第24話 蟻の一刺し
ガチガチと地面を切り刻む脚音。それだけで、サージャオがイラついているのが理解できる。
カナリもそのことを理解しているのか、これから始まる戦いに備え、緊張をほぐすように肩を回す。
「はぁ……さぁーって、これから本番だってのに、いきなり人数が減ったな?」
「その上、魔物も全部、倒しきれてないときたもんだ」
サージャオの周りに生き残った魔物が集まる。ブラッドリザードが三体。ウォーウルフが一体。
生き残った中でも、比較的軽症な魔物。軽症といっても焼けた肺がすぐに治るわけもなく動きは多少鈍くなっているが、そこにサージャオが加わったのだから脅威度は倍増だ。
たいして、こっちは半分。カナリにサラちゃん、ソロドムさん。ついでに俺。……おや? 魔物と直接戦えない俺を抜いたら、戦力は半分以下だったりする?
「やっべ、俺って役立たず? 勇者だなんて呼ばれてるのに?」
「そんなんは元から期待してねぇよ、勇者様。で、逃げるか?」
「なら、殿はわたしが引き受けましょう」
「私も忘れてもらっちゃ困りますよ」
ソロドムさんと、蜘蛛の網から逃れてきたサラちゃんが、剣を構えカナリの前に立つ。
「監視砦では、カナリさんに助けられました。今度は私が助ける番です」
「同胞を助けてもらった恩は、返さなきゃいけないですね」
「そうです。それに、私たちは騎士ですから」
「二人とも……」
ああ、なんという騎士道精神。その尊さに、涙が出てきそう。とてもありがたいことなんだけど――
「却下で」
「却下だな」
お、カナリもわかってたか。綺麗にハモった。
「で、でも、さっきカナリさんは逃げるかって!」
「あれはなんつーか……ノリで? シオンが乗ってきたら、バカかってツッコむとこまでが流れというか」
「あ、やっぱり? だと思った。さすが俺とカナリ。以心伝心だな」
「ごめん。そこまで言われるとなんかヤダ」
はははっ。ヤダとかなにそれ。今度は悲しくて泣きそう。
「それは別にいいんですけど、シオンさんも言ってたじゃないですか。危なくなったら逃げるって」
「よくない。よくはないぞー、どっちも。あのね、今逃げるのが一番危ない。だから逃げないよ」
だって、カナリの腰にあるナイフの音が止んだから。
今この場において、”逃げる”という選択肢は存在しない証拠。すでにここは、退却不可の戦闘フィールド。逃げられるタイミングは、
「……相談事は終わったか? ならば、さっさと死ぬがよい」
サージャオの脚が、ガギンと一際大きな音を立て床を抉る。
イライラしてる割に、待っていてくれたのか。それとも、怒りに燃えた感情を落ち着かせようとしているのか。しかし、さっさと死ねとはね。人間と魔物の力の差を考えれば、そんな扱い(もん)なのかね。
「いやー、ゴメンゴメン。待たせちゃった? それとも……」
いつでも踏み潰せる虫と思われてるなら、これほどムカつくことはない。
「ここまで住処を荒らされて、仲間を焼き殺されてさ。人間が怖くなって、手が出せなかったのかな?」
「ちょっ、シオンさん!? なに挑発してるんですか!」
ごめんよサラちゃん。でも、どうしても言っておきたかったんだ。
「こ、の……ッ! ワレラに踏み潰されるだけの蟻の分際で!!」
虫は虫でも、人間は蟻か。ぷちぷちされるだけってか。名と体が微妙に食い違う異世界でも、そのあたりは変わらないらしい。
売り言葉に買い言葉。俺は口しか出せないんだ。いくらでも売買してやる。でも、口を開きかけた俺を制したのは、カナリの指だった。カナリは笑っていた。そして――代わりにサージャオへと告げる。
「蟻だなんだと
わーお……俺が言おうとしていた以上に言ってくれたね。サージャオから出てる糸も、騎士たちを捕まえた網に繋がってるものだし。それをお漏らしとか……魔物だとしても女性型を相手に、お漏らしとか俺には言えそうにない。
「お返事はいかに、サージャオちゃん?」
バカにしたように口角を上げ、かかってこいとばかりに人差し指を動かし、カナリはサージャオを挑発する。
「コロスッ!!!!」
そりゃそうですよねー。オシメの世話なんて頼まれたらこっちも困る。
牙を剥いたサージャオの体が揺れる。それに呼応するように、残った魔物も前に出てくる。怒りを込めた目で。爪で岩肌を削り。俺たちを踏み潰すために。
蜘蛛。言わずとも知れた、昆虫界の上位捕食者。糸で絡めとり、あるいは素早く飛び掛り、あるいは毒を使い、獲物を狩る狩猟者。
だからってなぁ……!
