三章 森遠墓所
第47話 望むとも望まざるとも
どうしてこうなるんでしょうね。
目の前の穴から飛び出している太い枯れ枝を見ながら、ふと人生はこの枯れ枝と同じではないだろうかなどと考えてみたり。はい。現実逃避ですごめんなさい。
「カナリー! 大丈夫かー!」
「お、おー……なんとかなー……」
枝の隙間から聞こえてくるカナリの声は遠い。理由は十メートルいっぱいに離れてるせいだろう。ただ離れてるだけならいいけど、カナリの声は下から聞こえてくる。それが一番の問題で。
なんと穴の向こうは崖。カナリは見えない命綱に繋がれた宙吊り状態。今は崖の途中に生えていた枯れ枝に穴を引っかかり、なんとか下に落ちずに済んでいるというわけ。
「一分で絶体絶命とか、どういうことなの……」
セルドストの近くまできた隊商から別れ、あとは山道を通り、数時間もすれば到着するはずだった。ついさっきまで、サラちゃんが御する馬車に乗っていたのに。サラちゃんに御者を代われとか無茶を言われて、ムリだって断ったりして。いつもどおりだったんだよ。
それがまぁ、イマハナニモカモガナツカシイ。
「馬車の車軸が折れたと思ったら、あっという間だったからなぁ」
荷台の崖側に座ってたのがそもそもの運の尽きか。山道が崖の上過ぎて、サラちゃんの声はすれども聞き取れない。それだけ下に落ちたってことか。はっはっはっ。どうしよう。
「上はどうなってるー!?」
「サラが手を振ってるのが見える……おーい! あ、シオン! サラがロープ降ろしてる! 掴め掴め! オレまで届かない!」
そんなこと言われてもなぁ。ロープの端はチラチラ見えてはいるけど、風のせいでけっこう揺れてるし、まだ遠い。それに枝が邪魔で手が届きそうにない。
幸いにして下は川だし、引っかかった位置からしてそこまでの高さはないはず。上から見た感じ深さはありそうだが、流れも強くなかったし、川に落ちたら落ちたで岩かなにかを掴んで、ゆっくり助けを待てばいい。山育ちで何メートルもの高さを五点着地できるんだから、それくらいできるだろう。
崖から落ちたときは肝が冷えたが、今はそんな状況なのでそこまで焦ってはいないんだよね。足の怪我の悪化が心配だけど、崖から落ちてそれくらいで済むなら御の字と言ってもいい。カナリが使ってたスマホは机の上で充電中だし、水に濡れて困るものはないかな。
「早く! シオン早くしろ!」
「ムリだー! 俺もロープ掴めない! そのまま我慢してろー! 下は川だし、落ちても平気だろー!」
「はあぁぁぁぁっ!? 平気じゃねぇし!」
まぁ、落ちないでいいならそれに越したことはないけど。だったら宙吊り状態で我慢してもらうほかない。さて、ロープはセリたんが持ってたんだろうけど、足りない分のロープを用意できるのは何時間後になるだろう。俺が上にいれば用意できただろうけど、くっ付いて落ちちゃったし。
「セルドストまで行かなきゃ用意できないとかだと、どれくらいかかるかな。さすがに半日とかはいかないと思うけど……」
空腹は耐えてもらうとして、飲み物だったらカナリは魔法で出せる。他には……
「あ、トイレ……は大丈夫だな。おーい! どうしてもダメだったら、我慢しなくていいからなー! 下は川だからー!」
「○%#$▽◇&¥!!!」
スカカカンッ! と枝に氷の爪楊枝が飛んできた。うおー、こえー。顔に当たったらどうする。これ以上、穴を増やすな……って、そんな威力はないか。
ぶっ殺すとか叫んでたような気がするけど、きっと気のせい。
「だったら、しばらくそのままで――あ」
枝からメリメリと嫌な音が鳴る。思ってた以上に脆くなってたようだ。これは穴が引っかかって限界だったのを、爪楊枝でトドメをさしちゃった感じかな。
「カナリー! 枝が折れるから腹くくっとけー!」
「はぁ!? くくくくれるわけねぇだろ! どうにかしろ! いいからどうにかしろ!」
どうにかしたくても、枝から鳴る音はますます大きくなっている。接着剤でどうにかなるもんでもない。
「諦めろー!」
「諦められるか! やめろって! ほんとにやめて! お、泳げない! 川に落ちても泳げないから!!」
「……ほう」
それは焦るのも納得だ。そっかー、泳げないかー……
「じゃあダメじゃないか!」
一際大きな音を立て、枝が部屋の床に落ちる。手を伸ばしたのは穴の向こう、揺れているロープ。――だが、ロープは重力に引かれ落ちる手をすり抜ける。もちろん、重力に引かれているのは穴のほう。
聞こえてくる重い水音に、冷水を被せられたように体が凍りつく。
「カナリッ!!」
流れる水面からカナリが必死に手を伸ばしている。こんなことなら、トイレの心配じゃなくて水中の浮き方を教えればよかった――ああくそっ! いまさらだろ! なにか浮き輪の代わりになにか……ペットボトルなら!
