第11話 監視砦の攻防
監視砦前の広場。そこは俺たちが外に出たときには、すでに決戦の場へと変わっていた。
「盾兵! 前へ!!」
教会騎士のリーダーらしき男の掛け声とともに、
『シャアァァァァァァ!!』
「――ぐっ!? おおおおおっ!!!」
騎士は魔物の体当たりの衝撃で足元から砂埃を上げ、ずり下がりながら魔物を受け止めた。その一瞬の静止時間。その隙を見逃さず、両脇の隙間から別の騎士が槍を突き立てる。魔物は顔から血を流し、後ろに下がってゆく。
騎士たちは無謀に前に出るようなことはせず、魔物は固い盾に阻まれ、こちらを攻めきれない。
一見すれば一進一退。お互いに致命打はない。――が、だ。傷付いた魔物が下がると、新しい魔物が盾に体当たりをしてくる。それはもう、絶え間なくと言っていいだろう。
「魔物相手に受け止めてる騎士はさすがだけど、ジリ貧ってやつだな」
「体力が尽きるのが先か、盾が壊れるのが先か、ってとこかね。魔物の数は騎士の倍以上だ。それに、統率もとれてる。ジリ貧どころか絶体絶命」
「お得意の逃走はムリそうか?」
「こう囲まれてちゃキツイだろうなー。こいつも大人しいし」
カナリが腰に刺したナイフを抜く。それは盗賊のナイフ。ゲーム上の説明では、逃走率アップの効果があると書かれていたナイフだ。
「このナイフを握ってるとな、なんとなーく、逃げられる方法とか、逃げる方向が浮かんでくるんだよ。なのに、今回はさっぱりだ」
「そんな効果だったのか。なんかオカルトじみてるな」
「魔法使いからかっぱらってきたナイフだからな。シオンのところじゃ、魔法だってオカルトなんだろ。なんにしても、お手上げってところ」
カナリは軽く言っているように聞こえるが、そうでないことは揺れる視界からわかる。この状況は、本当に絶体絶命なのだ。
魔物を入り込ませないための石壁は、逆に自分たちを閉じ込める檻へと変わっている。監視砦の外に出ているのは、教会騎士とカナリくらい。作業員は全員、監視砦の中だ。
「サラ!」
「あ! カ、カナリさん」
カナリが目の前を通り過ぎようとしていた、サラちゃんを呼び止める。ついさっきまで、監視砦の上で見た状況を騎士のリーダーと話していた。聞けば、なにかがわかるかもしれない。
「すみません! こんな状況になってしまって……でも、絶対に助けますから……っ」
「謝るのは助かってからでいいよ。状況は?」
「そ、それは」
「隠してもしかたないことは、隠さないでくれ。そんな状況じゃない」
「……はい。ブラッドリザードやウォーウルフが、監視砦を取り囲んでいます。一体や二体ならどうとでもなるんですけど」
「隠し通路なんかの逃げ道は?」
「少し離れた場所に出る、細い地下道があります。けど、今は塞いでいます。使い魔がいた状況から見て、相手にバレてると思ったほうがいいと隊長が」
サラちゃんたち教会騎士も、使い魔を見つけていたのか。だったら、隠し通路は使えないと判断するのも頷ける。使い魔は小さな蜘蛛だったし、砦の中は調べつくされていると思ったほうが賢明だ。それに細い通路だというなら、魔物に数で攻められてしまえば、先頭から数を減らしてゆくのみになってしまう。なにせ一対一では、自力の差で魔物に軍配が上がってしまうのだから。
「魔法使いは?」
「いるはいるんですが、前衛に
「厄介な魔物? それって――」
「――聞けっ! 人間どもよ!!」
戦場となった監視砦に、リン……と、冷たい声が響き渡る。聞こえてきたのは石壁の向こう。魔物の集団の中から。
盾に向かって体当たりをしていた魔物が、主を立てるように左右に別れ後ろに下がった。
