第17話 断たれた道

 空の半分がオレンジ色に、もう半分が闇色に染まる頃、俺とカナリは、穴について色々と実験していた丘へときていた。

 昨日のカナリとは逆に、俺が穴から顔を出して、オレンジ色の割合がどんどん減ってゆく空を見上げている。


「……ああ……俺の一日が終わる……」

「いや、終わらねーし。まだ夜が残ってるぞ」

「そうだけどさー。なんかこう、何事もなく平穏に終わったのが信じられない」

「まあなー。昨日は大変だったからなー」


 二人して、ボケっと空を見る。

 今日やったことといえば、教会で金を受け取り、コリッソという商人に隊商に入れてもらえるよう金を渡し、出発は明日だということで賭場に遊びに行ったくらい。昨日みたいに、魔物に襲われることも、カナリが倒れることもなかった。平和だ。教会でサラちゃんの変態度合いが増したこと以外、平和だった。平和だったんだよ。


「しっかし、シオンの慌てっぷりには笑ったな」

「えっ? なんのことだ?」

「えって……いや、賭場で遊んだあと、牧場に行ったじゃないか」

「ぼく……じょう……?」


 はて、なんのことだらう? ぼくじょうってなんだ?


「そうだよ。ケト――」

「行ってない」

「……行っただろ? ケトラの――」

!」


 ほぼ脊髄反射で返事を返す。いや、脊髄反射もなにもない。俺は行ってないんだから。けとらってなんだ? 毛が生えた虎だっけ? 普通の虎じゃないか。……でも、なんだ。この心の奥底にこびり付いた汚泥のような不快感は。そんな気分になること、今日はなかったはずだ。金の受け渡しをして、賭場で遊んで、遊んで……その後は?

 ……そうだ、なにかあった気がする。思い出すな。塀に囲まれた工場にカナリが歩いている。頭痛がする。その中で、何かを見たんだ。見てない。あれはなんだっけ。なんでもない。目があって、手足があって、でも、ぐねぐねぐねぐねしてて。――――あああああああああれは人間の腕じゃないかでも反対にあるのは馬の蹄みたいなでも下に生えてるのは山羊の足だからかめぇめぇ鳴いてるんだやめろよその目で俺を見るな真っ黒な目で俺を見るな世界が壊れる気がする血肉が笑う笑い声がひびくあたまがいたいいあいあ……!


「――シオン! シオン!!」

「ハッ!? お、俺はなにを……」


 闇より深い深淵に飲み込まれかけた思考が、カナリの声で浮上する。アレは思い出しちゃいけない。アレは…………………………なんだっけ? ぽっかりと穴が空いたように、記憶に隙間がある。


「たしか、ぼく……ぼくじょ……うぅ……!」

「い、言ってない! 牧場だなんて言ってない! そ、そうだ! 賭場だ! シオンが賭けろって言ったソウラ、もう少しで勝ってたな! 勝ってたら大穴だったぞ!」

「あ、ああ! あれは惜しかったな!」


 唐突な賭場の話題。よくわからない。けど、これでいい。そう心が訴えかけてくる。ちなみにソウラという動物は、頭に一本の角を生やした、猫と鼠を混ぜて二で割って、平べったくしたような動物だった。これ以上上手い説明が思いつかないけど、俺にもよくわからないんだからしょうがない。


「それにしても、賭場ってのはいつもあんなに熱気というか、殺気立ってるのか? 俺、賭け事とかする場所に入ったことないから、知らないんだよな」

「オレだって賭場は知ってても、入ったのは初めてだったからなぁ。山には賭場なんてなかったし」


 片やギャンブルが禁止されてる未成年。もう一方も、山奥育ちで話しか聞いたことがない田舎モノ。殺気立つ大人に、少々気圧された。それでも数度は賭けて遊んだんだから、カナリはなかなか気が強い。俺だったら、すぐに店の外に逃げてたところだ。