「蟻が簡単に潰されるなんて、誰が決めた! 蟻の一刺しを舐めるなよ!」
「ははっ! よく言ったカナリ! ――サージャオは俺たちが引き受ける! サラちゃんとソロドムさんは、他の魔物の相手と騎士の救出を!」
「それこそ無茶です! アラクネをたった二人――一人でなんて! 相手なら、私とソロドム先輩で!」
「わざわざ言い直さなくていいから! サージャオを相手にするなら、カナリ一人のほうが都合がいいんだ。それより、背後の魔物のほうが怖い」
他の魔物が残っている状態で、三人でサージャオだけを相手にすることはできない。かといって、一人だけ向かわせてもブラッドリザードとウォーウルフの複数体を相手にはできない。やるなら、一人がサージャオ、二人が残りの魔物を相手にしなきゃな。
「本当に大丈夫なんですね、カナリさん」
「余裕余裕。サラたちは、さっさと他の騎士を連れてきてくれ」
「……わかりました。ただし!」
サラちゃんは剣を構え直し、カナリから離れる。視線はこちらに向かってくるサージャオの後ろを走る、四体の魔物に向いている。で、ただしって?
「あとで! お礼を! 絶対に! 貰いますからね! 前の分も含めて!! ――いきますよソロドム先輩! まずは犬をヤります!」
「お、おう!!」
先頭を走るサージャオを迂回するように、サラちゃんとソロドムさんが大きく弧を描きながら走る。サージャオの邪魔はなかった。サージャオは一直線に俺たちの元へ。まっ、そのためにサージャオのヘイトを稼いでたわけだしね。
「あーあ、サラちゃんのお礼って、なにを要求されるのかね」
「さてなぁ。怖いから考えないでおく」
「あっそ。……勝算は?」
「ははっ、オレにそれを聞くか? ガルスも簡単に召喚できない状況で?」
いざというときまでガルスは召喚しない。二人で作戦を立てたときに決めたことだ。
ガルスを召喚すればザフィージェを倒せるかもしれない。だが、倒せないかもしれない。ガルスには制限時間があり、カナリも倒れる。無闇に召喚して後者が選ばれでもしたら、それだけで終了だ。
召喚するなら、ザフィージェに確実にダメージを与えており、倒しきれるような状況。なおかつ、倒れたあともサポートが受けられるなら、だ。サージャオと一対一の状況で、ガルスを召喚はできない。
「だったね。ガルス抜きの戦力には元から期待してないよ、従者様。なら――」
カナリは鞘ごとレイピアを捨て、腰にある盗賊のナイフを抜き放ち、目前のサージャオにたいし構える。レイピアはいらない。少しでも邪魔になりそうなものは捨てる。これから始まるカナリとサージャオの戦いは、勝つためのものじゃないのだから。
サージャオの前脚が、カナリの頭上から迫る。鋭く刃のようになっている爪の先端は、長さだけでカナリの腰丈を優に越える。このままでは、潰れるどころか左右に真っ二つだろう。
それでも、俺たちの戦法は一つ。
「死ぬ気で逃げろよ! カナリ!!」
「おうよ! シオン!!」
ナイフはうるさいくらいに鳴っている。逃げるといっても、退却ではない。最後に退却という結果を掴み取るために、サージャオと戦うのだ。
「――ッ!!!」
サージャオの爪が地面を叩く。衝撃により砕ける地面と舞い上がる砂塵。だが、そこにカナリの姿はない。
「思ったよりは速かったな。少しだけ焦った。けど、よかったよ。これならイケる」
カナリがいる場所は、サージャオの左前方。サージャオが爪を振り下ろすから、そこまで逃げた。ただそれだけ。
「蟻より遅いって、蜘蛛としてどぅよ?」
「シァァァァァァァッ!!」
答えの代わりに横薙ぎに振るわれる爪。だが、カナリは地面に体が着くほど伏せてやり過ごす。四肢を 地を蹴り、またサージャオから距離を取る。被害は髪の端が多少刈り取られたくらいか。
「あーあー、どうせなら毛先を揃えてくれないか?」
「コ、ノ……! チョロチョロとッ!!」
サージャオの爪が、また横薙ぎに振るわれる。しかしその爪は、カナリが横に移動しただけで引き裂くことなく止まる。直前の音を聞く限り、カナリの背後にあった岩で止まったのだろう。カナリはその隙間を素早くすり抜ける。
サージャオの殺気を感じ、心臓が掴まれるように痛む。少しでも躊躇すれば、カナリは容易く命を落とす。だが、サージャオの爪はカナリには当たらない。