その間から現れたのは、巨大な腹部と八つの鋭い脚の下半身、そして黒く光る八つの目を持つ、美しい少女の上半身を持った、
「おいおい、砦の外に出てきてるじゃねーか……」
カナリの声が微かに震える。かくいう俺も、じっとりと汗が浮かぶ。アラクネの少女の言葉。冷たい声だったというのに、その声には、怒気が、殺気が、そして恨みが熱となり、これでもかというほど込められていたから。
「我が名はサージャオ! ザフィージェの娘にして、母の仇を討つ者だっ!」
黒い目を憎悪の炎で燃やし、ザフィージェの娘だと名乗る少女は監視砦を睨みつける。しかし、娘……娘か。仇と言っているくらいだから、ザフィージェってボスは本当に倒されているみたいだな。
「サラ、あのアラクネはザフィージェじゃないんだな?」
「神父様から聞いていた容姿には似ていますけど、ザフィージェはもっと成体のアラクネだったはずです。それに、ザフィージェは亡骸も確認されていますから」
「わかった。だから、厄介な敵か」
どうやら、サラちゃんたち教会騎士はわかっていたみたいだ。下半身の大きな蜘蛛部分のせいで背丈と威圧感はあるが、上半身は確かに幼い。俺も少女だと思ったくらいだし。隊商はいきなり襲われでもして、サージャオの影を見たのかもしれない。それだったら、ザフィージェと勘違いしてもおかしくはない。
まっ、だからって弱そうには見えないから油断はできない。つまり、状況は変わらず。このままなら、ほぼ詰み状態。
「十年前、オマエたちは我が母を討った! 家である砦を出ることもなく、誰を襲うこともなかった母をだ! この戦いは、復讐の第一歩である! 母へ報う足がかりである!」
空気を震わせ、サージャオが肩をいからせ叫ぶ。復讐だと。人間よ報いを受けよと。
「母の庇護にあった
「――!? うおおおおおお!!」
サージャオの声で、魔物の猛攻は再開された。妙に統率された動きをする魔物たちだと思ったら、サージャオが命令を下していたのか。にしても、話を聞けと言ってきたわりに、俺たちが言葉を返すのとかは待たないのね。
『ガァァッァァァァァ!』
一層強く、ガツン、ギリンと音が響き、魔物の牙が、体が、爪が大盾を襲う。騎士が大盾ごと大きく揺れる。その程度で済んでいたのは、硬化魔法のおかげだったのだろう。
そう――必死だろうが決死だろうが、その抵抗に終わりは訪れる。例え悪い方向へだとしても、容赦なく。
「ぐ……っ! うわぁぁぁぁぁぁ!?」
金属のひしゃげる音と騎士の悲鳴。大盾が真っ二つに折れ曲がり、右端で防御していた騎士が、石壁の外へと魔物の牙で引きずり出される。
――石壁の入り口に、隙間が空いた。
「総員抜刀! 一人は早く隙間を塞げ!」
「ですが、持ってきた盾はあと一枚しか」
「だからどうした! 早くしろ!」
大盾を構えた騎士が、入り口へと向かう。が、その隙を魔物は逃さなかった。入り込んできた魔物は、
九人へと減った騎士は入り口を塞ぐ三人を除き、各々が入り込んだ魔物へと向かってゆく。サラちゃんも、カナリに砦の中へ避難するように言うと、魔物へと向かった。
「……行くか、シオン」
「あ、ああ。そうだな」
カナリの踵が砂を噛み、ジャリっと音を立てる。
俺たちも協力しよう、なんて言えなかった。監視砦の中に入ったとしても、逃げ場はない。だけど、言えなかった。
なのに、世界がそれを許さなかった。
「カナリ! 避けろ!」
カナリが振り返る瞬間、俺は外を見つめていた視界の端で見てしまった。