「普段がどうかは知らないけど、普通より殺気があったってんなら理由は一つだろ」

「……資金集めってことか」

「しかないだろ。次の街に逃げたい。でも資金がない。手っ取り早く金を稼ぐなら、賭場しかなかったんだろ。まっ、オレたちは金を渡した後だったし、危険手当ってことで、教会から多めに金を受け取ってたから、残った金でだけだったからな」

「今後を賭けたギャンブルなら、そりゃ殺気立つってわけか」

「下手に大穴なんて当ててたら、路地裏に連れ込まれて脅されてたかもな」


 そりゃ怖い。そんな怖い思いするんなら、当たらなくてよかった。でも、今一番怖がっている人たちは――


「やっぱり、ザフィージェの恐怖は街に浸透してるってことか」

「それもあるだろうけど、サージャオの件で余計にだな。母親ザフィージェは砦から出ないで指示しかしてなかった。それでも住民は恐怖を忘れられない。なのに娘は、人間は母親の仇だって息巻いてる。いつ直接襲ってくるかわからない。だから、さっさと街から離れたい」

「ザフィージェが倒されて平和……とまではいかなくても、その頃よりもマシな生活ができてたろうにな。今じゃ逆戻りどころか、もっと大変な状況になったと」

「結果論だけどな。ザフィージェを倒さなきゃよかったんだって、そんな話をしてる連中もいるらしいぞ」


 カナリが一つ鼻を鳴らす。


「そんな中、俺たちはさっさと逃げる、と」

「今さら反対だとか言うんじゃないだろうな」

「言わないさ。カナリが無事ならそれでいい」

「そ、そうかよ……」


 ロードもセーブもないんだ。危ない目に合わないように逃げるのも、一つの手段だ。


「あーあ、明日でセリたんともお別れか」

「結局それかよ。いいか、絶対に明日出発だからな」

「わかってる。別れを惜しむくらいいいだろ」


 セリたんは街に残るみたいだし、耳をモフるという夢は叶いそうにない。だったらせめて、嘆かせてくれというものだ。

 すっかりと空からは陽が落ち、街は松明の明かりで仄かに光っている。電気なんかじゃない、自然の、炎の光。その光の一つに、セリたんの家がある。質屋、質屋と……


「……おお……!」

「なに驚いてるんだよ」

「ちょっと、星の綺麗さにめまいがした」


 質屋を探して視線を彷徨わせていたが、視線は街ではなく、満天の星空に固定される。

 いままで見たこともないような、空一面の星空。数え切れない星の数というより、数える気さえ起きないくらい、空には星が瞬いている。こんな星空、地球でも見れる場所は限られてるだろう。という点を除けば、だが。


「街の光がないだけで、こんなに空は明るいのか」

「そうか? 山の上からだと、もっと見えるぞ?」

「ふーん、空気が薄いからかね。なぁ、星座って、そっちにもあるのか?」

「あるぞ。魔法には、星座にちなんだ名前もあるからな。北の空に、四つの四角い星があるのわかるか?」

「えーと……あれかな?」


 北の空に四つ。一際光り輝く星が、四角形に並んでいる。


「あれが、一年を通してずっと空に輝いてる星、四天光(してんこう)」

「へぇ。こっちの北極星みたいなもんか」

「で、そこから右にある赤い星をぐるって囲んで、ソウラ座」


 あの潰れた猫鼠の星座か。うん、どうしてそうなるのか、まったくわからん。まぁ、それは地球の星座でも一緒だけど。

 カナリは次々に指差し、沢山の星座を教えてくれる。ほとんどが聞いたこともない、なにを指しているかもわからない名前の星座だったが、空の綺麗さも相まってか、ずっと見続けられる。子供の頃に夢中になって見た、プラネタリウムを思い出す。


