第29話 変わらぬ夜
午後八時。部屋に戻れたのは夜だった。
酔っ払った両親は爺さんの家。リッカも両親と一緒に泊まり、帰りは明日。レンガ叔父さんは酔っ払った親父と喧嘩しそうになっていたのを、迎えに来た秘書さんに強制連行されていった。どうやら、夕方から書類仕事があったらしい。忙しいね、社長。
俺は友人と約束があるってことにして、一足先に電車で帰らせてもらった。
「爺さんのお年玉査定は、微妙に下がったかな?」
俺の手には、複数のお年玉袋。他の親戚は昨日の内にきていたらしく、爺さんに預けられていた俺の分も入手済み。まぁ、中身はもう空になっているけど。
お年玉を合わせりゃ欲しいモノを買う資金は十分だったから、帰りに電気街に寄り道して買ってきた。初売りっていいね。予定よりいいものが買えたし、他にも色々と揃えてみた。バイトの給料が入るまでの資金も、手元に残すことができた。
「カナリはなにをしてるのかな……っと」
何時に帰るとか話はしなかったし、朝もカナリは寝ていて声をかけられなかった。
ディスプレイを二つ置いたせいで狭くなった机。その前にある椅子に座り、穴に耳を寄せる。もしかしたら外にいるのかもしれないので、気軽に声はかけられない。
「……声が聞こえるな……」
どうやらカナリは外を歩いているらしい。
穴から見える布も微妙に動いているし、律儀に服の中に隠してくれているようだ。
ふぅむ……難問だ。どうやってカナリに気付いてもらおう。外にいるなら、無闇に声をかけるわけにもいかない。穴から手を出すなんてもってのほか。連絡を取り合う手段は考えていたけど、そのためのアイテムをカナリに渡せていない。
「聴覚や視覚がダメなら……触覚?」
うむ。われながらナイスなアイデアだと思う。
触覚に訴えるなら、カナリに触れなければいけない。これは決して、やましい考えなどない。ただ、カナリに気付いて欲しいだけの行為なのです。
「……では、失礼しま~す……ゴメンよカナリ~……」
小声で謝りながら、穴から指を出す。服から飛び出ないように気を付けつつ、服の内側をなぞるように指を上に動かす。
穴から見えなくなった指先は、多分、カナリの胸元より上にあるはず。場所にすれば、左右の鎖骨の間くらいかな?
息を殺し、指をゆっくりと折り曲げ、カナリの肌に触れるか触れないかまで近づけてからの……
「スリッとな」
「――んふぁ……っ!?」
小さく響いた、カナリの声。
軽く撫でただけで、いい反応をいただけました! やったぜ! これはもう、俺の存在に気付いただろ。
で、だ。これからどうしようね? 難問を解決したと思ったら、さらなる難問が降って沸いた。どう考えなくても、俺、ヤバい。
「ど、どうしたんですか? カナリさん」
「可愛らしい声でしたね~」
聞こえてきた声からすると、サラちゃんとセリたんも一緒のようだ。……サラちゃんもいたのか。難問が超難問になったな。あと、セリたんの声は、なにもしなくても天使の歌声に聞こえるくらいに可愛らしいです。
「……い、いや。ちょっとな。そうだ。あそこに入ろう」
走るような三人の足音と、ドアを開く音。手近な店にでも入ったのだろう。
ゴソゴソと音がしたと思うと、カナリの服から穴が引っ張り出された。
「ちょ!? カナリ!」
こんなところで穴を出すなと言いたかったところだが、ここは入った店の隅。少し見回してみると、客の入っていない雑貨屋のようだった。棚の隙間からチラリと見えた奥には、小さな老婆が丸まった猫を抱えて座っている。おお、猫だ。見た目は普通だ。すげぇ。