石壁の入り口で、ウォーウルフが盾の隙間から無理矢理入り込んでくるのを。そのウォーウルフが、一直線にカナリに向かってくるのを。
「ぐっ!? がはっ!」
カナリと一緒に見えている風景が回る。地面、空、地面、空……。数秒の出来事なのに、平衡感覚が一気に狂い、思わず机に肘を着いてしまう。でも、見ることだけはやめない。
「カナリ、くるぞ!!」
「う……おおおおおっ!」
大声で気を入れ、カナリが空から覆いかぶさってくる影に向かってナイフを振る。しかし、そのナイフは途中で止まってしまう。
ウォーウルフの頑丈な牙が、挟み込むようにナイフを受け止めていた。
「は、なせ……っ! この!!」
百キロは優に超えていそうな巨体。ウォーウルフはその巨体で、カナリを踏みつけ身動きを取れなくしている。カナリが足で蹴ろうが、空いた腕で殴ろうが、ウォーウルフは動じない。騎士も、別の魔物を相手していてカナリを助けにはこれそうにない。
……ああ、やめてくれ。殺さないでくれ。
「く……そっ! ぐぅ、がぁ!?」
ウォーウルフが体重をかけ、カナリの肌に爪が食い込む。ウォーウルフの口角が、引き攣るように上に――笑うように歪む。
なにを笑ってるんだよ。やめてくれよ。もう殺さないでくれよ。
「ぐっ……オン……」
せっかく忘れて、忘れようとしていたのに。やめてくれ。カナリで七人目になってしまう。だって俺は、もう六人も――
「シオン!!」
「――は、はい!」
俺を呼ぶ大きな声に、思わず返事をしてしまう。
「シオン! ボーっとしてないで助けろ!」
「た、助けるって、どうやって!」
「んなもん自分で考えろ! オレを助けられるのは、今はオマエだけなんだよ!」
「――!? わ、わかった!」
そうだ。なにを呆けていたんだ、俺は。今やることは、カナリを助けることだ。
机の上には……コップに飲み物。PC用に買った精密ドライバー。ドライバーで刺すか? いや、折れるのが関の山だ。なら、引き出しの中にはなにか……!
「これ、何年か前に掃除用にって買った」
使えるかもしれない。でも、これだけじゃダメだ。アレなら、親父の部屋を探せば……いや、あるじゃないか。穴の向こうに、いい具合の種火を出せる奴が。
「カナリ! 魔法を使え! ファイヤーボールだ!」
「ぐ、あんなの、なんの役に」
「いいから早く! ぶつけなくていい、俺の前に出してくれ!」
カナリを急かしながら、俺も準備をする。包まれていたビニールを破り、付属の細いストローを装着する。あとは……大丈夫だ。引き金さえ引けばいける。
「死んだら、恨んでやるからな! ファイヤーボール!!」
わかってる。いくらでも恨んでくれ。
カナリの呪文に反応し、目の前に小さな火の玉が現れる。簡単に消えそうな、小さな種火。だけど、これで十分だ。
「くらえぇぇぇぇぇ!!」
火の玉に向かって隙間から出したストローを向け、エアダスターの引き金を引いた。
『!? グウゥゥゥゥ!』
真下からウォーウルフに襲い掛かる炎の渦。良い子は真似しちゃいけない行為の筆頭。即席火炎放射器だ。
魔物といっても獣だからか、驚いただけか、それでも、ウォーウルフは炎を避けるようにカナリの上から飛び退いてくれた。リッカ風に名付けるなら、
「あちっ! あちっ!」
燃えながら散り散りに落ちてくるウォーウルフの毛を手で払いながら、カナリが立ち上がる。
「だ、大丈夫か?」
「ああ。助かった、シオン」
胸を撫で下ろしたいところだが、まだ目の前にはウォーウルフがいる。即席火炎放射器を警戒していて近づいてこないようだが、怒りを示すように唸り声と牙を剥き、カナリを睨む。それとも、睨んでいるのは俺か?
