第19話 進むべき道は

 カナリの部屋に戻ってから十数分。気分が落ち着いてきた俺は、自分の吐瀉物を片付け、ようやく椅子に座る。濡れ雑巾のせいで指先はすでにかじかみ、開けっ放しの窓から入ってくる冷気は、体の熱をどんどん奪ってゆく。だが、今はそれが必要だった。頭の芯まで冷やして麻痺させていないと、広場の出来事が頭に浮かんでしまう。


「そっち、寒くないか?」

「こっちは冬じゃないし、冷たい空気が心地いい。外は煙臭いし、窓も開けらんないから。酸っぱい臭いが一緒に入ってくるのが難点だけど」

「……ごめん」


 これでも換気しっぱなしだから、マシになってるんだけどなぁ。

 机の上に消臭剤を振り撒きながら、椅子に座り気だるげなカナリに謝る。サラちゃんは、街の後始末があるからと、宿屋の前で別れた。


「なぁ、シオン」

「臭いなら少し我慢してくれ。気になるなら消臭剤渡すけど」

「んなことじゃねーよ。そんなもん渡されても、変なもんだったら売れねーし」


 そんな変なものじゃないんだけどなぁ。大手の製薬会社が出してる奴だし。そっちだと消臭ってより、お香とか香水とかで上書きする感じなのかね。というか、売ろうとすんなよ。


「あーと……あれだ。シオンの世界って、平和なんだな」

「まぁ、それなりには。世界ってより、俺がいる国がってほうが正しいけど」


 他の国では、内戦や他の国と戦争してるところもあるし。それになにより、魔物という化け物がいない。人類全体が力を合わせなければ敵わないような相手は、今のところ映画やマンガの中にしか現れていない。


「……やっぱりか」

「なんだよ。平和なのはいけないことか?」

「いーや、いいことじゃないか。平和サイコー。オレは知らないけど。まっ、だからなんだなーって」

「だから、ってなにが」

「シオン、人の生き死にを見るの、慣れてないだろ」

「……………………それがどうした」


 そりゃそうだろ。それに、人の生き死になんて慣れるもんでもないだろ。触れる機会だって、滅多にあるもんじゃない。せいぜい、葬式くらいだ。


「カナリだって、山に引きこもってる魔女の一族だっただろ」

「それでも、力のない奴は年に何人か死ぬ。目の前で魔物に食い殺される奴を見たことだってある。この街の奴らだってそうさ。シオンはさ、街の外に出るって話したとき、スライムを怖がってたよな」

「怖いだろうが。だって、戦って負けたら死ぬんだぞ?」

「そうだな。死ぬな。力がないのに、

「――ッ……! ずいぶん含みのある言いかただな。あれか。カナリみたいに、逃げろっていうのか」

「そうだよ。魔物と戦えないなら逃げろ」


 はっきりと、カナリが言い放つ。そこに澱みはない。


「もっと言わせてもらえば、魔物と戦いになる前に逃げろ。見かけたら逃げろ。気配を感じたら逃げろ。戦える奴だけが戦え。スライム程度なら、深い森でもなけりゃすぐ見つけられるし、近づかれる前に逃げられる。そうやって、みんな生きてるんだ」

「逃げられなかったら、一体どうすんだよ」

「足掻け。死ぬ気で足掻け。それでダメなら、サヨウナラだ」

「……酷い言い様だな」


 理不尽だとは思わないんだろうか。そりゃ、俺の近くにだってどんな危険が転がってるかわからない。殺人鬼と出くわす可能性だってあるだろうさ。でも、探せば簡単に見つかる魔物ほどじゃない。逃げられない=死。そんなものが平気で転がってるだなんて、理不尽以外の何ものでもないだろう。


