第23話 空は落ち、地に沈む
大地に太陽が沈んでゆく。目の前にある灰色の山肌も、淡いオレンジ色に染まる。仄かに暖かい風も、しばらくすれば冷たいものに変わるだろう。
「いやー、絶景かな絶景かな」
太陽の最後の輝きに目を細め、眼下を見下ろす。
少し先にあるのは、山の谷間の広場に建つ、崖で挟まれた山間の砦。倒すべき相手(ボス)の居城であっても、
まぁ、ちょっとばかしカラフルに飾り付けられてて、滑稽に見えるっちゃ見える。
「飾り付けた張本人が、よく言ってるよ」
「は、ははは……」
カナリは背後から吹く風になびく髪を押さえながら、呆れ声を出している。その後ろには、引き攣った笑顔を浮かべている教会騎士のソロドムさん。サラちゃん含め他の騎士たちは、別の場所に待機してもらっている。サラちゃんはずいぶん文句を言ってたけど、こればかりはしょうがない。サラちゃんが必要なのは、ここじゃないのだ。
「あれ、声に出てた?」
「駄々漏れだった」
気を付けよう。また目が潰されるかもしれない。
「じゃ、行くか」
「はいよ。……ホントに上手くいくのかよ」
「いくんじゃないか? いい具合に、固まってくっ付いてくれてるみたいだし」
山道を見下ろせる崖の上を歩き、カナリが砦に近づくほど、作戦の第一段階が順調なことがわかる。
サージャオが砦の周りに張った糸には、丸く膨らんだ玉がくっ付き、ふわふわと揺れている。それはもう目が痛くなるくらい色取り取りの、数百個の風船。街からの狼煙を合図に谷間に吹く風に乗せて飛ばした風船は、蜘蛛の巣の端から砦の入り口まで覆っていた。
「あ、見つかった」
脇を見れば、山道から少し進んだ広場の端。ちょうど蜘蛛の巣となにもない地面の境目までくると、カナリが上を見た。空には、一羽の白い鳥が飛んでいた。
「お、あれかー。見つかっちゃったかー。……え? え!? に、逃げろカナリ!」
「いや、ここまで来てんのに見つからねーわけねーだろ。さっきまでの落ち着きはどうしたよ」
「んなもん強がりに決まってんだろ!」
昨日からストレスで吐きそうです。足なんて震えっぱなしです。本当に強がりです。はい。
「安心しろ。魔物じゃないぞ」
「え? そうなの?」
「鳥型の使い魔のようですね。わたしが弓で」
「いや。オレがやる。――アイシクルランス!」
カナリが空に手をかざし呪文を唱えると、空中に数本の氷の槍が氷の槍が生まれ……槍? 爪楊枝の間違いじゃなくて? ……まぁいい。その氷の槍(極小)が空に放たれると、空を羽ばたく小鳥を貫く。小鳥は鳴きもせず地面に落ちると、光の粒子となって散っていった。得体の知れない
「や、やったか?」
「
フラグは無視ですか。そうですか。そりゃ、本番はこれからなんだけどさ。
下を見ると、砦からワラワラと魔物が出てくる。蜘蛛の巣には魔物の通り道があるのか、それともサージャオが糸を操っているのか、糸に引っかかることはなさそうだ。風船の引っかかった糸の下を、悠々と進んでいる。勝手に糸に絡まってくれたりしたら、楽だったんだけどなぁ。
「ウォーウルフとブラッドリザード、スライムもちらほらと。今頃、街を襲ってる魔物も含めて、よくもまぁ集めたもんだ。おかげで道中は楽だったけどな」
野営から山間の砦に近づくまでに出合った魔物は、知能があるのかないのかわからないスライムが数体。サージャオは本当に、周辺の魔物を砦に集めていたようだ。その割には周辺の監視が
「教会の騎士を全部連れてくるくらいしないと、奇襲にもならないな」
「いや、奇襲にもならねぇだろ。そんな人数で移動したりしたら、きっと森に入る前にバレる。少人数だからこそ、ここまでこれたんだろ」
「ですよねー……」
だから、こんな回りくどいことをしてるんだけどね。
蜘蛛の巣の端の一部の糸が、梯子のように崖上まで伸びてくる。どうやって崖の上までくるのかと思ってたけど、糸で橋まで作れるのか。下に降りるのに使えるかな。でも、切れそうで怖い。蜘蛛の糸だし。
