第49話 しばしの宿
小屋から歩いて一時間弱、シルファの住む集落へと到着した。建ち並んだ十数件の丸太組みの民家。見た目だけなら、立派な集落。
カナリとシルファ、二人の足音だけが集落に響いている。他に音はない。生活の音が、どこにもないんだ。
「元、集落だな」
「まさかシルファ以外、魔物の襲撃で全滅してるとはね……」
民家に近づくとよくわかる。苔生し蔦の這った壁。床板の隅には落ち葉が溜まり、雨水と合わさり腐っている。人が住んでいるようには思えない。出口の魔物を倒せと頼む相手がいなくなってしまった。
魔物の襲撃はしばらく前。生き残りはシルファ一人。生き残ったのは偶然。たまたま祖母と森に食料を採りに行っていたから、魔物の襲撃とかち合わなかった。
「ばーちゃも、生き残ってた魔物に殺されたのよ」
ほとんどの魔物は、集落の住人と相打ちとなり倒れていた。しかし、一体だけ生き残っていた魔物がいた。魔物は祖母を殺し、傷付いた体を引きずり、森へと消えたらしい。
その魔物の名は、ブレードボア。襲撃した魔物のボスであり、刃の牙を持つ巨大な猪。
「シルファの鎌は、とーちゃが折ったブレードボアの牙で作ったの。これで仇を討つの」
「危なくない? どこかに討伐を頼むとかさ。教会の騎士とか」
「ダメなのよ。一族の仇は一族の手で討つの。あの片刃のブレードボアは、誰にもあげないのよ」
説得しようとする喉が詰まる。シルファの声には気迫があった。その気迫が滲み出るほど、自分の手で決着を付けようとしているのだろう。
「あそこがシルファのお家なの。にーちゃもねーちゃも入って!」
どうしたものかと悩んでも答えは出ず、シルファの家の扉をくぐる。中は思ったより広く、キレイに整頓されていた。そしてなにより、人が住んでいるのだという気配が残っていた。その気配に安心してしまう。
「あー!! ごはんの用意しようと思ったけど、お客さんがくるなんて考えてなかったの。材料が足りないのよ……」
鎌と呼んでいた武器を置いたシルファが、奥の部屋から慌てて戻ってきた。そこは台所だったのか。
時間は昼というか、もう夕方になりそうだな。
「そういえば、川でお魚を捕るつもりだったの。すっかり忘れてたの。今からなにか捕ってくるのよ!」
「それなら心配しなくていいぞシルファ。おい、シオン」
「はい。なんでしょ」
「メシの準備できるか? オレたちのせいで魚が捕れなかったみたいだしさ」
「それはもちろん」
助けてもらったうえに、これ以上の手間をかけさせるのも悪いからね。両親もまた出張で家を空けてるし、今日の晩飯の料理当番は俺だ。その点でもちょうどいい。
「カレーでいいか?」
「なんだよ、カレーあるのか!?」
「レトルトだけどね。米なら今朝炊いたのがあるし。イヤなら別のを探してくるけど」
「いい、いい! それでいい! カレーがいい!」
すっかりカレーの虜だな。よし、リッカには悪いけど、今日はレトルトで勘弁してもらうか。料理するのが面倒とかでは決してないよ?
「かれー? ねーちゃ、かれーってなに?」
「美味い食べ物だぞ。食べたら他のもの食えなくなるかもな」
「そんなに美味しいの? シルファも食べたいの!」
――というわけで、カレーを用意してきました。
「おー……これがかれー……まるでう――」
「それ以上いけない」
絶対に口にしてはいけない言葉だ。特にカレーを食べるときには。子供らしい無邪気さというのは、ときに恐ろしいものである。脊髄反射レベルで思ったことを喋ったりするし。
「シルファは辛いのダメかもしれないから、
「へーきへーき。そんな薄い色したのは子供に食わせとけ」
甘口はそんなもんだろ。シルファのに比べたら、カナリのカレーは濃い茶色をしてる。
「んじゃ、いただきまーす」
「まーす! なの!」
二人の口に、カレーを乗せたスプーンが入る。
「ん~~~~! 美味しいの!」
シルファは目を輝かせ、カレーを次々と口に放り込んでゆく。よかったよかった。やっぱりカレーは正義だよね。
……さて、一方カナリは……
「――ッ! ――ッッ! ――――ッッッッ!!」
スプーンを咥えたまま、テーブルをバンバン叩いている。……あれー? いつもの中辛を用意したはずなんだけど。
手元にあるのはカナリが食べたレトルトカレーのパッケージ。そこにはいつもの商品名に続けて、こう売り文句が書かれていた。
『ニオイは抑え目、味は濃厚! 辛党でも満足! 辛さ五十倍カレー!』
ええい、まぎらわしい! なんで同じような色のパッケージをしている! カナリの様子を見るに、ウソを書いてはいなかったようだ。
「ごめん、間違った」
「――ッ! ――ッ!」
なにか文句を言っているようだが、言葉になっていない。ホントにごめん。
「はい、デザートに用意してたヨーグルト。辛味が和らぐらしいよ」
「――ッ!」
奪い取られた。シルファが甘口でも辛いようならと思って用意してたんだけど、役に立った。
「なにそれ! シルファも食べたいの!」
「もちろん用意してるよ。はい、シルファ」
「わーい! ふあぁぁぁぁ! これも美味しいの!」