「酷いか。酷いよな。オレも思うよ。……でもな、それがオレたちのいる世界なんだよ。シオンが首を突っ込んで見てるのは、そんな世界なんだよ」

「…………なにが言いたいんだよ」

「まだ、わかんないか?」


 カナリが、小さく息を吐く。

 はっ! わかんないのかって? わかってるさ。昨日の夜も、似たような話をしてたもんな。


「怖いだろ?」

「……ああ、怖いさ」

「また、今日みたいな光景を見たいか?」

「……いいや、見たくなんてない」

「巻き込まれて、シオンも死ぬかもしれないぞ?」

「……死にたく、ないなぁ」

「だろ? だったらさ――」


 カナリの指が、穴を軽く弾く。それだけで、穴は簡単に動いてしまう。


「もう、オレに関わるな。穴なんて壊せ。壊せなきゃ、シオンは、穴からいくらでも離れられるんだし、どっか適当に埋めっちまえ。そして――忘れろ」


 ……ああ、やっぱりだ。そんな笑顔で言わないでくれ。

 怖いよ。見たくないよ。死にたくないよ。目の前に首が転がってくるような世界だぞ? 逃げられるなら、逃げたいさ。でもな……


「イヤだ」


 俺の答えは決まってるんだ。

 それ以外、俺にはないんだよ。


「お前なぁ……」

「親切で言ってくれたのはわかってる。カナリは優しいよ。それに俺は、元々そっちの世界には関係のない人間だ」

「だったら……!」

「でもな、もうんだよ。離れられるとか、離れられないとかじゃない。もう、無関係じゃないんだよ」


 きっと俺がルキティアル戦記ゲームをプレイしたときから、繋がってしまったんだ。そして、カナリと出会ったんだ。出会っちゃったんだよ。


「カナリが俺を嫌いだって、顔も見たくないって言うなら考える。でもな、見たくないなら顔を伏せてろってだけなら、断固お断りだ。顔を伏せるくらいなら、一緒に旅をして、一緒に考えて……一緒に、死んでやる」


 それが、俺の道だ。どうあっても逃げられないし、逃げる気もない。


「……シオン」

「まぁ、実際に旅をするのはカナリだけどな。あと、これ以上金をどうにかしろとか言われてもキツイ。簡単に死ぬ気はない……ってのは昨日も言ったな」

「…………はぁ…………しまらねぇなぁ、おい」


 しょうがないだろ。できないものはできないんだから。

 呆れたように手で顔を覆うカナリだが、隠しきれていない口元は笑っている。


「カナリは、俺が嫌いか?」

「……別に、嫌いじゃねーよ」

「じゃあ、これからも一緒だ」

「はいはい、よろしくな。せいぜい嫌われないようにしてろ」


 なら、この会話は終わりだ。これから、嫌われないように気を付けなければ。うーん……まずは、セリたん断ち? あ、ちょっと自信ないかも。あれはこう、魂の叫び的な感じだからなぁ。


「はぁ~~あ。シオンがこのまま一緒なら、色々と考えなきゃな」

「なんだよ、面倒事みたいにさ」

「実際、面倒。いつまでオレが隠してなきゃいけないんだよ」

「えーと……ずっと? ……はい、そんな嫌な顔すんな」


 露骨に顔を顰めやがって、ちくしょう。俺、本当に嫌われてないんだよね?


「ずっとオレに隠れてんのか?」

「ダメか?」

「それも一つの手段ではあるけど、また、今日みたいなことになるかもしれないんだぞ?」


 今日みたいなこと、ね。ああクソ。思い出しちゃったじゃないか。どうせ布団に入ったら思い出してただろうに、今かよ。早いよ。


「『クソ勇者のせいで』だろ」

「そうだ。十年前の勇者が、他でもなにかしてるかもしれない。救ってるならいいとして、この街みたいに、時間を置いて悪い結果になってたり、すでに恨みを買ってる可能性だってある。そんな話をされるたびに、シオンに吐かれたくないな」

「でも、俺はその勇者じゃないし? 関係ないだろ」

「他の奴らがそう思ってくれるんならな。被害者だと思ってる奴の中には、そんなことお構いなしに突っかかってくるぞ? 今日だってシオンのことが住人にバレてたら、絶対になんかあっただろ。『勇者なら責任を取れ』程度なら御の字。最悪、首を引きずりだされて殺されてたかも」


 カナリは自分の首に親指を当て、横に引いて舌を出す。


「……そんなにか」

「感情的になって、怒りの捌け口を探してたからな」


 確かに、原因を作ったのと同じ状況の人間がいたりしたら、リンチが起きる……のかなぁ。それをダメなことだと思えるのは、情操教育の賜物なのだろうか。そっちの世界の教育って、どんなもんなんだろ。見てた限りでは、なかなか高そうだけど。どっちにしろ――


「余計に隠れてなきゃダメじゃないか」

「そんなことねーよ。他にも手がある。隠れないで済む、最っ高のがな」

「……え~~~~」


 うわ~い。最っ高に聞きたくないぞ~。


「聞きたくないけど、聞いてやるよ」

「よぅし。一度しか言わないからな」

「じゃあ耳塞いでるわ――いででででで! 耳を引っ張るな! 頭を穴から引っ張り出すな! そんで両耳を掴むな!」

「一緒に考えるって言ってただろうが。――うわ、耳冷てぇ」

「だから余計に痛いんだよ! わかったから耳を離せ! あと、顔が近い!」

「よし、ちゃんと聞けよ」


 頼みは無視され両耳を引っ張られながら、お互いの額が着きそうなほど顔が近づく。でも俺の目は、カナリの瞳から逸らすことができない。カナリの吸い込まれそうなほど綺麗な目が、すっと細くなる。


「オレたちの手でサージャオを倒す。シオン、。ひひっ!」


 無邪気に、楽しそうに、カナリが笑う。……ったく、そんなことできると思ってるのか? 

 ……ああ、でもな。確かに、それは最高だ。勇者と呼ばれるくらいになれば――


「はぁ……詳しく聞かせてくれ」

「よし! そうこなくっちゃな!」

「はいはい。少しくらい考えあっての提案なんだろうな」


 ――贖罪に、なってくれるだろうか。

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