第14話 蒼戒のマーニデオ [改]
――昔々、青い髪をした、魔法使いの少女がいた。
その少女の名は、キア=マーニデオ。
キアは他の魔法使いよりも魔法の扱いに長け、他の魔法使いよりも心に空いた穴が大きく、他の魔法使いよりも探究心が強かった。
己の知識欲に突き動かされるまま、キアは魔法の研究に没頭し、心の穴は異界と繋がっていることを突き止め、誰も成し得なかった異界の魔獣と契約し、人智を越えた力を得た。
人々は畏怖と賞賛から、雲一つない空においてもなお輝く青の魔女――
――だが、キア=マーニデオは、このときより表舞台から姿を消す。
『神の言いなりにはならない』
そう、言い残して。
キアは己の一族を引き連れ、人魔が踏み入れぬ険しい山へと移り住んだ。そしてキアは死ぬ間際、ある戒律を残す。
天の
地の深さに溺れてはならぬ。
世の理に干渉してはならぬ。
けっして、神を楽しませるなかれ。
キア一人を指していた蒼のマーニデオという名称は、キアの作った戒律を守る一族の名称へ――蒼戒のマーニデオへと変わった。
「――っていうのが、わたしの一族さ。わたしも、始祖キアの血を引く一人」
「……ほぁ」
「あっ。わかってないな、シオン」
「それもあるけど、カナリがその始祖の血を引いてるってのがちょっと、ねぇ」
そんな仰々しい語りをされても、カナリの実力は、はっきりいってしょぼい。
「言ってるだろ。わたしは素質がなかった出来損ないだって。おかげで、わたしは
「なんで他の世界にある魔力がなくなっただけで倒れるんだよ。穴から取り出してるだけだろ?」
「心が――魂が向こう側に引っ張られるから」
「は? たましい?」
「そう、魂。通路が狭いから、魔力を取り出しすぎると通路が空っぽになる。あれだ。シオンがくれたジュースのぺっとぼとる……だっけ? あのぺこぺこ鳴るやつ。あの中身を空っぽになるまで口で吸い出すとどうなる?」
「あげたんじゃなくて、カナリが勝手に取ってったんだけどね」
ペットボトルの吸い口に口をつけて、ぺこぺこと中身を吸い出したら中は真空になるんだから――空気を求め、逆に唇や舌が引っ張られる。あれ、なにげに痛いんだよな。
「なるほど。真空になった通路に、空気の代わりに引っ張られるのが魂か」
「魔力をゆっくり使う分にはいいんだよ。ただ、一気に使うとね」
「なんとなく、わかった」
本当になんとなくだけど。心は魂。俺、覚えた。すぐ忘れるかもしれないけど。
「あのー、ちょっといいですか?」
大人しく聞いていたサラちゃんが、おずおずと小さく手を上げる。
「カナリさんが言ってることって、御伽噺じゃなくて、本当のことなんですよね? 北の雪山の、青い狼の噂も」
「本当だよ。人魔が踏み入れない山っていっても、入ってくるのはいるからね。人でも魔物でも。無抵抗な人なら魔法で記憶を消して追い出す。襲ってきたら殺す。魔物は問答無用で殺す。そうしてずっと暮らしてきた。それでも記憶を消して山から追い出した人に、記憶の断片なんかが残って、そんな噂が立ったんだと思う」
「はぁ。そうなんですか……?」
サラちゃん、そっちの世界の住人なのに俺以上に半信半疑だな。
なんだろ。桃太郎は存在していて本当に桃から生まれました。そして本物の鬼を退治しました。全て真実です。みたいなことを言われた感じなのかな。そう考えると、信じるのは難しいかもしれない。
「信じられない?」
「い、いえ! カナリさんの言うことですから、信じます! 私、信じますよ!」
「信じてくれて、ありがとう。嬉しいよ」
カナリはサラちゃんの手をそっと握り、微笑みかける。それだけでサラちゃんの顔は真っ赤。今日だけで何度目だ。好意と書いて下心と読むサラちゃんには堪らんだろうね。俺もいるし、暴走しないとは思う――
「カナリさん! 抱いてください!」
……暴走しちゃったよ。俺は無視ですか。
この気持ちはあれだ。中学の課外授業を怪我をして休んで、後で『このとき楽しかったね~』みたいに俺以外で盛り上がられたときに似てる。俺以外で盛り上がってるんじゃねーよ。無視すんなよ。意外と心にクルんだよあれ。とかいう俺のトラウマは置いといて。
で、カナリ。どうすんのこれ。俺、どうなっても知らない――
「うん。おいで、サラ」
「ひゃ、ひゃぁぁぁぁぁ!?」
トスッという音とともに、手を引かれたサラちゃんは変な声を発しながら、カナリに抱きしめられた。サラちゃん、わたわたしてるなぁ。変態だけど、けっこう純情なのかもしれない。
いやいや。現実に戻れ、俺。カナリもサラちゃんの暴走に乗っちゃったよ。どうすればいいんだよこれ。これからめくるめく百合の世界が始まっちゃうの?