「うんうん。たんとお食べ」
口の周りをベタベタにしちゃって。そこまで一生懸命食べてくれたら、作ったかいがあるよね。ヨーグルトは三つで百円のやつだし、カレーはお湯で温めただけだけど。
「カナリは大丈夫か。いやマジでごめ」
「もぐもぐもぐもぐ……」
食ってる。五十倍食ってる。もりもり食ってる。汗をスゲー流しながら食ってる。
「ムリして食べなくても大丈夫だぞ?」
「……慣れると美味い」
「ア、ソウ。ナラヨカッタ」
カナリの新しい扉を開けてしまったのかもしれない。辛党という名の新しい扉を。
そして二人のカレー皿は空になり、ようやく人心地ついたようだ。俺の晩飯はリッカが帰ってからでいいか。どうせ文句を聞かなきゃいけないし。
「あーーーー……」
いや待て、これを人心地と言っていいのだろうか。椅子に座って真っ白になってる。やり遂げた感がすごい出てる。試しにパックに残ったルーを舐めてみたけど、よく食いきったと褒めてやりたいくらい辛かった。というか痛かった。バカじゃないの? 次からはちゃんとパッケージを見て買おう。
「おーい。これからどうするか話し合いたいから、とっとと正気に戻れー」
「へいへい。なにを話すんだ」
「色々あるだろ。サラちゃんとセリたんにどうやって連絡を取るかとか、入り口にいるっていう魔物をどうするかとか。最初の目的、覚えてるか?」
「そういや、温泉が目的だっけか」
忘れてんなよ。セルドストに湯治に向かってんだろ。
「足、大丈夫なのか」
「んー……なかなか痛みは引かないな」
集落に向かってる最中も、ずっとかばって歩いてたしな。馬車もないし、歩みは遅かった。一応シップを張ったりしたけど、どこかでゆっくり休ませないとダメだろう。
「それなら、ここでゆっくりしていけばいいの!」
「シルファ……でも、そこには魔物も出るんだろ」
「それなら大丈夫なの。今はここブレードボアの縄張りだから、他の魔物も出口から入ってこないのよ」
「なら、そのブレードボアは?」
「ずーっと姿を見せてないの。たぶん、怪我をしてて隠れてるの。おかげでシルファも探すのが大変なのよ」
「ふーん。集落を襲って痛い目を見たから、近づかないのかね」
その可能性はあるかもな。集落=危険という認識をされて、シルファのニオイを感じ取って逃げてるかもしれない。そして、ブレードボアがいるかぎり、他の魔物も警戒して森の奥には入ってこないと。
「なら下手に動くより、集落にいたほうが安全ではあるか……」
「このあたりにブレードボアより強い魔物はいないから、出口にいる魔物もシルファで倒せるの。ねーねー、早く倒すから、それまでいて欲しいのよ」
肉親も隣人も亡くし、一人で集落に住んでいる少女の願い。どうしよう、俺には断れそうにない。
「いいんじゃないか? どーせ出れないんだ」
チラリとカナリを見ると、同意してくれた。それもそうなんだけどね。
「サラたちに連絡を取ろうにも、方法なんてないだろ。崖が高くて狼煙なんて役に立たねぇし、連絡を取れるような魔法も使えねぇし。シオンはなんか手があるのかよ」
「正直なとこ、思いつかない」
「なら待とうぜ。その間に考ればいい。運がよけりゃ、サラたちがここまでくるかもしれないし。それより、汗かいたから風呂に入りたい」
「まったくカナリは……まっ、そうだね。てわけでシルファ、少しお世話になります」
返事を聞いて、シルファの目が輝く。
「んやったー! なら、温泉に案内してあげるの!」
「え、温泉あるの?」
「うん! あるのよ! こっちこっち! あ、ゆっくりとなの」
カナリの足を気遣い、シルファは優しく手を引いている。家を出て数分、集落の端に目隠しで囲まれた温泉があった。木の扉を開ければ、シルファが掃除しているのか、枯葉が積もったりはしていなかった。色は無色透明。硫黄の臭いではないけど、少しだけ鼻をつく臭いが漂っている。
「怪我したら、みーんなここで治すのよ」
「へぇ……セルドストの温泉と同じ効果なのかな」
もしかしたら、源泉が同じなのかもしれない。それならカナリの足にもいいだろう。いいなぁ、温泉。
「温度も丁度いいみたいだ。よし、カナリ、入ろうか」
「よし、じゃねぇよ」
穴の向こうが急に暗くなる。これは……皮の手触りだ、間違いない。
はい、上着で穴を雁字搦めですね。わかってましたよ。
「ねーちゃ! 早く脱ぐの!」
「シルファも一緒に入るのか?」
「そうなの! お掃除して疲れたから入るの!」
「服を脱ぎ散らかすな。子供か……子供だったな」
キャーキャー騒いでるなぁ。楽しそうでなによりなにより。そんで怪我も早く治しておくれ。あの逃げ足がないと、やっぱり不安だしさ。
「おー……ちっちゃいけどシルファよりおっきいの。シルファ、ぺったんこなの。触っていい?」
「ダメだ。こっちくんな」
「えーーーー! やーだー! 触ってみたいのー!」
…………目から流れる液体が口に入ると、鉄の味がした。
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