第32話 新しき出会い
フルグドラムから馬車で三十分。見えてくる山々は、全てが鉱山。炭に銅、鉛。金に銀。なかでも一番産出されるのが、武具の原料となる鉄鉱。
事故が起きたのは、その鉄鉱山だった。
カナリたちが鉄鉱山に到着してすでに数時間経過し、とっくの昔に昼を過ぎている。いまだに騒然としている現場を、カナリは転がっていた大きな岩の上にあぐらで座りながら、じっと見ていた。付き添いできたのだから手伝っていないわけではなく、今のカナリにできることはなにもないからだ。
「チッ。金はいらないとか、言わなきゃよかった」
坑道の入り口を塞いでいた岩塊を取り除くのも手伝ったし、怪我人の手当てもした。服は砂埃で汚れ、所々、手当てのときについた赤黒い斑点が散っている。他に集められた人手と遜色ない働きを、カナリは行っていた。
せめてクリーニング代くらいは欲しい。ついでに昼食代も出てくれたらベター。それがカナリの正直な気持ち。だが、いらないと言ってしまった手前、金を寄越せと言い出すのも憚られる。そのことが余計にカナリの心を腐らせていた。
「サラ、まだ終わらなさそうだな……」
さすがに事故のあった鉱山の中まで素人をいれるようなことはなく、自警団によって集められた人手はすでに解散している。今は自警団が閉じ込められた人を救出するために、坑道を進んでいる。
教会の人員も自警団と一緒に中に入っているので、サラも鉱山の中だ。魔法使いが坑道を崩れないよう魔法で固めつつ進んでいるので、二次災害はおそらく起きないだろう。
教会とは別口で動いていたサラが教会の人員に組み込まれている
「怒るかなぁ……どうでもいいかぁ……」
心底どうでもよさそうに、カナリはひとりごちる。
そんなことより問題なのは、空腹に喘ぐ自身の体のほうだった。カナリは給水にと用意された水に魔法で作った氷を浮かべ、ゴリゴリと噛み砕いては飲み込み空腹を紛らわせる。しかし、それも時間の問題だろう。氷で冷えてゆく体は、しばらく前から温かい飲み物を欲しがっていた。
「寒い……あ~あ~、ヒマは欲しいけど、退屈はいらないんだよ……」
サラを置いて帰ろうかとも思ったが、それはそれで気が引ける。
退屈を紛らわせるためにカナリはスマホを取り出し、イヤホンマイクを耳につけ、拙い操作でアプリを立ち上げ通話のボタンを押した。しばらく呼び出し音が鳴り――
「おう、シオン」
『どうした。なんかあったのか?』
聞こえてくるシオンの声に、カナリはあぐらをかいた膝を上下に動かす。
「鉱山の事故現場にきたら、思いのほか退屈だったから」
『へー、そうなんだ。……ごめん。なに言ってるかよくわからない』
「言ったまんまの意味だぞ」
シオンには、カナリの発言すべてに疑問符がつく。経緯を知らないのだから、なぜそこにいるのか、どういう状況なのかが、まったく読めない。
『だから、それがわかんないんだって。なんでそんなとこにいるんだよ』
「んーとだな。散歩してたら、鉱山で事故が起きたから手伝いを集めるって話になってだな。手伝ったら給金が出るって話になって」
『なるほど。納得した。サラちゃんが金に飛びついたと』
「そのとーり。オレはサラの付き添いでついてきただけ。よくわかったな」
『カナリはいまのとこ金に困ってないし、欲しがってるのは宿代が足りてない、サラちゃんくらいだろ。なに? 今夜はサラちゃんが泊まるの?』
「んにゃ、その心配はなくなったと思う」
なぜ心配ないのかカナリが説明すると、シオンは渇いた笑いしか出てこなくなる。
「なんだよ。サラに同情してるのか」
『サラちゃんにというより、労働には対価が欲しいと思う今日この頃ですので』
「オレもタダで働いたんだ。同じ同じ」
『同じにしていいのかなぁ……』
「サラが泊まるとなると、シオンが徹夜で見張ることになるけど?」
『それは徹夜でカメラを回すということで……』
「ああんッ?」
『睡眠って大事だよな!』
夜をサラの監視だけに使うなど、シオンにとって考えたくもないこと。使うにしても、もう少し生産的なもので使いたいだろう。それが本当に生産的かは、疑問が残るところだが。それに、カナリが嫌がっているかぎり、その機会は訪れない。
「シオンは今、なにしてたんだ?」
『ブラブラと会社の格納庫を散歩。色んな重機があって、見てるだけで面白い」
「工事用の機械……だっけか」
『そうそう。新しい重機ってのも見てみたかったし。にしても、急いで行ったのに、お年玉は思ったよりもらえなかった。残念だ』
「じゃあ労働だな」
『そうなるねぇ――シオンー。どこにいるのー――』
イヤホンから、聞いたことのない少女の声が聞こえてくる。ずいぶんと馴れ馴れしいシオンの呼び方に、カナリは無意識に、少しだけ眉を顰める。
「……誰だ?」
『妹のリッカ。前に話しただろ。――叔父さんが探してたよ。あっ、もしかして彼女と電話中だった? 紹介してよ――うっさいリッカ! ……ごめんなカナリ。妹がうるさくて。夜には帰るから、なにがあったかはそんときに詳しく聞くよ。じゃあな!』
「あ、おいシオン!」
プッ――と音が鳴り、通話が終わる。
「……違うって妹に……説明……」
カナリは通話の切れたスマホを、イヤホンごと上着の内ポケットにねじ込む。ついでにと、氷の浮かんだ水を、一気に喉へと流し込んだ。冷えた水が、頭の中心を冷やしてくれる。
「はぁ……退屈だなぁ……」
砂混じりの風が、カナリの言葉を掻き消す。なにかないかと、周囲をグルリと見渡してみる。すると、目を引いた場所が、一つだけあった。
鉱山の入り口を塞いでいた大小の岩が運ばれ、山と詰まれた近く。そこに、一人の女が立っている。
背は低く、ふわふわの黒い髪の間からは二本の太い角が見え、獣人族だということがわかる。しかも紺色の長いワンピースに、飾り気のない白いエプロンのメイド服姿。それだけでも目立つが、カナリが注目していたのは別の部分だった。
「なんだあれ、でっか……!」
遠目からもわかる、メイド服の胸元を押し上げている二つの双丘。大きすぎて、カナリは自分の胸と比べる気も起きない。もし胸の大小で女性の
「巨乳メイドが、なんでこんなとこにいるんだ? 主人が事故にあった……とか。偉い人が閉じ込められたとか、言われてなかったけどなぁ。様子もそれっぽくないし」
メイドは誰かを探しているようにも見えない。メイドが見ているのは、事故の起こった鉱山全体という感じだ。岩塊に手をつき、じっと山を見つめている。
ふと、詰まれた岩の上から小さな石が、メイドの背後へと落ちる。
「マズい……ッ!」
詰まれた岩が、崩れかかっている。メイドは気付いた様子はない。遠目から見ていたからこそ、カナリは気付けた。カナリは考えるより先に、岩から飛び降り、メイドへと走る。
「そこのメイド! 早くそこから逃げろ!」
「――え……?」
メイドはカナリの声に振り向きはするが、動かない。自分に危機が迫っているという自覚がないのだから、すぐに言葉の意味を理解するに至っていない。メイドがその意味を性格に理解したのは、自分の頭に幾つもの小石がぶつかり、なにごとかと空を仰いだあとだった。
ガラリという音と共に、大人の上半身ほどある岩の影が、メイドの影と重なる。しかし、メイドの足は動かない。恐怖で竦み、動けない。
「間に……合えッ!!!」
カナリは走るスピードのギアをトップまで上げ、足の竦んだメイドに突っ込む。
メイドの頭と背中に手を回し、地面に転がる。その直後に、靴の裏スレスレを撫でる暴力と、鳴り響く轟音。
「いってててて……」
砂埃の舞う中、ますます薄汚れたカナリが頭を上げた。つま先のすぐ先には、巨大な岩。手はメイドと地面に挟まり、擦り剥き赤くなっていたが、他に怪我はない。メイドがクッションになったのかもしれない。
「おい、大丈夫か」
「は、はい……」
カナリは地面に転がったままのメイドの手を持ち、立たせて埃を叩き落とす。思考が追いついていないのか、メイドはカナリのなすがままだ。
「ほら、キレイになったぞ。……やっぱりでかいな……」
メイドは背も低く、近くで見ると顔も童顔。なのに、胸はアンバランスなほど大きい。女のカナリでも、思わず揉んでみたくなるほど。現在は男装している最中なので、そこは自重する。
「あ、ありがとうございます。その……危ないところを」
「気にすんな。こんなところで怪我人が出ても、つまらないからな」
怪我人どころか死人が出てもおかしくない状況だったが、カナリは笑顔で感謝を受け入れる。カナリの笑顔につられ、固くなっていたメイドの表情も徐々にほぐれる。
「オレの名前はカナリ。メイドさん、キミは?」
「あ、あたしはロラーナっていいます。カナリ様には、なんとお礼を申し上げればよいか」
「だから気にすんなって。助けられたのはたいく――偶然だったんだから」
カナリがロラーナというメイドを助けられたのは、退屈の産物であり、偶然の産物でもある。どちらも正解なのだが、退屈を紛らわすために