カナリもナイフを構え、ウォーウルフと相対する。
『グルルルルル……ッ!』
「おっと!」
ウォーウルフの爪がカナリを襲う。だが、爪はカナリに当たらない。間合いを読み切り、素早く一歩下がったカナリの胸元を紙一重で外れた。どれほどの威力があったのか、胸元を通り過ぎたウォーウルフの前足により起きた風が、穴向こうにいる俺にも感じ取れる。
カナリが真面目に戦っているところを初めて見たが、逃げ足だけというのは謙遜にもほどがある。
ステータスにウソはなかった。しかし、ステータスを知っているからこそわかる。爪を避け、隙を見てナイフを振るカナリの攻撃が、相手にたいしてダメージを与えられていないということが。
「く……っ!」
四度目の爪を避け、カナリがウォーウルフの頭に向かって振ったナイフ。その刃は、頭蓋なのか、皮膚が硬いのか、ギン! という音とともに弾かれる。
攻撃の効果は、ナイフの刃の先に血が薄っすらと付着している程度。
『――ガアッ!!』
ウォーウルフの体が一瞬沈み込み、次の瞬間。まるで強力なバネ仕掛けの人形のように、カナリへと飛び掛ってきた。大きく顎を開き、カナリの首に牙が迫る。その速度は、カナリでも避けられないと思った。しかし――
「――はあぁぁぁっ!!」
その牙が、カナリへ届くことはなかった。
宙を滑るように飛び掛ってくるウォーウルフに、真横から横槍が入る。それはもう、文字通り。しかも、完璧なタイミングで。
サラちゃんの放った槍の突きが、宙で体勢を変えられないウォーウルフの体に吸い込まれる。胸に刺さった槍の先端は、そのまま体を突き抜ける。サラちゃんはそのまま槍を地面に叩きつけると、もがくウォーウルフの額に、引き抜いた槍を突き刺す。
うん、ワイルド。ちょっと俺の中にあったサラちゃんのイメージが崩れる。にしても魔物の体を一突きって、サラちゃんの筋力はどれくらいなんだろう。見た目は細そうなのに。
「カナリさん! 大丈夫でしたか!? ああ、肩から血が!」
「かすり傷だよ。それより、助かった。ありがとう、サラ」
「いいえ、ウォーウルフをここまで誘導したカナリさんのおかげです。もっと遠くで戦われていたら、間に合いませんでした」
「そうしたほうが、オレが助かると思ったからね」
……なるほど。それも、盗賊のナイフの効果か。
「――サラ! こっちを手伝ってちょうだい!」
「すみません、私、行かないと。今度こそ、中に避難してくださいね!」
心配そうな顔で、サラちゃんは大きなテーブルを運んでいた騎士――確かマヘリアさんとかいう先輩の元へと走ってゆく。きっと、最後の盾が壊れたときのバリケードにでも使うのだろう。
はぁ……なんにしても、助かった。
「シオン、なぁ、シオンってば」
「なんだよ。早く中に入ろう」
「どうでもいい。それより、さっきの火はどうやって出したんだよ」
「どうでもいいて……はぁ、これだよ」
胸の穴から、エアダスターの缶をカナリに渡す。物珍しそうに、カナリは缶を弄くりだす。
「これで火が出せるのか?」
「火に向けて引き金を引けばな。良い子は真似しちゃダメだぞ」
「なんでだよ。これ使えば、戦えるだろ? こんなお手軽な武器。この辺りの魔物にも効果があるぞ」
「こっちは魔物と戦うことがないの」
「はっ。平和な世界なことで」
言ってなかったっけか? そりゃ、そっちに比べたら平和だろうさ。魔物なんていないし、即席火炎放射器を作る機会なんて、悪戯以外にはまずない。外で使っただけで下手すりゃ逮捕だ。それより、たかがスプレー缶で作った火炎放射器が、あのスライムやなんやに効果があるってほうが驚きだ。シャンプーで溶ける宇宙人かっつーの。
「うぉっ!? なんか出た! ブシュって!」
「それは中に空気――あー、可燃性のガスが詰まってるんだよ。そのガスを凄い勢いで噴出す道具だ。あんまり吸い込むなよ」
「やっぱり武器じゃねーか」
「ちっがう。その勢いで、細かいゴミを吹き飛ばすんだ。武器じゃない」
正確には、武器にもなるってところだろう。本来の使われ方じゃない。
「これ、もっと数はあるか?」
「ん? ああ、あと一本なら」
三本セット千円の安売りとかだったからな。PCを買ってもらったばっかりで、思わず買ってしまった品だ。結局、埃は掃除機で吸えばいいやと、一本目の途中で使うのをやめてしまった。机の中を探せば、まだ使いかけの一本目が出てくるかもしれない。
「なら、もう1本も寄越せ」
「……なにに使うつもりだよ」
「思いついたことがあってさ」
言われるがまま、二本目の缶をカナリに渡す。……渡したところで気付いた。そっちは、細かいゴミを掃除するような場面じゃない。
「おい! 本当になにに使うんだよ! まさか、それで戦うってのか!?」
「ばーか。オレをなんだと思ってやがる。オレが戦えるかよ」
なにを自信満々に言ってるんだ。じゃあ、なんで石壁に向かってる。
「オレはな、逃げるんだよ。その道筋が見えたんだ」
「だからどうやって!」
カナリは答えず、騎士のリーダーの男の元へと近づいてゆく。ああもう! なんでこいつは、大事なことを答えないんだよ!
