第38話 間幕 狂善の正義
古くはあるが、手入れの行き届いた小さな屋敷の、とある一室。目深にシルクハットを被った老人が、メイドに案内されバーナードの前に現れる。
「ようこそいらっしゃいました」
机に座っていたバーナードは老人を満面の笑みで迎え、ソファーへと促す。メイドは運んできたカバンを置くと、頭を下げて部屋の外へと下がった。
屋敷まで足を運んだ老人を労うためか、バーナードが棚から取り出した酒瓶を、老人は手を振って断る。
「酔って割ってしまっては、困るのでな……」
「では、手に入ったのですね!」
喜ぶ声に呼応するように、置かれたランプの火が揺れる。
「約束は……?」
「ええ、ええ! もちろんです! たまたまウチのメイドと知り合いになりまして、街を案内するときに」
「けっこう……」
「ですがなぜ、あのような旅人に? せっかく頂いたマジックアイテムを使うにしても、旅人よりもっと確実な相手がいたはず」
「なにか文句でもあるのかね……?」
「――ッ! ここまで順調に進んだのも、すべては貴方のおかげ。文句などあるはずがありません」
「ならばよい……」
老人はカバンを開くと、中から大きな玉を取り出す。大きさは大玉のスイカほど。色は琥珀。受け取ったバーナードは、玉の不思議な感触に驚く。固くはあるが、押せば指の跡が薄っすらと残る。
「ひ……っ!」
押されたことが不満だったのか、玉の表面が盛り上がる。指に蠢くなにかが触れ、バーナードは思わず玉を落とす。堅い机に落ちそうになった玉を寸ででキャッチしたのは、老人だった。老人はカバンから厚手の布を取り出すと机に敷き、優しく玉を置いた。
「コレには防護の魔法がかかっている……だが、ここで死にたくなければ、丁寧に扱うことだ……」
「す、すみません」
謝罪を受けても老人は表情を変えず、玉を撫でている。まるで興味がないという具合に、頭を下げるバーナードを見もしない。
「適切な場に置けば、すぐにでも這い出てくるだろう……わかっているな……?」
「わ、わかっています。僕の目標のために、使わせてもらいますよ」
「期待している……」
立ち上がった老人をバーナードは引きとめる。しかし、家に残る気はないようだ。
「一緒に食事でも、と思ったのですが」
「長い時間、ここにおらぬほうがよいだろう……」
「そうですか、残念です」
メイドにカバンを運ばせるため、バーナードは机に置いてあった板のボタンを押す。すると、板からはリン――とベルの音が鳴った。それは、この世界ではない場所で、昔の電話に使われていたような呼び出し音。
「それは、どうしたのかね……?」
「例の旅人から貰ったものですよ。音が出るだけのマジックアイテムだそうです。音に少々品がないのが残念ですが、好意でいただいた品。メイドを呼ぶのにも役に立っています」
「そうか……」
入ってきたメイドにカバンを預けていた老人は、部屋の出口でバーナードに問う。
「キミはなぜ、この街を憎むのだね……?」
「またその話ですか……この街を憎んではいません。僕の生まれた街ですから。憎いのは、街の現状です。二年前に思い知ったんです。危険を冒して鉱山に入り、無用な犠牲者を生む。犠牲を食い物にし、空さえも汚し、街は発展している。そんなもの、到底許されるわけがないんです。ですがそれも……」
バーナードの視線が琥珀色の玉を向く。
「準備は整い、変革のときはすぐそこに。鉱山に頼ってはいけないと、いい薬になることでしょう」
「そうか……がんばって欲しいものだな……乗り越えられることを期待しよう……」
「この街は強い。なにがあろうと、絶対に乗り越えられます。そう信じています」
力強く拳を握るバーナードに満足したのか、老人は頷き部屋を出る。
「――失礼します」
老人を送り、メイドが戻ってくる。
目的のモノは手に入った。しかし時間は余り残されていない。バーナードはその手伝いを、メイドに申し付けていた。
「バーナード様、本当によろしいんですか?」
「よろしいもなにも、レイデンスはなにもしない。僕がやらなきゃいけないんだよ」
「ですけど、あんな怪しい……」