「――とまぁ、今見えてる星座はこんなもんかな」

「ほとんどわかんなかったけど、とりあえず凄かった。星座、詳しいんだな」

「言ったろ。魔法にも関係してるって。……そうだ。今度は、シオンの世界の星も見せてくれよ」

「俺の? こっちに比べたら、まったく星なんて見えないぞ」


 街の明かりに掻き消された星空は、こっちの星空の数分の一も見えやしない。見るんだったら山とか……近くに海があるし、砂浜だったら多少マシに星も見えるかもしれない。


「そっか。なら、朝陽が見たい」

「朝陽? なんでまた」


 ここ三日の経験だけで言えば、その辺りは地球と変わらないように見えたけど。


「えーとな、俺が住んでた山の景色は、白と灰と、少しだけ緑があるだけだった。だから、朝や夕方の太陽が好きなんだよ。いつもと違う景色を見せてくれる。オレンジ色の夕方とか、陽が昇る直前の、薄ーい紫色の空とか。同じような空でも、感じかたが違うかもしれないだろ。なんたって、異世界の空だからな」

「そんなもんかねぇ。俺もこっちの星空は驚いたけど」

「そんなもんでいいんだよ。オレが見たいだけだし」


 それくらいなら、まぁいいか。カナリは山育ちみたいだし、浜辺で海から昇る朝日でも見せてやろう。驚いてくれたら重畳だ。問題は、海までどうやってディスプレイを運ぶかだけど。そこら辺は俺が根性出そう。チャリでもなんでも、くくりつけて運べばいいや。


「ああ、そっか。驚かせるなら、アレも有りか」

「他にも見せてくれんのか?」

「星とか太陽の光ってわけじゃないけどな。見せたいのは街の光だよ」

「そんなんで驚けんのかよ」

「百万人近い人間が住んでるところだからな。高いビルとか山に登って見下ろすと、この星空には負けるけど、景色はなかなか見ごたえがあると思う」

「百万って……想像つかねー」

「だったら、見てのお楽しみってやつだ」


 松明に照らされたトキレムなんて目じゃないくらい、光り輝いてるはずだ。


「そんなに凄いんなら、楽しみにしとくよ」

「おう、しとけしとけ。そうだなぁ……こっちでいうと、車のヘッドライトながれぼしがずっと動いてて、赤いブレーキランプすいせいが並んでて。――ああほら、あんな具合に」


 街から離れた森の入り口。そこに、赤い光点がいくつも並び、静かに動いていた。……で、あれはなんだ? なんて考えていると、カナリは俺の頭を掴み、ゆっくりと丘を下りだす。


「……シオン、頭引っ込めろ。街に戻るぞ」

「あ、お、おい。ちょっと待て! まだ引っ込めてないから。まだ脱ぐな! だから引っ込めてない――」


 頭を引っ込めてないのに服の中にしまおうとするもんだから、額とか頬に、柔らかな肌が触れる。おかげで心臓が痛い。


「はぁ、はぁ。ありがとう――じゃない、急にどうしたんだよ」

「急がなきゃいけない理由ができたからな。このままじゃ、明日出発できるかも怪しくなる」

「なんだよ理由って」

「そんなもん、決まってんだろ。いいか。あの赤い光はな、だ」


 そう言いながら、カナリは走り出す。

 魔物。魔物か。ああ、そういやブラッドリザードとかげの目なんて、真っ赤だったな。


「って、魔物!? お、おい! どういうことだよ!」

「オレが知るか! 監視なのか、それとも襲撃なのか! 数の多さ的に、監視ってのはなさそうだけどさ!」

「襲撃って……! マジか!?」

「だから知らねーよ! どっちにしろ、森の入り口は街から見え辛い! オレたちが知らせにいかないと、街は一気に襲われる!」


 俺たちは口を閉じ、カナリが全速力で街へと走る。

 魔物が近くにいると知らせるために。だが――


 ――赤い光すいせいが街に衝突したのは、それからすぐのことだった。

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