「む? キミは、馬車の御者として雇った」
「カナリだ。提案がある」
「提案だと? 魔物を倒す手段があるというのか?」
「倒すんじゃない、逃げる提案だ」
リーダーにたいして物怖じもせず、カナリは自分の考えを話す。
「オレが壁の外に出て、魔物の包囲に穴を開ける。そのタイミングで、一斉に馬で逃げてくれ」
「そんなことが、キミにできるというのか?」
「さぁね。このままでも、待っているのは死。だから、オレを外に出してくれ。一瞬、盾を退けてくれるだけでいい。ローリスクでハイリターン。掛け金はオレ一人。できれば御の字。できなきゃ、騎士でもない人間が一人死ぬだけだ」
「ふむ……」
死ぬだけ。なにを……なにをバカなことを言ってるんだ! 俺はオマエに死んでなんか――
「オレを信じろ」
力強く、カナリが言った。
それは、俺にたいしての言葉だったのか。リーダーにたいしての言葉だったのか。でもその言葉は、叫びそうになった俺を押し留めた。
「ダメです!!」
しかし、俺が言いたかった言葉を、別の誰かが叫んだ。
「サラ……」
「ダメです! 危険すぎます! 一般人を外に出すくらいなら、騎士である私が外に出ます!」
「これでも、勝算があるから言ってるんだけどな。それに、このまま閉じこもってて勝てる見込みはあるのか? ないのは、騎士であるサラのほうがわかってるだろ」
「それは……でも!」
「でも、なんだ? 待ってれば助かるってのか? ないんなら、オレに賭けてみろ」
「……わかった。キミに賭けてみよう」
「隊長!?」
サラちゃんがリーダーを睨む。ぶっちゃけ、好意を向けている相手の生死にかかわることに賭けろと言われて、そう返事はできないだろうな。
「教会騎士の隊を預かる身として、我らは街の住民を助けなければならん。策があるというのなら、それに乗ろう」
「その守るべき住民を危険に晒してですか!?」
「そうだ。今の状況では、連れてきた作業員を含め、我らの全滅は必至。なら、一人切り捨てて他が助かるのならば、その話に乗る価値がある」
「おい。ちょっと、待て待て。切り捨てるもなにも、オレは死ぬつもりないんだけど。ただ、オレが生きていられるかは、サラにかかってる」
サラちゃんとリーダーの間に割り込み、カナリがサラちゃんの肩に手を置く。ここからだと、怒ったようで、でも、泣きそうになっている顔がよく見える。
「……私に、ですか?」
「そう、サラに。オレの切り札は、使うとしばらく体が動かなくなる。成功して魔物に隙ができたとき、オレを助けてくれる人が必要だ。それを、サラに頼みたい」
「絶対に、成功しますか?」
「サラが協力してくれたら。だから、行かせてくれ」
「カナリ、さん……」
え~、なにこの雰囲気。ヒーローとヒロインの会話なの? ああ、痒い! 体中がむずむずするよ! おかゆが食いたくなってきた。なにも考えずに、かゆうましたい。
「助かったら、今度は私がご飯をご馳走します! だから、死なないで下さい!」
「楽しみにしてるよ」
「……はい!」
おいカナリ。そこでサラちゃんの手を握る意味はあるのか? え? なんでサラちゃんも手を力いっぱい握ってるの? 行かせていいよ、こんなやつ。つーか、さっさと逝けよ。
「話はまとまったかね」
「ああ。逃げるタイミングは任せる。よろしく、隊長さん」
「わかった。――今から一人、外に出す! 前衛の兵は、全力を持って敵を弾き飛ばせ! 栄誉ある騎士の誇りがあるなら、力を見せろ!」
前衛がリーダーさんの言葉で活気づいたところで、カナリはやっとサラちゃんの手をほどき、入り口へと歩いてゆく。