外に置いてあるボックスから、二リットル入りのお茶のペットボトルを取り出す。中のお茶を捨てて蓋を閉めれば、少しは浮き輪代わりになるはずだ。
「受け取れ!」
だが、投げたペットボトルは風に流されあらぬ方向へと飛んでいってしまう。そのままじゃ重さが足りない。なら、次は中身を少し残して……今度は上手くカナリの手元へと落ちてくれた。
カナリはペットボトルを掴み、なんとか浮いている。よかった。でも、このままじゃダメだ。今は流れがそこまで速くないから浮いていられるだけ。このまま流されて大丈夫という保障はない。滝や急流だってあるかもしれない。ペットボトル一個でなんとか浮けているカナリは耐えられない。そしてしばらく流され、その心配は現実になってしまった。
十メートル上から見る視線の先には、川が続いていなかった。正確には、川幅が細くなり一旦川が途切れ、離れた場所に続いている。
「マジかよ……」
この先に続いているのは、滝だ……!
机の中を漁ると、年末の掃除で使ったビニールロープが見つかった。これを使ってカナリの側までいければ……いや、顔をこっちに出せば溺れることはないかもしれないけど、体はどうしようもない。滝になんて落ちたら、体がどうなるかわかったもんじゃない。
どうにか落ちない方法を考えないと――
「――ッ! あそこだ!」
馬車を走らせていた山道の反対側に、浅瀬が見えた。カナリをあそこに辿りつかせることができれば……でも浮いている場所からは距離がある。カナリは泳げない。なら、俺がやるしかない。
長めに切ったビニールロープを手に結び、反対側にまだ中身が入ったままのペットボトルを結びつける。
「いけッ!!」
ディスプレイに叩きつけるように、ペットボトルを穴の向こうの浅瀬に投げる。穴はロープ付きの重しに引かれ、斜めに地面へと落ちてゆく。
ガチャリという砂利に落ちる音。急いで手を穴の向こうに入れ、砂利に指を突き立てる。流されるカナリに引っ張られ爪跡を残し、地面から突き出た岩になんとか捕まる事ができた。
「チ、クショ……!」
……重い! そして痛い! ひと一人を片手で支えるのは辛い! 肩の根元に穴が食い込む! 爪が割れたのか妙に濡らつく指先が滑りそうになるし!
ドライバーでも用意して地面に突き立てればよかった。このままじゃ俺の手が持たない。
「――ねぇねぇ。アナタは手の魔物さんなの?」
その声は穴の向こうから聞こえてきた。カナリじゃない。サラちゃんでもセリたんでもない、少女の声。
「そこに誰かいるのか!?」
「うわ! どこからか声が! アナタはどこで喋ってるの?」
「それは穴の向こうから――ってそんなのどうでもいい! 俺は魔物じゃない! 信じられないかもしれないけど、魔物じゃないから! だから近くに人がいるなら、誰か呼んできてくれないか!? 手を引っ張って欲しいんだ!」
誰であれ俺にとって天の声に等しい。もう指の力が抜けてきている。流されているカナリごと引っ張り上げてもらうには少女一人じゃ力不足でも、誰か呼んできてもらえればどうにかなる。
「近くに誰もいないのよ? いるのはシルファだけなの」
「さっそく目論見が外れるし! なら岩に手を結んで――」
「じゃあ引っ張るの!」
手首が小さな手に掴まれる。やはり声のとおり少女のもの。
「いや違うんだ! 実はひと一人くっつけてて重い」
「いくのよー!」
「――ッヅ!?!?」
少女の想像以上の力に、ミシリと手首の骨が軋む。痛みで思わず振り払いそうになるが、少女の手はピクリともしない。
「~~♪」
俺の腕だけの重さじゃなくて、カナリの分もある。それなのに、鼻歌混じりでジャリジャリと簡単に進んでゆく。
「――……ごほっ!」
「おー……! 人が釣れたの」
「カナリ! ここで大丈夫だ! 止めてくれ!」
あっという間に十メートルほど進み、カナリが浅瀬に引き上げられた。手を離してもらった俺は、痛む手でカナリに近づく。カナリは水を吐いてはいるが、意識はあるようだ。
「よかった……無事でよかった……」
無事を確認したら、どっと力が抜けた。服はぐちゃぐちゃだし、目から口から鼻から色々と垂れ流してはいるけど、カナリは無事だ。まったく、心臓に悪――いぃッ!?
「ど、どうしたのかな?」
カナリに髪を掴まれ、頭ごと向こうに出された。そしてね、目の前にはね、怖い顔したカナリがいるわけですよ。
「おーまーえーなー! どこが無事だよ! オレは泳げないって言っただろ! なんで助けなかった!」
「なっ!? そんな落ちる寸前に言われても、こっちだってどうしようもないわ! 山に住んでたんだろ!? 川で魚くらい素手で捕ってると思ってたんだよ!」
「あんな雪山にいて川で泳げるわけねぇだろうが!」
「知らんし! 永久凍土か? カナリんとこは雪が溶けないのか?」
「そうだよ! 一年中雪なんざ融けねぇよ!」
「そーかい知らなかったよ悪かったな!」
互いに額を突き合せ、キーッと歯を剥きあう。
お互いに平静じゃなかったからね。カナリは泳げない水の中にいたわけだし。俺も焦りから解放されたあとだし。あとは……売り言葉に買い言葉ってやつ?
「……今度は顔だけの魔物になったの」
「だから俺は魔物じゃないから!」
振り向いて、ようやく
想像どおりの小柄な少女。セリたんより少し背が高いくらいだろうか。民族衣装のような厚手の皮の服装。淡くふわふわした栗毛。そして一番目を引いたのは、頭から真上に伸びる兎の耳だった。
「獣人……だったんだ」
「そうなの!
俺たちを見て楽しそうに少女が笑う。
こうして俺たちは、跳兎族の少女――シルファと出会った。
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