女

 崖の上に少年と少女が立っている。

 少女は楽しそうに、少年は面倒そうに。

 その姿を霧のように揺らめかせ、眼下の森を見ている。


「グレン、あの子が例の子なのかな? ウサギだウサギ。ぴょんぴょん跳ねてる」

「うん……あいつだよ、リヴ……」


 眼下には二人。正確には三人の演者が、舞台の上を舞っていた。

 身の丈より長い武器を振り回し、ウサギの少女は森を跳ねる。

 不細工な剣とナイフを防御に使い、長い髪の少女は地を駆ける。


 ウサギはなにを見て跳ねるのか――と、リヴと呼ばれた少女はうたう。その様子を鬱陶しそうに、グレンと呼ばれた少年は顔を顰める。


「知ってるくせに……」

「知ってるよ。中身は知ってるさ。グレンが調べないから自分で調べた。ウサギの子も喋ってた。だから知ってる。グレンもあの子たちも、知っている」

「細かいところはかか様の力を借りたくせに……」

「それは言わない約束ってもんだよ、グレンつぁん」


 ――シルファ=シーフォ。跳兎族バウンズの少女。参拝にくるものもいなくなった森遠墓所と呼ばれる遺跡の、墓守の一族として生まれ、先祖と同じように死んでゆくはずだった少女。

 シルファの人生が狂った最初の出来事は、集落が魔物に襲われたことだろう。シルファ一人が生き残り、祖母を殺したブレードボアに復讐を誓った。……ただ、ここまでであれば、遺跡には一族の墓以外ができることはなかった。


「難儀だね。試練だね。勇者はどうなるのかな」

「死ねばいい……死んで欲しい……そうすれば……」


 グレンはズキズキと痛む自分の左腕を押さえ、シルファを睨む。


「あいつを殺せる……!」


 半年ほど前、グレンはこの集落へと足を伸ばしていた。

 使えそうな手駒はないか、なるべく簡単な奴がいい。その眼鏡に敵い、白羽の矢が立ったのが、シルファだった。

 両親を亡くし失意に暮れる少女。裏から操るのは容易だと思っていた。ただ、本当に駒として使うのかもわからない。リヴのように長々と世話を焼くつもりはなかったグレンは、様子見で近づいただけだった。


「シルファ、帰ってきたよ」

「……とーちゃ!」


 父親のフリをし、グレンはシルファに近づいた。

 そして――


「とーちゃはとーちゃじゃないの。なのに、とーちゃの顔してるのよ。不思議なの。でも、そんなのどうでもいいの。あなた強いの。シルファわかるの! 強いと楽しいの! ねぇ、遊ぼ!」

「この……ガキ……!」


 シルファは父の顔をし、父の声をしたグレンの左腕を、切り落とした。


 このとき、すでにシルファは狂っていた。

 シルファの墓守としての人生が狂ったのが魔物の襲撃によるものなら、シルファが狂ったのは人の欲によるものだろう。


 ――一年と半年前、集落の住人の墓を作り終え憔悴しきったシルファの前に、三人の若い男が現れた。ブレードボアは森遠墓所の集落を襲う前、魔物を率い、とある村を襲っていた。その村の生き残りは魔物、特に群れのボスだったブレードボアに懸賞金をかけた。シルファの前に現れたのは、そのブレードボアの足取りを追っていた冒険者だった。

 手負いのブレードボア一体だとわかった冒険者は、懸賞金がかかっていることもあり、三人で倒してしまおうと森に入っていった。シルファは三人を止めた。ブレードボアを倒すのは自分だと、必死にすがった。だが、冒険者はシルファを縛り上げ、遺跡の中に放置していった。二日後、なんとかロープを解き森に入ったシルファは、死んでいる三人の冒険者を見つけて、墓を作った。


『シルファが弱いから、連れて行ってくれなかったの』


 数ヵ月後、死に物狂いで一人で訓練をし力を付けたシルファは、父親の折ったブレードボアの牙で武器を作り、傷が癒えぬまま弱っていたブレードボアを発見し――打ち倒した。素質もあったのだろうが、ヒビの入った心が己の甘えを捨てさせた結果でもあったのだろう。


 思ったよりあっけなかった、こんなやつのために集落は滅びたのか、とシルファは落胆した。

 それから数日が過ぎた頃、こんどは五人の冒険者が現れた。その冒険者は死んだ三人の仲間だった。シルファは起こったことを説明し、仲間の墓とブレードボアの死体を見せた。


 それがシルファの間違いだった。ブレードボアは逃げたと説明すればよかった。


 冒険者たちは仲間の死より、魔物の懸賞金を心配した。このままでは、魔物の捜索に無駄な金を使っただけだと。だから……シルファを殺し、自分たちがブレードボアを倒したことにしようと画策した。


