第21話 決戦前夜
薄暗い闇の中、森と平地の切れ間に、幾多もの砂煙が上がる。魔物の進軍。数十体の魔物がトキレムの街目掛けて。が、街との間には壁がある。大盾を構え、槍を持ち、待ち構える教会騎士の壁。
魔物は臆することなく、
横陣が魔物との衝撃でたわみ、そのまま戦端が開かれる――かと思いきや、騎士たちは反撃はせず、街の防壁のほうへ後退してゆく。
「……よし」
その様子を、俺は望遠鏡で見届けていた。
街の外で騎士たちを展開させて見せ、挑発するように魔物を待ち受ける。それは俺とカナリが教会に頼んだことであり、望み通りに、魔物は挑発に乗ってくれた。後は騎士に被害が出ないうちに、街に引っ込み防衛戦に持ち込んでくれるだろう。
これはあくまで挑発。一体でも多くの魔物を、森から引きづり出すのが目的だ。
「俺たちもいこうか」
カナリの肩口に浮かびながら、協力してもらう六人の騎士に指示を出す。
前衛に二人、後衛に二人、中央の俺とカナリの両脇に一人ずつ。打ち合わせどおりに陣形を組み、先頭の騎士の合図とともに、森へと続く細い道に入ってゆく。道といっても、地元の猟師なんかが使う、獣道みたいな細い道。もちろん馬は使えない。徒歩だ。
――俺とカナリは、神父との約束どおり、六人の騎士を借り受けた。ただ、そこに条件を付けさせてもらった。
全員が自力で魔物と戦える者であること。山に詳しい人物が最低でも一人は欲しいこと。そして、周りの気配に敏感な――ゲームで言えば
この三つ。そうして、教会騎士の中から六名が選ばれた。周囲を探索できるような魔法使いはいなかったが、代わりに目と耳に長けた騎士が加わった。
俺を含めて(いいかどうかは微妙なところだけど)八名は、森に魔物の気配が濃くなってきたところで馬で離れた森の入り口まで駆けつけ、魔物が出てきたところで、森に入り山間の砦を目指する。そのためには、山に詳しい人物と、危機察知ができる斥候、そして、魔物の囮となる騎士団が必要だった。
「これ、ありがとうございました」
横を歩いている騎士の青年に声をかけ、借りていた望遠鏡を渡す。青年の名は、ソロドム=シキカラ。獣人族であり、両親がトキレムで猟師をしていて、この辺りの山に明るい人物だ。前を歩いている前衛の一人は、ソロドムさんの兄で、こちらも山に詳しい。斥候役の騎士と共に、先頭を歩いている。
「いえ、勇者様の役に立てたのなら、嬉しい限りです」
ソロドムは嫌がる素振りも見せずに、望遠鏡を受け取ってくれる。
本当はカナリの望遠鏡を使いたかったのだが、監視砦の戦いで落としたらしく、その辺りの道具も教会からの貸し出しとなっているのだ。助けられたときは肩に担がれていたわけだし、落とすにしてもしかたない状況だったわけだけども。エアダスターなんかはその場に置きっぱなしだったし。
……しかし、勇者様だなんて呼ばれると体が痒くなってしかたないな。かといって、勇者として教会に協力してもらっている立場上、否定するわけにもいかない。我慢するしかない。そしてカナリさん、笑わないでくれますかね。堪えてるようだけど、微妙に聞こえてるからな。
「……それで、山の様子はどうですか?」
「兄ほど詳しいわけではありませんが……静かですね。動物の臭いも薄い」
「やっぱり、魔物のせいですか」
「昨日の夕方も、魔物が森から出て街を襲ってましたからね。その気に当てられて、動物たちも気配を殺しているみたいです」
昨日――教会に勇者だと正体を明かした日にも、サージャオの宣言のとおり、魔物の襲撃はあった。そして、ついさっきの襲撃。本当に毎日のように魔物をけしかける気のようだ。だからこそ、教会は俺たちの頼みをすぐにでも聞いてくれたんだろう。昨日の今日で騎士を外に布陣し、頼んだ条件の騎士を揃えてくれた。というか、揃えるからさっさとサージャオをどうにかしろとせっつかれた(意訳)。
まぁ、俺たちが倒せればよし。倒せなくても、六人の犠牲で済む。そんなことを思ってしまうのは、俺がひねくれているということだろうか。
「魔物の気配のほうはどうです? 急に出てきたりとか」
「なにかあれば仲間が知らせると思いますが、今のところはその心配もないかと思いますよ。この辺りの魔物は、元々数が多くありません。サージャオはその魔物を集めているわけですから」
「相対的に、魔物と出会う確立は減っていると」
「そういうことです」
攻め入られる分には厄介だが、こうして少数で森を移動するには楽な状況になってるのか。だから山間の砦まで堂々と行動しよう、なんて気楽にはできないが、少しは気が楽になる。今は夜に行動してるわけだし、静かになってるとはいっても、夜行性の動物なんかにも気を付けなきゃいけない。魔物の脅威が減っているというのは、素直に嬉しい。
「わかりました。色々とありがとうございます、ソロドムさん」
「これくらい、お安い御用です。……ええと、それと勇者様。そんなに堅苦しく話さなくても結構ですよ」
「え。でもソロドムさん、俺より年上ですよね?」
ソロドムさんは、どう見ても俺と同い年には見えない。パッと見でも二十代だと思う。それに、出合って間もない人に軽口を叩けるほど、俺の心は強くないんですよ。はい。決してコミュ障とかじゃないよ?