……そうだ、冷静になれ。考えろ。今できる最善を。ええと、とりあえずスマホのカメラを起動して写真を。いやいや、動画だな。ごちそうさまですっ! 永久保存します!
「カ、カナリさん! わ、わた! わたわたわたわた!」
「サラ。また、お願いがあるんだ。聞いてくれる?」
――ニヤリと、カナリはサラちゃんの耳に囁きながら笑ったのを、俺は見逃さなかった。というか、動画で撮った。もう悪い顔してたね。後でプリントアウトにしてカナリにあげよう。
「な、なんでも言ってくだしゃい! 裸になれといわれたら喜んでなります! ぬ、脱ぎますか? 脱がせますか?」
「それはまたの機会に、ね。サラには、わたしが使った召喚魔法は、マーニデオの真似事だったって教会で説明して欲しい。研究途中で、まだ人に知られたくないから喋らないで欲しいって。ガルスのことをはっきり見たのは、前線にいた教会騎士だけだろうから」
「はい! だから続きをお願いします!」
悩むこともなくサラちゃんは頷き、続きをせがむ。カナリの話を聞いてるのか聞いていないのか。次の機会にって言ってるのに。でも、カメラを構えるのはやめないよ?
「今すぐやって欲しいんだよ。わたしはマーニデオの戒律を破った。追っ手がいたら、殺されるかもしれないから」
「むっ! それはダメです。ダメダメです。カナリさんは私のですから。わかりました! すぐに教会に行って伝えてきます! その後でここに戻って」
「ごめんね。疲れてるから、もう眠いんだ。だから」
カナリの指が、サラちゃんの顔に触れる。そして、前髪を優しく撫で――
「んっ……」
――サラちゃんの額に、キスをした。……あ、サラちゃん鼻血。でも幸せそうな顔をしている。
「今日はここまで。説明、よろしくね」
「ふぁぁぁい。では、いってきましゅ~」
「よろしくね。おやすみ」
「おやしゅみなさい~。…………いい。焦らされるのも、いい…………」
うわごとのように呟きながら、サラちゃんは鼻血も拭かず、部屋から出て行った。そのまま出血多量で倒れてくれないかな。
そして、サラちゃんが部屋から出るまで手を振っていたカナリだったが、足音が聞こえなくなると、そのままベッドに仰向けに倒れる。力を使い切ったように、バッタリと。
「おつかれ」
「本当に……疲れた……。なんだよ、私のって。オレはオレんだ」
「で、続きはいつですかね」
スマホじゃなくて、ちゃんとしたカメラを用意しておきます。最高画質で録画します。
「バーカ。オレはノーマルだよ」
「そりゃ残念……でもないか。――本当は、いつから目が覚めてた?」
「シオンが、サラのことをストーカーって叫んだ辺りから」
「結構最初から気付いてたのね。その割には大人しく体を拭かせてたな」
「気付いてはいたけど、本当に体が動かなかったんだよ。声も出せなかった。汗かいてて気持ち悪かったからありがたかったけど、動かない体を誰かの自由にさせるのってあれな。ゾワゾワする」
ふるり、とカナリは体を震わせる。そのゾワゾワは、恐怖からきたものじゃなかろうか。
「あのまま犯されたりしたら、サラを殺してシオンも殺すところだった」
「俺はサラちゃんを止めてたんだけどなぁ。カナリは?」
「オレは生きるよ。二人の死を乗り越えて、元気に街を去る」
「さよか。にしても、よくあんなことできたな」
あんなとは、サラちゃんを抱きしめたり、額にキスしたり。見ようによっては美少女同士の絡みだったので、俺もちょっとドキドキした。サラちゃんの内面を知ってるから、微妙だったけど。
目覚めたタイミングからして、サラちゃんはカナリに、性的な意味も含めての好意を持っているというのはわかったはずだ。
