第22話 間幕 ある子蜘蛛の記憶 [改]
熱い。それが、ワタシの住む
『あら、小さな子蜘蛛ね』
石造りの大きな部屋に、母はいた。でも、もういなかった。
煌々と燃え続ける石畳の上に、ワタシの何倍も大きな体躯を持った母が横たわっている。
だけど、あるはずのモノがない。
『ママを探しにきたの? 可憐ねぇ。健気ねぇ。ほら、アナタの娘ですよ。声をかけてあげなさいな』
倒れた母の側に立つ、黒紅色に濡れた剣を持った黒髪の女が、手に持った母の頭をワタシに向ける。
『”は~い、ママでちゅよ~。でもゴメンね~。おっぱいはあげられないんでちゅ~“』
女は、楽しそうに母の口を手で動かしながら、聞いたことのない母の声を真似ている。本当に真似ているかどうかも怪しい。が、女が楽しそうにしているのは、ここまでだった。
『はぁ、つまんなーい。なにが、高純度の油だから全部燃やし尽くせる、よ。生き残ってるじゃない。臭いも酷いし。はい、返したげる』
急に声をトーンダウンさせ、女は無造作に、母の頭をワタシに投げ渡してきた。
『じゃあね~。生き残ってたら、また会いましょ。……証拠はこれでいっか』
女は母の腕を根元から切り落とし、自らの胸元にしまうと、外套をひるがえし煙のように消えてしまった。
残されたのは、ワタシと母の遺体。炎を纏い転がってきた頭が、ヒビ割れ光を失った八つの目が、力なくワタシを見ている。
『……ああ……あああああぁぁぁぁぁ×××××××××××××××××××――!!』
……ワタシが始めて発した言葉は、憎しみを込めた悲鳴だった。
――――
「サージャオ様。街への攻撃、始まりました」
「……そう」
西日で輝く糸を張り巡らせた広間で、配下の侍女からの報告に、小さく頷く。十年、ワタシに仕えている侍女。人間と同じような姿をしているが、これでもれっきとした魔物、魔族の一員。
「また、獲物の首から上は残せと、配下の魔物に命じたのですか?」
「ただの意趣返しよ。気にしないで」
チリチリと、胸の奥が疼く。あの女は、首を返してくれた。ならば、首くらいは転がしておいてもいいだろう。ただそれだけ。
「昨日に引き続き、騎士は街の外に布陣しているのよね」
「はい」
数キロ程度なら使い魔で様子を探ることもできるが、森の外となると、ワタシの
「時々、オマエの魔力が羨ましくなる」
「お戯れを。戦えぬ身でサージャオ様のお役に立てるのは、これくらいですので」
侍女の手に、小さな鳥型の使い魔が生まれる。侍女が息を吹きかけると、本物の鳥となんら変わりなく動きだし、空を飛び――霧散した。すぐに消えてしまったが、侍女が生み出した使い魔は、時間も、移動も、距離も、ワタシの使い魔とは比較にならないほど優秀。それこそ、森の外を探ることさえも。距離によって精度は下がるが、布陣した騎士の集団など見落とすことはない。
「それこそ戯れ。幼いワタシを救ったのは、一度や二度じゃないでしょ」
「それはほら、年の功でございます」
侍女は、生前の母に世話になったらしい。ワタシの側にいるのは、その恩返しというわけだ。
ワタシをここまで育ててくれたのは、この侍女。教会の騎士に見つかってしまえば、幼いアラクネなど生き残れない。その前に、砦に放たれた炎に巻かれて死んでいただろう。そんなワタシを、燃え盛る砦から助け出し、育ててくれた。十年という長い時間を過ごした。言うなれば、第二の母になる……のかもしれない。どちらにせよ――
「……礼を言う。オマエがいなければ、母の復讐を遂げる機会さえ得られなかった」
ワタシを、ここまで導いてくれた存在に代わりない。
「おい。なにを不思議な顔をしてる」
「――え? ああいえ、サージャオ様にお礼を言われるなんて、子供の頃以来でしたので」
「ワタシだって、礼を言いたい気分になることくらいある。……人間を食事に出さなければ、また言ってもいい」
それくらいには気分がいい。それと、いくら人間は餌だといっても、恨みの対象を食べる気にはなれない。それこそ、トキレムの人間であるなら。
「承知いたしました。次から気を付けることにします」
「そうしてくれ。……礼を言うくらいには、オマエの食事はワタシの口に合うんだから」
「では、トキレムを滅ぼしたあかつきには、存分に腕を振るわせていただくとしましょう」
「そうだな。それは楽しみだ。しかし、街を滅ぼしたとしても終わらない。あの女の首を、この手で刎ねるまでは……」
トキレムの街を滅ぼすのは、復讐の第一歩。恐怖を振り撒き、じわじわと。そして、さらに力をつけ、あの女を追う。母よりも、もっと強くなって。
だが……
「騎士が街の外に布陣している。オマエはそのことをどう考える?」
「昨日は、街に被害が出るのを避けるためかと思いました。ですが、今日もすぐに街へ引き返しているようです。まるで、野犬の群れの前に餌を差し出し、しかし餌を檻にしまうように」
「それも二度、か。他に、街に変わりはない?」
「少々お待ちください」
侍女が目を瞑る。使い魔と交信しているのだろう。
「……黒い煙……火事……いえ、まだ外で戦っています」
「なら、決まりか」
これは陽動だ。騎士が外に布陣したのも、挑発し、魔物を一体でも多く引きずり出すためか。いつか来るとは思っていたが、ずいぶんと早い。
……あの女もきているだろうか。青い子犬を出し、配下を蹴散らしたあの女。侍女は血を媒体にした召喚魔法と言っていた。ワタシには使えない魔法。しかし、驚異にはなりえない。持っていかれたとしても、脚の数本だろう。制限時間もあったようだし、問題はない。
「申し訳ありません。使い魔は全て、街の様子を探るため使用していました……」
「いい。そう命じたのはワタシだから」
「今から、周囲を探りますか?」
「それもいい。もし陽動だったとしても、オマエが気付かないような少数だ。昨日の内に動かれていたとしたら、もう近くにいるだろう。それに、その程度の人数では、この砦に入り込めはしない」
砦に張り巡らせた糸は、全てこの場所に繋がっている。背後に這っている糸に触れれば、砦の周囲の状況が手に取るようにわかる。糸に触れる風の嘶きも、舞い散る砂も――獲物も。糸に獲物が触れれば、瞬く間に雁字搦め。母のように糸で獲物を切り裂くことはできないが、これで十分。
周囲から集めた魔物の大多数は街を襲いに向かったが、砦にも魔物は残っている。糸に包まれた獲物など、ワタシが手を下すまでもなく、餌になるだろう。
「…………?」
ピクリと、糸に反応があった。普段は無視するような、小さな反応。人間や動物ではない。小さく、だが、何度も糸が震える。
「……石……か?」
ここは山の中。砦の側には崖もある。石が転がってくるくらい、不思議ではない。しかし、なにかがおかしい。硬さはあっても、糸に触れる感触があまりにも軽い。崖から転がってきたとは思えないほどに。そして、絶え間なく……
「サージャオ様! 外を!」
糸に集中していた意識を窓の外に向ける。日の光を遮るように、丸い物体が窓を横切る。それは、小さな石が結ばれた、色取り取りのボール。そのボールが、空を埋め尽くすように降り注いでいた。
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