メイドの顔に浮かぶ不審に、バーナードの心がザワつく。
「なにを言っているんだい。僕たちが子供の頃から、ライフォーン家に援助してくれていた方じゃないか。そんな方が僕が困っていると知って、家にまできてくれた。感謝こそすれ、疑うものじゃないよ」
「っ……! 違います! このままでは街が大変なことになります! そのことはバーナード様だってわかっているはず! それにあの方は――」
「――黙れロラーナ。”僕を疑うな“」
バーナードの指につけた指輪が薄く光る。
その言葉に、ロラーナはピタリと止まり、姿勢を正した。まるで稼動していた自動人形が、電池切れでニュートラルな姿勢に戻ったように。
人の思考を操作し、指輪が壊れることも辞さなければ、完全な操り人形さえ何人も作ることができるマジックアイテム。老人はこの指輪を、『ケルティスの苦悩』と呼んでいた。行き先のわからない者を導く指輪だと。
正しき道を説くのが自分の役目だと、バーナードはその指輪を受け取っていた。
「この玉を鉱山まで運んでくれ。事故のあった坑道に置くだけでいい。あとはわかっているね?」
「仰せのままに」
ロラーナが頷き玉を持ち上げると、ランプに照らされ丸い影が床に落ちる。その影に、細長く蠢く姿が映し出された。だが、それを気にする者はもういない。
「目立っては困る。今度はちゃんと、私服に着替えるんだよ」
「はい。バーナード様」
敷かれていた布で玉を包むと、ロラーナは大事そうに胸に抱き、部屋を出てゆく。
「…………はぁ」
ドアが閉まり、口から出る溜息と、微かな後悔。
――ロラーナがライフォーン家にやってきたのは、もう十年も前のこと。存命だった父親が、隣街の閉鎖される孤児院から引き取ってきた子供だった。可哀相だったから、と父親は語っていた。祖父が受け継ぐはずの優しさは、全て父親が受け継いだのだろう。バーナードはそう思い、拒否はしなかった。貧しい家がさらに貧しくはなったが、ロラーナは幼いながらライフォーン家ただ一人のメイドとして、努力を惜しまなかった。
「まったく、困ったものだ」
――溜息は、何度操ろうと抵抗してくるメイドに。
――後悔は、せっかくもらった指輪の寿命を縮めてしまったことに。
バーナードにとってロラーナは、友人であり、幼馴染であり、妹であり――命令に従う者である。ロラーナはライフォーン家のメイド。あとからなにを付け足そうと、根源は変わらない。
主人を裏切ることは決してあってはいけない。さらに主人の正義を疑うなどもってのほか。なのに何度指輪で思考を誘導しようと、しばらくするとロラーナの洗脳は解けてしまう。レイデンスに告げ口をするようなことはなかったが、頭痛の種に変わりない。
「でも、それも終わりだよ、ロラーナ」
ロラーナを強く洗脳してしまったことに、罪の意識など微塵もない。なぜなら、バーナードは自分の行いを正義だと信じているから。正義である自分の行いを疑っていないから。
自分は正義だ。自分に反抗する者は悪だ。街の事情など関係ない。だって、正義である自分が嫌がっているものが、正しいわけがない。
だから壊す。正しくないものを消し去る。どんな手段を取ろうとも、それは正義の行い。
「全て終われば、キミもわかってくれるだろう。なにせ――」
それが独りよがりの狂った正義だと気付きもせず、己のしていることを疑いもせず、バーナードは狂善に酔いしれる。
「――街を救う聖女になれるんだからね」
その呟きは、誰に聞かれることもなく消える――はずだった。
屋敷から遠く離れた広場から、老人は聞いていた。聞こえるはずもない距離にいながら、はっきりと。
「己の正義を信ずる者の、なんと恐ろしいことか……」
一言漏らすと、老人の姿が歪む。
人混みに紛れ、作業員の横を通れば少年の姿に、遊女の横を通り過ぎれば青年の姿に、様々な姿へと己を変えながら。だが、誰も気にするものはいない。
「勝つのは狂善の正義か……勇者か……ああ、面倒だ……」
そうして最後には、影も形も掻き消えた。
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