「サラには好意につけこむようで悪いけど、ガルスを使ったのは内緒にしておきたかったからさ」
「最初から好意につけこんで話とか聞いてたのに、今さらなに言ってんだ」
「オレが男だと、勘違いしてるんだと思ったんだよ。なんかあったら、女だって言えばいいと思って」
「自業自得だな。男装してたのも、追っ手から身を隠すためなのね」
「山で生まれる男は、みんな素質もセンスも低いんだよ。ガルスと契約できるのも女だけだから」
なら、男装ってのは効果があるか。男で魔女なんて呼ばれてるの、聞いたことないし。
「やっぱり、マーニデオからの追っ手はいるのか?」
「さぁな。もうこの街にいるかもしれない。ずっと山に引きこもってる一族だし、案外、山の外に出たくないって怖がってる可能性もある。オレは山に迷い込んだ奴が記憶を消される前とかに、外のことを色々聞いてたりしたからな。他の奴らは、それさえも嫌がってた」
「ふーん。だから話に聞いてた街に着いて、はっちゃけてあのダンジョンに行っちゃったと」
「なにもない山から出てきたんだ。見るものほとんど、山にないもんばっかり。なんかしようと思っちゃうさ」
「思っちゃうかー。そりゃしかたない」
「しかたな~い、しかたな~い」
ダラダラと、益体もない話を続ける。でも、それが心地いい。
会話の途切れた空白に、くぅ……っと、小さな音が聞こえてくる。
「腹、減ったな」
「カナリ、昼からなにも食べてなかったな」
「シオンは?」
「カナリが馬で運ばれてる間に食った」
だって、街に帰るのに数時間はあるんだもん。俺にできることもなかったし。
「食堂からなにか買ってくればいいんじゃないか? まだやってるだろ」
「やだ。疲れた。動きたくない。だからシオンが持ってこい。ケトラ食わせたんだ。オレにもそっちの食いモン食わせろ」
あなた、今まで散々、俺のお菓子とか食ったじゃない。あと、マンガ肉がケトラだと知ってたら食わなかったからな。たぶん。
「食わせないと、ケトラを穴から入れるぞ」
「やめて! なんかスライムよりもイヤだそれ!」
マンガ肉の原材料らしいが、カナリの説明しか聞いていない俺には、てけり・り、と鳴く異界の生物が頭に浮かんでくる。そんな生き物が穴から出てきたら、SAN値減って発狂してしまう。
「そうだ、あれがいい。昨日コーヒー飲んでたときに、シオンが食ってたやつ」
「もしかして、カレーか?」
「そうそう、かれー」
「コーヒーはあるのに、カレーはないのか」
異世界、よくわからん。
よくよく見てみれば、カナリの顔色もまだ悪い。しょうがないな。持ってきてやろう。
「冷凍で残ってたかな。レトルトはあるだろうけど……」
「よろしくなー」
――十五分後。
引き攣った顔をしているだろう俺の手には、白い湯気を上げる皿とスプーンがあった。レトルトだが、カレーはあった。箱にリッカ(夜食用)と大きく書いてあったが無視した。今日は友達の家に泊まるとメッセージが入っていたし、ないことに気付かれたら謝ろう。
まぁ、それはいいんだよ。じゃあ、なんで顔が引き攣っているかというと――
「シオン、早く食わせろよ!」
目の前から上がる声の主に問題があった。まぁ、カナリなんだけどもさ。
カナリは『シオンが食わせろ』なんて甘えたことを抜かしてきた。女の子にご飯を手ずから食わせる機会なんてなかったし、俺も了承した。ぶっちゃけ、あーんってしたかった。
ただ、穴の向こうに手を伸ばして食わせるのは、腕のせいでカナリの顔が見えづらかったり、口に運びにくかったりと、意外と困難だった。
そこでカナリが考え出したのが、これだ。
カナリが穴に頭を突っ込む!