ここまでお膳立てされたら、俺はもうカナリを止められないじゃないか。
「さぁて、やりますかね」
「本当に、勝算はあるんだろうな」
「相手次第。だけど、きっと上手くいくさ。シオンのおかげで、助かる道が見えた」
「盗賊のナイフで逃げかたが見えたのか」
「綱渡りだけどな。渡りきる自信はある。最後の最後に、サラがオレを受け止めてくれるって約束もしたし。本当は、シオンに受け止めて欲しいところだったんだけど」
「そりゃすまないな。穴から出られないもんでね」
「ほんと、役に立たない勇者様だ」
「うるせぇよ。従者風情が」
「ふん」
「ははっ」
カナリが楽しそうに笑う。なにがおかしい。死ぬかもしれないのに、バカなんじゃないのか?
「――おおおおおおおおおっ!!」
気合の込められた騎士の押し込みに、盾へと攻撃していた魔物の攻めが一瞬止まる。
「さぁ、正念場だ!」
わずかにできた盾の隙間を縫い、カナリが前線のさらに前へと躍り出る。目の前には、まだ十体以上も残っている魔物。そして、ザフィージェの娘――サージャオがいた。
「人間、キサマ、なにを考えている? まさか、生贄とでもいうのか?」
「生贄? オレがそんな玉かよ。オマエらを、ぶっ倒しにきた」
「我らを……だと……? ふ、ふふっ……あはははははっははははっ!!」
「そんなにおかしいか?」
「これが笑わずにいられるか! 脆弱な人間が、この数を前になにをするというのだ! 大人しく引きこもり、死を待っておればいいものを!」
「生憎と、死ぬつもりはない」
「そうか、そうか。ならば、オマエを蹂躙したあと、中に返してやる。手をもぎ、足を砕き、目を潰し、舌を抜いてな! さすれば、中の者も恐怖に脅え許しを請うだろう。どっちにしろ、許しはしないが」
「話、通じてねーな。死ぬつもりなんてサラサラないって言ってんだろ」
「その傲慢、打ち砕いてやろう! 者ども! そやつを――」
「ファイヤーボール!」
お約束なんて知らない。そう言うかのごとく、サージャオが魔物に命令を下す前に、カナリの前に小さな火の玉が現れる。だが、それで終わりじゃない。カナリは両手に握った缶の引き金を引いた。そこから現れたのは、小さな火の玉から生まれたとは思えない、炎の奔流。
『ッ!?』
生まれた火柱に、魔物は出鼻を挫かれる。カナリは自分を包囲する魔物を威嚇するように、炎を周囲に撒き散らしてゆく。カナリが効果があると言ったとおり、魔物は離れ、周囲の包囲が薄く引き伸ばされる。
だが、逃げるにはまだ足りない。
「な、なんだそれは!? もしや、マジックアイテムか!」
「誰が教えるかバーカ!」
「我をバカだと! ふ、ふんっ! しかしその程度の炎、傷は付けられても、我らを倒すほどではないぞ!」
「んなこた知ってるよ。……シオン、教えておいてやる。これが、オレの魔法の唯一戦える使い道だ。ただし、なにか見えても、絶対になにも言うな。死にたくなきゃな」
物騒な言葉に了解だと伝える間もなく、カナリは右手の缶を捨ててナイフを抜き、くるりと半回転させ握る。握ったのは柄ではなく、刃。案の定、手の平は鋭い刃に切り裂かれ、地面に血が滴り落ちる。
「ああ、
「なっ!? キサマ、召喚魔法だと!」
腹の底から搾り出すように、カナリが叫ぶ。その叫びに答えるように、カナリの目の前に、穴が現れた。青白く光る穴。そこから覗くのは、大きな金色の瞳。その瞳を見た俺の心に浮かぶのは、畏怖という名の
なんだよ、召喚魔法なんて使えるのかよ……っ! 勝てる! これなら勝てるぞ!! あんな強力そうなやつを召喚できるんなら、さっさとやれば……って、あれ?