「逃げ回るだけの虫ケラがァァァァッ!!」
「捕まえられない自分を気にしろよ、虫けら」
そして、ヘイトを稼ぐのも忘れていないのだから、まったく恐れ入るね。
相手に攻撃が当たらない。それも自分より下だと見下している相手に。叩けば潰れる蟻でも、足元で煩く跳ね回られ続ければ頭にくる。しかも喋る上に、口も悪く虚仮にしてくる蟻だ。そのストレスはいかほどだろうか。夏の蚊より性質(たち)が悪い。
「……ふぅ……」
カナリが小さく息を吐く。
もう何度、サージャオの攻撃を避けただろうか。そしてサージャオは何度、カナリにかすらぬ攻撃を続けるのだろうか。…………それは単調とも感じ取れるほどに、何度も。
「……訂正してやろう。オマエは蟻ではない」
サージャオの攻撃が止む。顔は苦々しく、唾でも吐きそうなほど嫌がりながら。それでも、カナリのなにかを認めたらしい。
「ふ~ん。あっそ。ありがとう。で、なにに訂正してくれるのかな?」
「鼠だ。立場も場所も弁えずウロチョロと走り回る、薄汚い害獣」
「それはまぁなんとも。蟻に比べたらずいぶんと高評価されたことで」
ふむ……生理的な嫌悪感を除けば、蟻よりは鼠のほうがカナリに合っているか。俺が知ってる鼠でいいならだけど。するするとサージャオの攻撃をかい潜る動きから、動物なら猫科っぽいと思うんだけどな。
「けどよ、鼠と蜘蛛なら、食われるのは蜘蛛じゃないか?」
「わかっているさ。でも――」
ククッとサージャオが低い声で笑う。
……なぜ笑うのか。その意図を感じ取れないほど、カナリは鈍くなかった。
「鼠を喰らう蜘蛛がいても、おかしくはないだろう?」
「――ッ!!」
サージャオから距離を取るように、カナリが大きく後ろに跳ねる。
一度、二度……しかし三度目、カナリの足は地面に縫いつけられたように、ピタリと動かなくなった。
夜に染まる地面。カナリの足元で、なにかがキラリと光る。目を凝らさなければわからないくらい細く、半透明の――蜘蛛の糸。
「残念。そこはもうワタシの巣」
「……そのよーで」
カナリは足を動かそうとするが、地面から離れない。逆に、糸は足から腰へ、胸へ、腕へと伸び、カナリをその場に縛り付ける。
鼠捕りというか、Gホイホイじゃないかねコレ。そうなるとカナリがGということになるが……いや、これはカナリに失礼すぎるな。
「フフッ……生け捕りにされた気分はどう?」
「最悪だね。解いてくれない?」
「オマエのように口も手癖も足癖も悪いモノを、ダレが解放するか」
「手癖って、オレはまだ手を出しちゃいないんだけど」
逃げ回ってただけだからな。それにカナリじゃ、ナイフで攻撃しても効果があるか怪しい。
サラちゃんたちを最後に見たときは、二体目の魔物を相手にしていた。まだ時間がかかる。俺がすぐ助けてやりたいところだけど、息を殺して、静かに備えているしかない。
「どうした鼠、アノ狼を召喚しないの?」
「あ~……そんなに見たい?」
「召喚できるものなら、な。自らの血を媒体に召喚していたようだが、その状態でどうするつもり?」
「そうそう、そうなんだよね。だから、指先をちょ~っと切ってもらえるとありがたい」
「死なない程度にか? フ、フフ……ッ!」
酷くゆっくりとカナリに近づいてくる音は、サージャオの足音か。
「では血が出ないよう、ゆっくりと嬲り殺しにしてやろう!」
「ぐっ!? かは……っ!」
空気を搾り出すように、カナリの喉が苦悶に喘ぐ。
首を絞めているのか……カナリの、喉を……
「フフ……クフッ! アハハハハハハハッ! もうじき街から配下が戻ってくる! ひしゃげた首を引き千切り、喰わせてやる! キサマの血肉が餌となり、街を襲う糧となるのだ!」
調子に乗ってテンション上がりまくりか、このヤロウ……! だが、まだだ。今、俺がなにか行動しては、また目を潰されてしまう。だからカナリ……
「よ、よう……一つだけ、いいか?」
「なんだ、今さら命乞いでもしようというのか」
「んな、こと……するかよ。なに……忘れてるな、と……思ってさ」
「忘れている? 一体、なに……を……」
――キリキリと音がなる。俺の部屋から穴の外まで響く、限界だ早く解放しろという、甲高い悲鳴。
ああ、そうだ。サージャオは忘れている。大事なことをすっぽりと。そのことを、思い出させてやろう……!!!