「だから、気にしないでください」
「はぁ……勇者様がそれでいいんでしたら。にしても、ずいぶんと十年前の勇者様とは違いますね」
「十年前の、ですか」
「はい。私も直接話したことはありませんが、聞いた話では……その、偉そうな人だったと」
「……らしいですね。俺はほら、勇者といっても別人ですから」
十年前の勇者様。好き勝手にやった勇者の尻拭いでサージャオを倒す。そうすることで、俺の評価が上がる。俺とカナリはそう思っていたのだが……少々、事情が変わっていた。
勇者の評価が、住人の中で二つに別れていたのだ。
ある者は、街を発展させた
ある者は、街に害を持ち込んだ
主にこの二つ。前者は、商人や新しく街に越してきた人。後者は、ザフィージェ討伐で犠牲になった人の遺族や、街の発展についてゆけなかった人。
比率にして七対三から八対二で、教会は中立って感じ。最後のは逆恨みに近いんだろうけど、十年前の勇者を恨んでいる人のほうが、ずっと少ないというのが現状だとわかった。
十年前のトキレムは、今よりずっと小さな街だったらしい。それがザフィージェが倒されたことで、流通が捗り、発展していった。魔物の数も少なく弱い。だからこそ商人や、新しく街の住人になった者には評価が高い。発展の恩恵に預かった住人もそう。ゲーム上で見る街並みと違って見えたのも、十年で発展したからかもしれない。
そして、これは資料から得た情報だが、十年前のザフィージェ討伐には教会騎士の他にも、街の自警団が関わっていた。元は教会騎士だけで倒すはずだったのを、十年前の勇者が自警団も連れ出したと書いていた。そして、結果的に騎士よりも多数の死者を出した。その恨みが、十年を経ても根深く残っている。
俺とカナリがサージャオを倒しても、どちらの熱も冷めそうにない。倒す意味が薄れたと言ってもいい。
「……なんともまぁ、面倒なことで……」
「なにか仰いましたか?」
「いや、がんばんないとなーって思いましてね」
「はい、勇者様。勇者様のおかげで、楽もできてますし」
……やるって言っちゃったし、やるだけはやるけどね。ここで、やっぱりやーめた、なんてやったら、ますます酷いことになる。
「……なんか、マジメに話してますね。カナリさん」
「……シオンがマジメな話ができたなんて、驚きだな」
「……ねっ。シオンさんのくせに」
「……なっ。シオンのくせに」
なんか、ヒソヒソと聞こえてきますねぇ。ヒソヒソっても近いから、ちゃんと聞こえてるんですけどねぇ。
「そこの二人ー。人の悪口言ってないでちゃんと歩きなさい」
「わっ。聞かれてましたよ」
「盗み聞きとは失礼な奴だな」
悪びれる素振りさえ見せない、カナリとサラちゃん。ええ、ええ。もちろんサラちゃんもいます。カナリがいるところにサラちゃんあり。六人の騎士を選ぶとき、真っ先に立候補したのがサラちゃんだったからね。戦闘力という点では文句の付けようもないけど。
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「変態だろ?」
「変態さんですよね?」
おや、息ピッタリだね。くそが。
「変態じゃないですよー? あと、
変なこと言うなよ。ソロドムさんがすげぇ困った顔してるじゃないか。状況を考えてくれよな。変に畏まられるより、ずっと楽だけどさ。
「今日も明日も、何時間も歩くんだ。くだらないこと言ってないで歩け」
「へいへい。歩かない勇者さまよ」
「シオンさんは、穴の向こうで座ってるだけですからねー」
「まだ絡んでくるか……」
昨日の夜のことが原因なんだろうが、大事な実験だったってことで、二人とも許してくれたんじゃなかったのかよ。
……はぁ。今日の野営地まで、聞いた話じゃ歩いて四時間。その間、ずっとこんな調子なのかと思うと、気が滅入ってくる……
――そして四時間後
「……勇者というより倉庫ですね」
「……ああ、倉庫だな。便利な勇者で助かった」
まだネチネチ言われていた。
「しかも反論できねぇときたもんだ」