「ワンッ! へっへっへっ!」
光りが完全に収まり、魔狼ガルムが顕現した。したのだがね? その、地面に落ちた血を舐めている、長くて青い毛並みのちいちゃな生き物はなんでしょうか。えっと、子供の豆柴? 子犬ですか?
「……ふ、ふふふふふふふっ……! な、なんだそいつは。我をバカにしているのか? それとも、そんな子犬で我を倒せるとでも言うのか!」
サージャオが子犬と言った瞬間、ガルスと呼ばれた魔狼の雰囲気が豹変した。ふわふわしていた鬣は針のように尖り、目を金に輝かせ、牙を剥く。
「あーあ、言っちゃった。子犬だってよ、ガルス。それ、お前の一番嫌いな呼ばれかただったよな。やっちまえ」
そして、まさしく魔狼が解き放たれた。もうガルスの姿は見えない。見えるのは、青い閃光のみ。ブラッドリザードに閃光が襲い掛かり、骨の砕ける音と、仄かに残る残光、それだけを残し、ブラッドリザードは動かなくなった。次に、隣のウォーウルフを。そして次には、カナリを背後から襲おうとしていたブラッドリザードを。骨の砕ける音と光りの筋のせいで、まるで雷が地を走っているかのようだ。
「くっ!? 我を守れ!」
次々に魔物を貫く閃光を見て、サージャオは慌てて指示を出す。魔物はサージャオを守るように、周囲に集まってくる。司令官を守る兵隊のように、厚く壁を作る。
「ガルス!」
カナリが呼びかけると、サージャオの周りの魔物を蹂躙していたガルスは、カナリの背後へと走る。ずいぶんと減っていたのだろう。魔物の倒される音は少なかった。それはつまり、包囲に穴が空いたということ……!
「――
監視砦の石壁の中から、リーダーの声が聞こえてくる。包囲が解けた今こそが、逃げる絶好のチャンス。タイミングは完璧だ。
「カナリ! やったな! あとは俺たちも馬で逃げれば……カナリ? カナリ!」
返事がない。そして――支えをなくしたカメラのように、視界がグラリと傾いた。もしかして、立ったまま気を失ったのか!?
「おい、しっかりしろ! ここで倒れたら死ぬぞ!」
しかし、視界の傾きは収まらない。このままじゃ、逃げられ――
「カナリさん!!」
地面に近づいていた視界が、急に引き上げられる。これは……サラちゃんか! 見えている監視砦が逆になっているところを見ると、地面から引き上げたカナリを、肩に担いでいるようだ。
助けられてなんだけど、サラちゃん、やっぱり筋力おかしいよ。馬に乗ってるってことは片手でカナリを引っ張りあげたんだろうけど、そのまま肩に担ぐって、どんな筋力してるんだよ。
でもまぁ、それよりもだ。
「助かった……のか……」
それが一番重要だ。召喚魔法が使えたのかとか、なんで気を失ったんだとか、今はどうでもいい。
俺は徐々に離れていく監視砦を見ながら、全身にかいた汗が冷えるのを感じながら、机へと頭を突っ伏した。
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