「鼠より……蟻を気にしなきゃいけないんじゃないかなってさ! シオン!!」
「キサマなにをする気」
最後まで言わせない。どうせすぐにわかる。
手に持つのは一本の剣。無骨な鉄の重さがズシリと腕に圧し掛かる。
「カナリは俺んだ! お前なんかに殺させるかよ!!」
机の両脇に取り付けられた木材が空気を叩き、パン! という小気味いい音を立てる。木材の両端には太い
「ガ――ッ!!!?!?」
カナリの胸元から飛び出る槍。
矢はサージャオの鳩尾へと吸い込まれ――突き刺さった。衝撃でサージャオはよろめき、カナリの首を掴む腕が離れる。
俺の机と部屋を使って作ったバリスタ。上手く動作してくれてよかった。しかし刺さったとはいうものの、サージャオの体に潜り込んだのは先端の十センチほど。どんだけ硬いんだよ。
「それでもダメージを与えたことに変わりないよな、カナリ。ほら、今のうちに」
「……え!? あ、そ、そうだな。うん……」
「なんだよ歯切れが悪いな」
カナリは何度もエアカッターと呪文を唱え、体に絡みつく糸を少しずつ切ってゆく。せっかくのチャンス。こんどはこっちがテンションを上げてくところだろうに、なにを呆けてるんだろうか。
サージャオは痛みに顔を歪めながら巨大な矢――鉄パイプを加工して作った中空の針を抜こうとするが、先端には返しをビッシリつけてある。無理に抜こうとすれば、周りの皮膚ごと抉らなければならない。
「グゥ……いつの、間に、そんなところへ!」
「最初に攻撃したとき、カナリから目を離したろ。その隙にな。いやー、忘れられて悲しかったよ。……ああ、ちなみにそれで終わりじゃないぞ?」
わざわざ鉄パイプで矢を作ったのには理由がある。刺すだけなら普通に太い矢を使えばいい。まっ、それでも倒せるかわからないから小細工をしてるわけだけど。
俺は剣を捨て、小さなスイッチに持ち替える。
スイッチのコードの先は、どこにでも売っているずんぐり太い炭酸飲料のペットボトルが逆さになって数本。ペットボトルの口にはスイッチのコードのほかにビニールホースが付いており、ホースは鉄パイプの後ろに繋がっている。
スイッチを押すと弁が開き、ペットボトルに詰めた圧縮空気が、一緒に入っている茶色い液体を押し出す。液体はホースからパイプへと流れ、行き着く先はサージャオの体内。
「ペットボトルロケットを改造して作った、即席の注入器だ。お中元で余ってたから、中身は思いっきり濃い目に作ってやったぞ。遠慮せず飲んでくれ」
「ガ、アァァァァァァァァァッ!!」
サージャオは刺さった針を力任せに引き抜く。ささくれた針の先端に引っ張られ、皮膚はヒビ割れ、黒紅色の血と茶色い液体が胸から溢れる。
だが遅い。すでに十分な量がサージャオの
「コロス! コロスッ! オマエラまとめてコロシて――」
激昂したサージャオの体がグラリと揺れる。膝を、胴体を地に着け、揺らぐ上半身を支えるように、手をも地面に。
蜘蛛の脚に膝ってのも変だけど、よかったよかった。ちゃんと効いてくれたようだ。
「頭に血が上って、一気に回ったみたいだな」
「おいシオン。なにしたんだ?」
「わからないか? 匂いを嗅いでみたらわかると思うぞ」
「匂い……これは」
鼻をひくつかせただけで、カナリには察しがついたようだ。
パイプからこぼれる液体。濃く淹れたせいで、普通よりも香りが強いからね。
「コーヒー……?」
「そ。送られてきても、ウチじゃ飲むのが親父しかいなくてね。大量に余ってたんだよ」
「そんなんで、あんな風になるもんなのか」
カナリが指差すのは、体を揺らし続けているサージャオ。
意識を必死に保とうと歯を食いしばっているが、口の端からは涎を垂らし、立とうとしてもがく脚は、地面を掴むことなく何度も投げ出される。
テレビの警察特番なんかで、似た姿を見たことがある。
「クソ……クソ! クソッ!! アァァァァァァァツ!!」
サージャオは叫びながら糸を飛ばしてくるが、見当違いの方向に飛んでゆく。そんな状態では、巣もまともに張れないだろう。
今のサージャオは酩酊状態――つまりは酷く酔っ払っている状態。
「ワタシに……なにをシタァァァァァァァ!」