 短絡的であり、人として最低な思考。だが、こういった考え方をする冒険者は存在する。

 名乗れば誰でも冒険者。しかし冒険者になり、まっとうに財宝を発見し富を得られるのは一握り。一箇所に留まれない盗賊や罪人が生活のために冒険者になったり、身を隠すために使う便利な言葉でもある。

 そしてシルファの前に現れた冒険者は、まっとうでないほうの冒険者だった。


 こうしてシルファを獲物にしたウサギ狩りが、森で始まった。

 いくらシルファが、お金はいらない、誰にも言わない、と叫ぼうと、誰も聞きはしない。冒険者は逃げるウサギを追う狩りに熱中していたから。

 森の中の狩り小屋に逃げ込み震えるシルファを見つけたのは、殺人で街を追われた盗賊の男だった。

 泣き叫ぶシルファを殴り黙らせ、楽しみながら殺そうとした男は――


「なぐば……?」


 ――喉と口からブクブクと赤い泡を吹き、物言わぬ死体となった。

 この冒険者たちの誤算は、墓守とはどういうものか知らなかったこと。森遠墓所を守るため幼い頃から両親に技術を教え込まれ、ブレードボアを倒すため力を付けた少女を侮ったこと。

 墓守の相手は魔物だけではない。遺跡を荒らそうとする人も対象となる。その技術は、シルファに正しく継承されていた。


『はぁ……はぁ……っ!』


 一人目は、思わず殺してしまった。

 二人目は、泣きながら殺してしまった。

 三人目は、少しだけ冷静に殺した。

 四人目と五人目は、とても冷静に狩った。


『なに笑ってやがる……この、ばけ……もの……』


 死にゆく冒険者が、傷だらけで赤く染まるシルファに、語りかける。


『化け物? シルファ、笑ってるの?』


 答える者は、もういない。目の前の男は、すでに事切れている。


『強かったの。疲れたのよ……』


 最後の二人は、ブレードボアを殺すよりも時間がかかった。

 仲間が殺され警戒した冒険者により、一対二という状況になったことも原因ではあったが、残った冒険者は手練てだれだった。背中合わせに警戒し、窪地から脱出を図ろうとする冒険者。しかし、シルファは逃さない。ウサギ狩りから人狩りへと立場も様相も変えて、真正面からでは勝てないと思えば地の利を活かし、用いる技術を総動員し、二人を狩った。


『……フヒッ……ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!』


 痙攣したようにシルファが笑う。


『あー、楽しかったの!』


 強い者と戦うのは、こんなにも楽しいのか、と。

 大きくビビ割れた心に、甘露のような満足感が広がる。集落が滅び、訓練以外で初めて無心に、夢中になれた。

 身に付けた技術を、力を、存分に使うことができた。ブレードボアだけでは物足りなかった心が満ち足りた。


 ――こうしてシルファは、壊れて、狂った。


 リヴは創造主から借りた力で過去のシルファを見て、楽しそうに口を歪ませる。


「もう何人殺されたのかな。ブレードボアを埋めたのも、懸賞金目当ての冒険者がくるから。ほかにも遺跡を盗掘しようとした賊でしょ」


 そのたびに、遺跡の広場には墓が増えていった。ただ、森遠墓所に入り、普通に外へと出た者もいる。


「弱い子には普通ってのがイヤらしいとこだよねー。ウサギさんのルールは三つ。遺跡の盗掘屋には容赦しない。お墓の秘密を知ったら容赦しない。そんで一番重要、強かったら容赦なく殺しにかかる。三つ目が理不尽だよ。面白い子だね。我慢できない子かな」

「そんなのどうでもいい……早く勇者を殺してくれよ……」


 グレンの左腕に走る痛みは幻痛。痛みは心の中にのみ存在する。すでに傷も傷跡もない。油断していたとはいえ、そもそも腕を切られた程度でどうにかなる存在ではない。だが、見下している存在が自分を傷つけた。そのことがグレンには許せない。


「どっちでもいい……死ね……シネシネシネシネシネ……早く死んで殺させてよ……!」


 二人には創造主から、ある制約が設けられていた。それは対象に、直接手を出してはいけないというもの。正体をバラしてもいけない。そのため、グレンはシルファに殺意を持ちながらも、殺せないままでいる。

 この制約が解けるのは、彼らの存在を正確に認識し敵対した場合か、勇者の道を閉ざした場合。

 シルファは、グレンの存在を正確にはわかっていない。だが、勇者を殺すか、従者を殺し穴を閉ざした場合、シルファにたいしての制約が解ける。だからグレンは死を望む。

 シオンとカナリ、どちらか死ねばシルファも死ぬ。


「ほんとーに、試練だね」


 リヴは笑いながら、グレンは爪を噛みながら、勇者自らが飛び込んだ試練の行く末を見ている。

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