客もいない。店主も耳が遠そう。そのうえ、セリたんはカナリから離れて、店主から俺たちの意識を外すためか話しかけにいっている。
知り合って少しなのに、なかなかいい連携をしているな。これなら、大丈夫か。
「な、な、なんであんなことした……! 言え……!」
顔を真っ赤にしたカナリが、胸の上を押さえて詰問してくる。
いくら客がいないといっても大声は出せないから、カナリも小声だ。
「なんでって……外で声出したりできないだろ?」
「だ、だからって、あんなとこ……!」
まぁ、きわどい位置ではあったかもしれない。でも、胸とも言えないし。あ、これは決して、カナリの胸が小さいということじゃない。たしかに平均よりは小さいとは思うけど、そこは別問題だ。
「ふんっ!!」
「あっぶな!?」
目の前に迫る指を、全反射神経を動員し避ける。本気で目を潰しにきやがった。
「失礼なことを考えた気配がした」
「気配だけで人の目を何度も潰しにくるな」
口に出してないことでまで潰されてたまるか。
んで、これだけで済まないのが、ウチのパーティーの考えどころ。
「シオンさんは、命がいらないみたいですね?」
「へーい、サラちゃん。その剣をしまいなさい。ここはお店の中ですよ」
簡単に人に剣を向けすぎじゃないですかね。向けるなら魔物だけにして。
「正直に言うまでやめません。なにを、したんですか?」
「それは……こう、首元を指で少し触っただけだよ」
「く、首か? あそこは、その……」
うん。まぁ、首よりはちょっと下だよね。わかってる。でも、ややこしくなるので、カナリはそれ以上は言わないでくれお願いします。
「私も、まだ、触れて、ないのに?」
「それは関係ないと思うよ?」
サラちゃんのあとだったらいいみたいな言いかただな。隣に立ってるカナリも、それは違うって顔してるぞ。
「カナリに気付いてもらうために、だよ?」
「もっと他に方法があったでしょう!」
剣の切っ先が俺の鼻に突きつけられる。先端恐怖症なら、とっくに発狂してるところだ。
「い、いきなり叩いたりするわけにもいかないだろっ!? サラちゃんだったらどうするのさ!」
「摘みます」
「よーし、わかった。もう喋るな」
きっと、『どこを?』とか聞いちゃいけないやつだ。
「……カナリさんの悲鳴、ちょっと私の下半身にキました。その点は感謝します」
「誰も聞いてないでしょ! そんなこと!」
「これで一週間は戦えます」
「なにと!?」
わざわざ穴に近づいてきて、小声で俺に伝えることじゃないぞ。いや、内容は小声で喋るべきことだけども。
「……カナリ、ごめん。次からは気を付けるよ。サラちゃんに余計な餌を与えないためにも」
「次にやったら、ガルスを呼ぶからな」
「マジごめんなさい。それだけはやめてください」
カナリが召喚するガルスは、子犬サイズだから穴にも入るし、異様に硬いこっちの魔物を平気で倒せる魔狼だ。そんなのけしかけられたら、俺は死んでしまいます。
「ホント、次は気を付けろよ」
「わかったって。……それで、カナリたちは夜の散歩?」
時間の感覚は、異世界でも変わらない。こっちが夜なら、そっちも夜。
「夕飯を三人で食って、腹ごなしも兼ねてな」
「ふーん……あ」
今、気付いた。サラちゃんの格好がいつもと違う。
剣は腰に差しているが、教会騎士の鎧姿じゃない。小さなバッグを手に持ち、上はシャツの上にゆったりしたニットのカーディガン、下は短めのスカートを履いている。腕や足には部分鎧を装備しているが、全体的に女の子らしい服装になっている。女の子らしいの定義が頭の中で崩壊しそう。