穴に野営のために用意したあった、畳んだテントを押し込みながら、歯軋りする。
俺たちは予定より早い時間に、野営地に到着していた。多少の切り株なんかはあるが、木々の切れ間で七人程度なら余裕で寝られる。
さすが電車やバスどころか車もない世界の人々。全員健脚なのか、行軍は早かった。が、予定より早く野営地に到着できた一因には、俺が――というか、穴が関係している。
飲み水や食料、テント。他にも色々。サージャオ退治には必要じゃなくとも、山を歩き、人が一日を乗り越えるには必要な品々。その一切合財が、俺の部屋に押し込められていた。必要になったときだけ、俺から受け取ればいい。余計な重量物を持たなくて済むんだから、進む足も速くなるってもんだ。
「おい、シオン。喉が渇いた。飲みモン寄越せ」
「人を便利道具みたいに扱いやがって。ほらよっ」
野営道具を全部出したところで、偉っそうに飲み物を要求してきたカナリに、ペットボトルを渡す。四次元じゃなくて三次元なおかげで、部屋が狭いったらありゃしない。
「……ふぅ。これ、ポケリだっけ。妙に甘ったるいけど、美味いな」
「スポーツ飲料だからな。動いた後にはもってこいだ。常温だけど」
「ふーん」
カナリはペットボトルを咥えながら、切り株の上に座る。
目の前には人口の明かりなんて一つもない闇の森。上を見ても、木の枝に空は隠され星も見えない。光は、野営地の中心にある小さな焚き火だけ。
子供の頃に田舎の婆ちゃんの家に行ったとき、街灯のない道が怖かったなぁ。幽霊が出そうでさ。ここはもっと物理的に怖いのが出る場所だけど。でも、カナリも騎士も騒いでないってことは、魔物は近くにいないんだろう。
「カナリは手伝わなくていいのか。サラちゃんは?」
「サラは他の騎士と周囲の偵察に出た。野営の準備も、手伝おうとしたら断られた。従者様は、勇者様のお相手をお願いします。だってよ」
「扱いに困られてるな」
「シオンほどじゃないけどな」
そりゃそうだ。俺は住んでる場所どころか、世界が違う人間だから。ソロドムさんも、必要以上に話しかけてこなかった。せいぜい、水や道具が必要になったときくらい。サラちゃんも、俺よりカナリに話しかけるほうが多かったし。そうそう、だから道中で寂しかったのは……あれ、なんか目から汗が……
「シオン、明日だな」
「あ、ああ。明日だ。あっという間だった」
サージャオの攻略法を思いつき、その日の内に、こうして向かっている。このまま順調なら、明日の昼過ぎには山間の砦の近くまで行けだろう。
「今年最後の日だ。面倒事は来年に持ち越したくないもんだ」
「明後日には新しい年になるんだっけか。こっちはまだ一ヶ月以上先だな」
「そっちだと、そんなに先か。……上手くいくかな」
「いくさ。多分」
「軽いなぁ」
「重く考えても、どうしようもないからな」
……そうだな。ここで倒せるか心配しても、意味はない。考えた作戦通り、動いてみるだけだ。
「それにだ。倒せそうになかったら」
カナリが
「逃げる」
そう言って、カナリの拳に自分の拳を合わせる。
「そうだ。死んだら終わり。生きてりゃなんとかなるさ」
「俺のためにも、死なないでくれよ」
「任しとけって。逃げ足には自信がある。シオンの命もかかってるからな」
騎士たちにも、無茶はしないと告げてある。いざとなったら逃げると正直に。いのち大事に。逃げるが勝ち。死ぬよりはずっといい。
「偵察から戻りましたー。周囲は安全そうで――あ、カナリさん! なに飲んでるんですか?」
「おかえり、サラ。シオンの世界の飲みモンだ」
「え、それって大丈夫なんですか? こう、体液的なものが入ってたりとかは」
「入ってねぇよ。それをすぐに思いつくサラちゃんが
こうして、少しだけ騒がしく、決戦前の夜が更けてゆく。
……願わくば、明日の夜も、明後日も、無事に迎えることができることを祈るばかりだ。
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