「コーヒーを奢っただけだよ。蜘蛛ってのは、カフェインで酔うみたいだからな。飲んでくれって頼んでも飲んでくれると思えなかったから、直接、体の中にぶちこんだ」
宿屋で食堂のお姉さんに、ある粉を使って効果を試した。それは、マタタビ。スーパーでも売っているペット用品。猫が混ざっているという獣人にマタタビが効いたのなら、蜘蛛にも効果があるモノがあるはず。それがコーヒー。俺じゃ科学的な説明はできないけど、けっこう有名らしい。
上半身は人間だとしても、下半身――蜘蛛の部分が、サージャオの体の大半だ。結果は上々。目はまだ怒りに燃えているが、体がいうことを聞いていない。
虚仮にしてくる相手を上手く罠に嵌めたと浮かれて、さぞやいい気分だったことでしょう。ざまぁみろ、だ。
「近寄らせて隙を作るまではオレの役目だったが、まさかコーヒーとはね。毒でも使うのかと思ってたぞ」
「どんな毒が効くかわかんなかったからな。一番手軽に用意できる、蜘蛛の弱点だったんだ」
サージャオは頭を振りながら、俺とカナリを睨んでくる。
「ワタシを近寄らせる……グ……ために、わざわざ巣に飛び込んだとでも、いうのか!」
「そうなるな。オレは巣があるなんて知らなかったわけだが」
「なら、その男の指示か!」
「俺? そんなん隠れてて、わかるわけないだろ。なにかあるかなーとは思ってたけど」
だって蜘蛛だし。単純に糸を出してくるんじゃなくて、逃げながら罠を張ったってのには驚いた。けど、そのおかげで近づいてくれたんだから文句はない。あのまま攻撃され続けられたほうが危なかった。カナリの体力が肝だったからな。
「ならば、ならばなぜ! なぜそんな賭けに出れた! なぜ勝てると思った!!」
「道筋は見えてたからな」
「道……だと……?」
カナリが手に持ったナイフをくるりと回す。
「このナイフの名前は盗賊のナイフ。これには特殊な魔法がかかっててな。逃げる――つまりは持ち主を生かすために、助言をくれるんだよ。どう攻撃を避ければいいか、どこに逃げればいいか、とかな」
この結果はカナリに見えていた。俺はカナリの合図で動いただけ。ナイフの示した道筋をなぞっただけ。だが、いうほど簡単な道程ではない。
攻撃を受け止められるような
当たれば終了。足を半歩踏み外せば終了。曲芸染みた綱渡り。カナリはそんな状況を、地面に転がっている岩や窪みという地形を使い、己の身体能力とナイフの導きを信じ、サージャオの攻撃を避け続けた。
サージャオの攻撃がこちらの回避を上回る速さを見せたり、カナリがナイフの導きに疑念を持ち動きを鈍らせれば、全てがご破算。カナリの胆力が成した成果。恐怖に足を竦ませることなく、動き続けた結果なんだ。
「……フ、フフ……ワタシは、手の平の上で踊っていただけか……」
「結果的にはな。お前がもっと強かったら、踊らせてる最中にオレたちが死んでた。だけど、これで詰みだ。動けない魔物相手に、オレたちが負ける要素は、どこにもない」
「……そうか、ワタシは強くなかったのか……ワタシが弱かったんだ……ワタシも……」
呆然としたサージャオの目が砦を向く。いったいなにを思って砦を見ているのだろう。だがそれは、俺にはわからない。わかろうとは思わない。だって彼女は敵なのだから。
「サラたちも終わったみたいだな」
サラちゃんは四体目の魔物を倒し、こちらに向かってきている。ソロドムさんは他の騎士の救出をしているようだ。二人とも無事なようで安心した。
「……こっちも終わりにしようか、カナリ」
俺の言葉にカナリは頷くと、手の平にナイフをあて、横に引く。
地面に滴る血は糧。異世界から魔狼を呼ぶための媒体。
「おいで、ガルス」
地面に魔力が集まり、小さな狼が召喚される。青い毛並みをした異世界の獣。ガルスは地面に溜まった血を舐めると、サージャオに向かい毛を逆立てる。
「やれ」
カナリの一言をトリガーに、青い稲妻が地面を走る。
稲妻は何度もサージャオの体を駆け抜け、腕が、脚が、顔の半分が、黒紅色の血で濡れてゆく。抵抗もせず、なすがままに。それは、カナリの魔力が尽き倒れるまで続いた。
――こうして戦いの最後は、激しさなどなく、静かに幕を閉じた。
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