このままでは、崖の上に魔物がきてしまうだろう。先頭のウォーウルフなんて、橋に前足がかかっている。しかし、橋にくっ付いていた風船を、ウォーウルフが踏み潰して割った瞬間――
『……!? ……!』
ウォーウルフが苦しみだし、橋から落ちた。中に入った気体を吸い込んだんだろう。地面で慌てたように、鼻の頭を前足で何度も拭っている。周りの魔物も、風船を警戒して二の足を踏んでいる。が、それは一時的なこと。遠くてよく見えないが、風船を踏んだウォーウルフは崖の上の俺たちを睨んでいることだろう。
残念なことに、風船の中に詰まっている気体は、少し吸ったくらいで死ぬような毒じゃない。そんな科学兵器や生物兵器の類なんて、一介の高校生に準備できませんよっと。
風船に詰まっているのは、日本ならどこの家庭にもある、至って普通の気体。家によって、二種類に分けられるけど。ない家もあるか。因みにうちのは、軽いほう。じゃなきゃ、あんなに風船を作れなかったと思う。
「魔物が巣から抜け出す前にやるぞ」
「わかってる。……ホラよ」
カナリに手渡したのは、布を口に突っ込んだ酒瓶。それと、親父の部屋から持ってきたオイルライター。同じように、ソロドムさんにも渡す。
「ファイヤー!」
まるで魔法を唱えるように、カナリはオイルライターのフリントホイールを回す。カナリの魔法のショボさを知ってるから、なんとも言えない気分になるね。火力としてはどっちもどっちだから。
度数の高いアルコールを吸った布に火が点き、崖の下――風船が多く固まっている場所目掛けて、二人が瓶を投げ入れる。地面に落ちた瓶は地面に叩きつけられ、炎を上げる。投げたのは、街の酒場から買ってきた酒で作った、なんの変哲もない火炎瓶。こんなんで魔物を倒せるだなんて、思っていない。
火炎瓶の生んだ火柱が、風船を撫でる。熱せられた薄い膜は、一瞬にして破れ――新たな炎を生み出した。
「おーおー……! 燃えてるなぁ……!」
カナリが楽しそうに笑っている。野蛮でいやね。ちょっと気持ちはわかるけど。
風船が割れて生じた炎は、すぐ隣の風船を割り、また炎を生む。連鎖するように、広場を炎が包む。さすが都市ガス。騎士のみんなで、死んだ目をしながら作り続けた甲斐がある。だけど……ああ、燃えてゆく……百個セット千円(税別)で買った風船がどぅんどぅん燃えてゆく……小遣いで買った風船が……
「シオン、次だ。さっさと出せ」
「あーい……」
次に二人に渡したのは、ミネラルウォーターの2Lサイズのペットボトル。だが、入っているのは水じゃない。入っているのは、茶色い液体。軽く口を開け、今度は風船が多い場所ではなく、炎を避けた、魔物が多く集まっている場所へ。そしてすぐに、残しておいた火炎瓶を投げる。
ペットボトルは地面に落ちた衝撃で破裂し、茶色い液体を撒き散らす。液体は、ある箇所では火炎瓶の炎を喰らい、ある箇所では今だ燻っているガスの残り火を喰らい、魔物に牙を向く。
『――!!?!?!』
火炎瓶が生み出した炎なんて目にならない程の火柱が、黒煙とともに魔物を包み込む。魔物どもは逃げ惑うが、体にかかり気化した液体が導火線のように魔物を追い詰め、炎に巻く。そんな惨劇が、ペットボトルが投げ込まれるたびに起こる。
「凄いですね、この、がそりんとかいう油は。
「そりゃよかった。本当なら、鉄製の容器に入れなきゃいけないんですけどね」
「そうなんですか?」
「入れたまんまにしておくと、容器が溶けちゃうんで」
用意した五十本のペットボトルの内、数本は親父の車から抜いたガソリンだ。抜くとき、静電気に凄い気を使った。他のペットボトルの中身は、石油ストーブ用の灯油。おかげで外のタンクは空っぽだ。資料には十年前の勇者も、『とてもよく燃える油を使っていた』と書いてあり、参考にさせてもらった。
渡すペットボトルを、二人は次々と投げてゆく。カナリなんて、変わらず笑いながらだ。作戦は順調。魔物にもダメージを与えられている。