俺はディスプレイを、穴を上に向けて倒す!
あら不思議、画面から首が生えた気持ち悪いオブジェクト爆誕!
「正直つらい。女の子に『あーん』できると思ってた自分がバカらしいです。泣きたい」
「んなこといいから。ほら、早く早く!」
「わかったわかった。ほーら、お食べー」
カレーを乗せたスプーンに、素直に口を開くカナリ。ずいぶんとお気に召したようだ。さすが食卓の王様、カレー。子供から大人まで大人気。カレーに失礼なので、鼻に入れるのは勘弁してやろう。
「次、次、あーん!」
「あーん、と」
順調に減ってゆくカレー。カナリの口に運ばれるスプーン。
これ、雛鳥ならぬ生首の餌やりだな。ホラー以外のなにものでもない。それと、こっちじゃ生首ってことは、向こう側だと首なしの死体に見えるんだろうな。どっちにしろホラー。
「昨日は変な匂いの食べ物だと思ってたけど、かれー美味いな」
「それは、コーヒー飲みながらだったからじゃないのか。にしても、昨日か」
たった昨日の出来事が、だいぶ昔のように感じてしまう。
「……んぐ。なんだよシオン。なに悩んでんだよ」
「俺が?」
「そうだよ。眉間に皺寄せてた」
「うーん……悩んでるっていうかさ。たった二日足らずで、ずいぶん色々あったなって思ってたんだよ」
「まだそんなんだっけ。もう少し長く感じた」
カナリと出会って、もうすぐ丸二日。……まだ、二日。俺の人生の中で今までにないくらい、濃い二日間だった。
なんで俺の前に穴が出現し、勇者に選ばれたのか。
それだけじゃない。十年前に現れた勇者とは、いったい誰なのか。
疑問も謎も悩みも、なにも解けないまま。というか、どんどん増えてる。
「これから、どうなるんだろうな」
「さぁな。なるようにしかならないんじゃないか?」
「適当だなぁ」
一気に力が抜ける。
「見えない先まで考えるつもりはないさ。だって、こっちじゃいつ死ぬかわからないからな。シオンもあれだぞ? 今日、オレはシオンに助けてもらったけど、もし助けられないと思ったら、オレを見捨てて」
「ダメだ。カナリはなにがあっても俺が助ける。もし、カナリが死んだら、俺も死ぬからな」
思わず、強い口調で言葉が出てしまった。
俺は今日、魔物にびびって、グダグダ考えて、なにもできずにカナリを死なせるところだった。もう、そんなことはしない。カナリは死なせちゃいけないんだ。もしカナリを守れなかったら、俺は死んで償うしかない。
「って、なんで急に後ろ向いたんだよ、カナリ」
「う、うるさいな。バカ」
気付けば、目の前にはカナリの後頭部。髪の毛しか見えない。毛羽毛現か。
「オレが死んだらシオンも死ぬって、本気かよ」
「本気だよ。まっ、簡単に死ぬつもりはないけどな」
「あ、そ。少しは期待しとく……」
「期待、しといてくれ」
そうして、カナリの顔が正面に戻ってくる。
「かれー」
「はいはい」
後は無言で、カレーがなくなるまで、カナリの口にスプーンを運び続けた。カナリの顔は、少し赤かった。カレーが辛かったんだと、そう思っておこう。俺の顔が熱いのも、きっとカレーの匂いのせいだ。
……慣れないことはするもんじゃないね。
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