「サラちゃん、あの鎧は?」
「売りました」
「へー。売った……売ったの!?」
「はい」
いや、はいじゃないが。
「売ったといっても、教会にですよ。あの鎧、自腹なんです」
「え、そうなの?」
「売るのも買うのも、教会でだけ。もちろん、売買できるのは教会の騎士だけですけどね。こんな世の中ですから、ただで貸し出し、ただで修繕なんてしてたら、教会だって破産しちゃいますよ。普通に同じ質の鎧を買ったり、修繕も街の鍛冶屋でするよりは、ずっと格安なんですけどね」
「そっか。あの仕事内容じゃ、慈善事業ってわけにもいかないもんな」
ここは魔物が巣食っている世界。魔物と戦うこともあるし、傷ついたり壊れたりすることも当然ある。いちいち全てを経費で賄うとなったら、結構な額になるんだろう。
「でも、質がいいなら、なんで鎧を売ったのさ。教会を辞めたわけじゃないんだろ?」
「カナリさんの警護をするから、です。教会騎士が一人の人間に付き従ってるなんて、重要な人物だって言ってるようなものですから。……この街では特に」
サラちゃんの目配せにつられ、通りに面した窓から外を見てみる。夜でも出歩いている、人、人、人……普通の格好をしている人もいれば、仕事終わりなのか作業着姿の獣人もいる。それと、教会騎士とは違う鎧を着けた……自警団だろうか。その集団も時折。
「あれ……教会騎士がいない」
一向に、教会の騎士を見かけない。見かける鎧は、全て違うモノ。
トキレムの街にも自警団はいたが、同じくらいに教会の騎士も街中を警備していた気がする。
「フルグドラムでは、教会は外の警備、自警団は中を警備っていう習慣があるんです。例外はありますけどね。自警団とはいっても、この街を治めている貴族の、私設騎士団みたいなものですけど」
「外の警備が中心なら、街中で教会騎士の姿は変に目立っちゃうわけか」
「そうなんですよ。それにその貴族、武具の輸出で大儲けしてるって話ですし、下手をすれば、教会の騎士もいらないんじゃないかって」
「それだけ、私設騎士団を増員できるってことかね」
「おかげで、教会の権力はこの街じゃ弱いんですよねー。完全に外様という感じで」
他の街はトキレムしか知らないけど、教会の騎士のおかげで助かってるって雰囲気だったしな。この街では、それがないってことか。教会なのに戦力として期待されてるってのは、ちょっと違う気もするけど。
「そういや、教会で信仰してる神様って、どんなんなの?」
「ウチの教会ですか? ……ええっとですね……」
「え、悩むところ? 自分のトコの神様だよ?」
「うるさいですね。私は実務担当だったので、ちょっとド忘れしちゃっただけです。――ああ、あったあった」
サラちゃんはバッグから取り出した手帳――聖書? を捲っていた手をあるページでとめる。
「大陸神ロムンドロです。創造神から、大陸の管理を任されたとかいうカメの神様ですね。どうりで、教会の紋章がカメなわけです」
「ド忘れじゃないじゃん。完全に知らなかったじゃん」
聖書に描いてあるマークが、そのロムンドロとやらの紋章だろうか。カメねぇ。甲羅に見えなくもない半円に、波のような……尻尾だろうか……が書いてある。頭は見えない。そっちの世界のカメには頭がないのかもしれないな。この紋章、鎧にも描いてあったっけ。
蒼戒のマーニデオ一族は、このカメを楽しませるなって戒律を守ってるのか?