「これで最後」
「おうよ! そぉぉぉぉれぃ!」
カナリは掛け声とともに、盛大にペットボトルを投げる。カナリもソロドムさんも、2Lペットボトルを二十本以上ぶん投げてるのに、まだまだ元気そうだ。現代っ子で地球っ子の俺だったら、腕が上がらなくなってるぞ。
ペットボトルが炎の中に落ちると、爆発するように炎が上がる。最後のはガソリンだったみたいだ。これにて、作戦の第二段階は終了。
「ふぅ、疲れた」
「あ、疲れはするのね」
「そりゃするだろ。……ちっ、煙で下が見えねーな」
しばらくすると炎は納まり、煙も風に流されてゆく。そうして、やっと砦前の広場が見える。広範囲に広がっていた蜘蛛の巣は焼け爛れ、残った糸も黒煙で黒に染まっている。地面も焼け焦げ、砦の姿は一変していた。白い雲の中に浮かぶ天空の砦は、黒く口を開けた地に沈んでいる。
魔物は……いる。死骸に混ざり、まだ動いている魔物もいる。でも、動きが鈍い。
「残ったのは十二体、か。どうする……?」
動きが鈍くなっているといっても、油断はできない。だが、攻めるなら今しかない。ここで引けば、二度と同じチャンスは巡ってこないだろう。時間がたてば魔物も回復してしまうし、警戒もされる。
「いくか…………本当にいけるのか……? 早く判断して合図を出さないと」
「おい、シオン。悩んでるとこ悪いけど、あれ見ろ」
カナリが指差したのは、崖の下に延びている、山間の砦に通じる山道だ。その先には……
「あれって……あー……」
理解した。でも、理解したくなかった。
山道をもの凄い勢いで走る、人影が見える。騎士の鎧を着け、腰に剣、手に槍を持ち、口の部分に布を巻きながら、ふわっとした金髪を振り乱しながら。騎士で、この近くにいて、金髪でって……
「サラちゃぁぁぁぁぁぁん!?」
まだ合図出してないんですけど! 俺たちが上から様子を見て、別働隊に進軍するか撤退するか、合図を出す手筈だったはずですけど!
「ほ、他の騎士は!?」
「いない……いや、後ろのほうにいる。けど、どうすればいいか戸惑ってる感じだな。ありゃ、サラの暴走だ。なんだお前ら、暴走得意か」
「だから
「どっちの?」
この状況で、そんなもん一つしかない。
「見捨てられるかよ! ――ソロドムさん、”二本”でお願いします! カナリはロープの準備を! 俺たちもすぐに降りるぞ!」
「はい!」
「おうよ!」
ソロドムさんは先端が筒状になった矢を弓につがえ、空に打上げる。矢の先端の筒は空気を震わせ、甲高い音が響く。続けて、もう一射。これが進軍の合図。これで、残りの騎士もサラちゃんを追ってくれるだろう。
カナリも、穴から渡したロープを近くに生えていた大きな木に結び、崖の下に垂らしている。数本のロープを縒って作ってある、頑丈なロープだ。擦れて切れないように、崖際の岩と触れる部分に厚手の布を挟み、こっちも準備完了。命綱もない危険な降り方だが、こっちだとこれが普通だと聞いて驚いた。
あとは、何重にも皮を重ねた皮手袋を着けて降りるだけ……
「よっしゃ、いくぞ!」
「ああ、早くサラちゃんのところに!」
もう、サラちゃんは魔物と戦っている。あ、ふらふらのブラッドリザードをさっそく倒した。
「待ってろよサラちゃ――うひぃ!?」
強い風が、穴から吹き込んできた。
カナリが移動すれば、穴も一緒に移動する。カナリが崖から降りれば、穴も一緒に降りる。だから……
「怖えぇぇぇぇぇぇぇぇぇよぉぉぉぉぉぉぉ!?」
思ったよりも速いスピードで、地面がどんどん近づいてくる。穴から吹き出る風が顔に当たるのも相まって、まるでジェットコースター! フリーフォール!
「早い速いハヤイ! て、手袋から煙出てるぞ!?」
「こんなん普通だろ!」
「普通じゃないってぇぇぇぇぇぇ!」
ああ~~! 股間がふわって! キュンキュンってするうぅぅぅぅぅぅ! って! 地面が! 地面が近い!!