「オレは事故があったから手伝いできたんだけど、ロラーナはなんでここに?」
「あたしはバーナード様――
「ふーん。メイドも大変だ。こんなところまで命令でくるなんて」
「いいえ、そんなことはありません。いつものことですから」
「いつものこと、ね。同じセリフどっかで聞いたな」
記憶を探り、カナリが思い出したのは、今日の昼前のこと。領主と青年が言い争っていたのを、街の住人がいつものことだと言っていた。
「カナリ様に、なにか助けていただいたお礼を」
「お礼ねぇ。……それなら」
「――ああぁぁぁぁぁッ!? カナリさん、なにしてるんですか!」
「あ、忘れてた」
鉱山のほうから走ってくるのは、砂まみれどころか、泥まみれになったサラ。どうやら、救助作業がやっと終わったようだ。
「ナンパですか!? ナンパですね! 私というものがありながら、なにしてるんですか! 私だって胸はあるほうですよ! って、マジで大きいですね!?」
「人助けをしただけなのに、なぜにオレは怒られてるのか。それに、サラはオレのものじゃない。胸も関係ない」
「じゃあ、私のですね! 私の胸が丁度いいんですね! 大きさは負けますけど、バランスには自信がありますから!」
「……いい加減にしないと怒るぞ」
「はい、すみませんです」
サラはカナリの本気の怒りを感じ取り、真顔に戻りささっと謝る。その様子に、カナリは怒りを通り越して呆れ果ててしまう。
「やっぱり、どことなくシオンに似てる気がする……」
「つまり、私にもまだまだチャンスがあるということで?」
「ん……っぐ!? あーもー!! どいつもこいつも!」
理不尽な怒りを、どこにぶつけていいのか。とりあえずシオンが帰ってきたら、一発殴ろうと心に決めたカナリだった。
「す、すみません! カナリ様はナンパなどではなくて、崩れてきた岩からあたしを助けてくださったんです! 命の恩人なんです! ですから、なにかお礼をと話していただけで……」
間に割って入ったロラーナは、二人を止めようと必死だ。この程度の遣り取りは、二人にとって普段と変わらないことなのだが、ロラーナがそのことを知っているわけもない。
「そういうことでしたか。……たしかに最後のほうは、いちいち上に積むのが面倒で、岩を投げてましたからね……」
「聞こえてるぞサラー。というわけで、ロラーナの気にするようなことじゃない。いや、ほんとゴメンね。ほら、サラも謝れ」
「ロラーナさん、でいいんですよね。すみませんでした……」
「そ、そんな! 危ない場所に近づいたあたしが悪かったんです!」
頭を下げるカナリとサラ。そしてロラーナ。三人で頭を下げあっているのは、どこか滑稽に見える。
「サラには、オレからキツクいっとくから」
「わ、わかりました。サラ様も申し訳ありませんでした。その、彼氏さんが心配だったんですよね?」
「かれ、し……はい! 私の彼氏です! ぜんっぜん謝る必要なんてありません! というか、もう一度言ってください! おねが」
「そいっ」
「――けぺッ!?」
調子に乗ったサラの喉に、カナリの抜き手が刺さる。人体の急所を狙うことに、まったく抵抗はなかった。サラは不思議な悲鳴を上げ、地面を転げ回っている。
「
「カナ……リ、さん……それは……あんまりにも酷い……ごぇふ……!」
ゲヘゲヘと咳き込むサラをカナリは完全に視界から外し、何事もなかったように、ロラーナを見る。しかし、カナリの口元は笑っているが、目は笑っていない。泳ぐのに疲れきった人魚のような目をしている。ロラーナもその目を見て、触れてはいけない部分なのだと理解した。
「さっきまで、なんの話をしてたっけか」
「えっ!? ええっと、お礼をどうするか、でしょうか」
「そうだったそうだった。あー、お願いできるような立場じゃないかもしれないけど、一つだけあるんだよ」
「な、なんなりとどうぞ。あたしにできることでしたら」
「ありがとう、ロラーナ。それなら――」
カナリは深い溜息をひとつ吐いたあと、言葉を続ける。
「どこか、美味しいコーヒーが飲める店を紹介してくれないかな……」
その声は、ヒマでも退屈でもなく、さりとて楽しさを求めるでもなく、心からの安らぎを求めるものだったのは、言うまでもないだろう。
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