「大陸を管理してるってんなら、魔物を人界に入らないようにしてもらいたいもんだな。なぁ、カナリ。……カナリ、なにしてるんだ?」
「ん? あ、ああ。ちょっと雑貨が気になって、見てた」
会話に入ってこないと思ったら、商品を見てたのか。
近くにあるのは、身に付けるアクセサリーや、置物の類。土産物コーナーってところかな。色々と種類もあるし、なんで客が入ってないんだろう。
カナリが手にとって見てるのは、指輪か。
「ゆ、ゆ、指輪なら、私がもっとちゃんとしたのをプレゼントしますけど!」
「別にいらない。ただ、ちょっと面白い指輪だったからさ」
「なにが面白いんだ? 見たトコ、普通の指輪っぽいけど」
少し幅が太めだが、普通に銀色をした指輪に見える。小さな四つ葉のクローバーが彫られているだけで、他に派手な装飾がされてるわけでもないし、高価そうな宝石が嵌っているわけでもない。
「指輪の名前、『
「なにそれ怖い」
「仕掛け指輪で、小さなボタンがあって……」
指輪の内側にあるボタンをカナリが押すと、一センチほどの針が外に飛び出してくる。
「握手なんかで強く握ると針が出てくるそうだぞ」
「なにこれ怖い」
どう考えても普通に売ってていい指輪じゃない。自警団に通報したほうがいいんじゃないの?
「店主の
「意外と怖いな、あの婆さん」
見た目は駄菓子屋にいそうな感じでのんびりしてる婆さんなのに、なんてもんを作ってやがる。だから店に人が入ってないんじゃないのか。こんな店に出入りしてるって自警団に目を付けられたら、余計な疑惑がかかりそうだ。
「あ、カナリさん! あっちにもアクセサリー置いてますよ!」
「お、おい。サラ」
カナリはサラちゃんに腕を組まれ、隣の棚へと移動すると、俺が覗いている穴も、カナリと一緒に移動する。客もいないし、なにかあったらすぐにしまってくれるだろう。
「あの~、カグラさん~」
「は、はい!」
聞こえてきた
「うぉほん! セリたん、お婆さんとの話は終わったの?」
「色々と~、お話を聞いてきました~。お年で耳が遠くなったのと~、お客さんが少ないのが~、悩みみたいです~」
「後ろの理由は想像がついてるよ」
痛いほどというか、痛いモノを作っているせいというか。納得しかできない。
「ときどき~、大量注文はあるらしいんですけど~」
「その注文先は、どっかに通報したほうがいいね。それで、どうしたのかな?」
「そのですね~。カグラさんに~、お願いがありまして~」
「なんだい、セリたん。この俺になんでも言っておくれ」
叶えられる願いなら、なんでも叶えてみせましょう。
「まだ~、握手をしていなかったな~と~、思いまして~。していただけますか~?」
「あ、握手ですか!? します! 握手くらい、ぜんぜんいいです! ずっと握っててもいいです!」
「ずっとは~、さすがに~」
その
そうだ、握手ならアルコール消毒しなきゃ。なんたって、初めてセリたんに触れるんだから。その後は、手を洗わないで手袋で過ごす。セリたんに触れられるなら、一週間は戦っていられるね!
「い、いつでもどうぞ!」
「それでは~」
セリたんの小さなお手々が、俺の目の前に差し出されています。
小さいなぁ。可愛いなぁ。指に嵌めてる指輪も……指輪?
「あの、セリたん。つかぬことをお伺いしますが、その指輪は……」
「お婆さんの~、傑作だそうです~」
「そっか~、傑作か~……」
セリたんの指に鈍く輝く、表面にクローバーが彫られた指輪。あれれ~? おかしいな~? その指輪、さっきも見たぞぅ~?
「カグラさん~、どうしましたか~? はやく握手しましょう~」
「ああ、ちくしょう……! 可愛いなぁ!」
その天使の笑みに、俺は汗が止まりませんよ。
どうする俺。どうすれば、正解なんだ……いや、正解なんて決まってるじゃないか。
「せ、セリたん……!」
セリたんの小さな手を、俺は、握る!
「よろしくお願いします~。カグラさん~」
「こちら、こそ」
柔らかく、ふにっとした感触。指先に触れる、スベスベの肌。強く握ったら壊れてしまいそうな手が、俺の手をキュっと包む。そして――
「――あんはぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
情けない悲鳴だったと思う。
このあと絆創膏を貼るのに、結局手を洗いましたとさ。でも、悔いはないんだ。ないんだよ……くそぅ……
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