「あぶ、あぶな! ぶ、ぶつ、ぶつかる!」
「よ……っと!」
カナリから鈍い音が鳴るのを覚悟し、穴から顔を離した瞬間、カナリがグルリと回った。
何事もなくカナリは立ち上がり、体に付いた埃を払っている。
「……お、おおお……五点着地……!」
足から肩まで五点で衝撃を分散させる着地方法。動画やマンガ以外で初めて見た。
「だから普通だって。山だとこれくらいできないとな」
「いやー、できないと思うけど……」
その山って、山岳兵の基地かなんかなの? 山育ち舐めてた。これが普通だってんなら、
「……
「煙を吸ったりするなよ」
「わかってるよ」
カナリは顔を顰めながら、布で鼻と口を覆う。
木々が燃えた臭いとも違う、鼻につく異臭。ガソリンと灯油、そしてペットボトルの溶けた、有毒な臭い。下に降りたことで、余計に惨状がわかる。
未だに地面で燻る煙。黒く焦げた地面。砦から出てきた魔物の大半は倒せた。だが、焼けて死んだ魔物の数より、舌を口外に出し動かなくなっている魔物のほうが多い。燃焼による酸欠と、焼けた煙とガスを吸ったせいだろう。
サラちゃんを先頭に、五人の騎士は残っている弱った魔物と戦っている。互いに魔物に囲まれないよう行動し、確実に一体一体、仕留めている。
「……確かに、
あれはよくわからん。どこにも姿が見えないし、炎に巻かれて燃え尽きたのかな。どっちにしろ、ここの魔物は生物の範疇を越えていない。中央から離れた、弱い魔物だからか?
「さぁて、オレたちもいきますか」
カナリは腰から剣を抜く。元から持っていた盗賊のナイフではなく、細身の剣。突く、ということに特化した剣。レイピアだ。
「狙う場所はわかってるよな」
「ああ。柔らかい場所、だろ?」
槍を構えたソロドムさんが、向かってくるブラッドリザードに槍を突き出す。魔物の首に浅く突き刺さる槍。弱ったブラッドリザードは、それだけで動きが止まる。その隙に、カナリが動いた。
「はぁっ!」
構えたレイピアを、真っ直ぐブラッドリザードへ突き出した。カナリのSTRでは、硬い皮膚で弾かれるか、剣身が折れる。しかし、カナリのレイピアは、ブラッドリザードのある一点に突き刺さる。
それは、眼球。カナリが突き刺したレイピアは、眼球を抉り、その奥にあるだろう脳にまで達する。
『ジャァァァァァッ……!?』
断末魔を上げ、体を震わせてブラッドリザードは動かなくなる。
「う、上手くいったな」
「動きが遅いから、なんとかな。サラなんて、力任せに剣をぶち当ててるけど」
「そこはまぁ、サラちゃんだし」
それで魔物を倒せてるんだから、気にしちゃいけない部分だ。魔物を無視してシオンに近寄ってこないだけ、マシだと思っておく。
残った魔物の掃除は順調。全て倒したら、あとは街を襲っている魔物が帰ってくる前に、砦の中にいるサージャオを――
『――――』
リン……と、鈴の音が聞こえた気がした。聞こえてきたのは、カナリの腰にある、盗賊のナイフ。鞘の中で金属の刃が、まるで鈴が鳴るように震えている。
「――逃げろサラ!」
前方で戦っているサラちゃんたち騎士に向かって、カナリが叫んだ。
空には大きく広がった白い網。その網が投網のように、騎士たちに落ちてくる。
「うわととととととっ!?」
慌てて網から逃げるサラちゃん。サラちゃんは無事のようだが、他の四人の騎士は、白い糸に包まれてしまう。騎士たちはもがくが、粘つき伸縮する糸は切れない。
――カツンと、砦の入り口に敷き詰められた石畳が鳴る。カツンカツンと、何度も、何度も。八本足の足音が響く。
「……さっそく、ボスの登場か。ダンジョンの攻略もなく出てくるなんて、気が早いんじゃないか……?」
砦から現れたのは、俺たちが倒すべき相手。その相手は怒りの形相を浮かべ、俺たちの前に現れる。
「キサマラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
砦前の広場に、サージャオの怒号が響き渡る。
……これは、予想よりも早い最終決戦になりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます