第9話 慌てるカナリと天空の砦 [改]

 両脇にそびえ立つ峻険な山々と、ヒビ割れ苔むした岩肌。谷間に位置するためか、強く吹き抜ける風に砂埃が舞い、鼻の奥をムズムズと刺激する。これは、鼻の中が真っ黒になりそうだな。

 小学校の頃に田植え体験だかで、終わった後に鼻をかんだら真っ黒な鼻水が出て驚いていた気がする。懐かしい。

 などとノスタルジーに浸っても、現状が変わるわけでもないのよね。


「なあよぉ、カナリさんや」

「うるせーな、なんだよ」

「なんでこんな場所にいるんでしたっけ」

「そりゃあ金のためだ」

「はーい、世知辛い答えをどーも。……うっぷ。気持ち悪くなってきた……」


 カナリは今、馬車の手綱を握っていた。

 馬といっても、ニワトと同じように生き物。ほぼ馬。でもUMA。舌は出しっぱなしだし目の焦点はあってないし。一番の相違点は、脚だろうか。なんかね、蹄じゃなくてね、虎とかライオンみたいな太い脚をしている。


「しょうじき、違和感が半端ない」


 これで早く走れるのか疑問でしかたない。

 前には馬? に乗った八人の教会騎士の集団。その後ろに荷物が満載の二台の馬車。そのまた後ろに、四人の教会騎士。後ろにいる騎士の中の一人は、サラちゃんだ。そして、その馬車の片方の操る御者がカナリだ。

 石や轍を木製の車輪が踏むたびに、ガタガタと音が鳴り景色が揺れる。ガタガタうるさいおかげでこうして会話もできるわけだけど……ああ、ダメだ。酔うなこれは。目的地に着くまでは、穴を覗かなくていいか。


「つーて、その目的地が問題なんだけどねー。なんで昨日の今日でこんなことに……」

「理由なら言っただろ」

「そりゃそうなんだけどさ」


 それは、遡ること昨日の夜――

 愛しのセリたんの店質屋から移動し、カナリが借りている宿の一室。そのベッドの上に、ゴールドの入った袋が置かれていた。

 タオルからサラダ油のセット、余った素麺。果ては物置に放り込まれていた、怪獣のビニール人形なんかを(母さんに怒られないと思われる範囲で)総動員した結果である。


「……足りないな」

「……足りねえなぁ」


 が、結果は今言ったとおり。ベッドの上に置いた総額は、一万五千G弱。昨日のバスタオルを売った分を合わせても、二万Gには届かない。


「他にはないのかよ」

「ない! これ以上、なんか勝手に売ったら、俺が大変なことになる!」


 こっちじゃ二束三文しか値打ちのない、古いデジカメなんかも売ってしまおうかと考えたが、科学技術が発展していない異世界に下手なものを売るわけにもいかない。充電もできなければプリントアウトもできない。そして使い捨てになるうえに、技術の高さがバレれば、芋づる式に穴の存在もバレる可能性もある。そう考えると、売れるものは食品や日用品なんかに限られてくる。


「ケッ! 使えねぇなぁ!」


 使えないと言われようとも、ないものはない。サラダ油のラベル剥がしで、指がヒリヒリしている相手に言うことだろうか。

 俺の小遣いでなにか買ってこようかとも思ったのだが、今は年末。俺の小遣い支給日は月初め。バイトもしていない。つまり、手持ちの金は心許ないのだ。親もいないし前借もできない。せめて正月が過ぎていれば、お年玉でどうにかなったのだが。

 それくらいは協力してやりたいのだ、が。なんかいつもより、言葉の端々に棘がないですかね、カナリさん。


「まぁいい。金になる仕事は、一応見つけてある。朝早いから、今日はさっさと寝るぞ」

「へぇ、ってことは、三千Gの仕事か。……えっと、その仕事の詳細なんかは?」

「明日になりゃわかる。じゃあな」

「あ、おい! ちゃんと説明……を、してくれないのね」


 その問いに答えはなく、カナリは穴にタオルをかけキツク縛る。おーおー、信用ないこって。

 けっ、そんなら俺も知らん。お気に入りのマンガでも読みながら、今日の夜はぐだぐだと過ごさせてもらうぞ。ちくしょう。


 ――ということが、昨日の夜にあったわけでして。


「で、俺が起きたらこの状況ですよ」


 リッカの激しいドアドンで起こされ、朝飯を食い、穴の向こうに声をかける。そのときにはすでに、カナリは馬車の御者台に乗って道を走っていた。

 どういうことか質問する俺に、(棘のある言葉で起きるのが遅いだなんだと言われたが)カナリはこう答えた。『砦の監視小屋の補修作業だ』と。

 なんでも、監視小屋はザフィージェが倒された十年前から放置されていた。ザフィージェの復活に伴い教会騎士による監視を再開するため、補修が必要となったそうだ。

 納得。そりゃあ金になる。誰が好き好んで、山間の砦近くに行きたがるというのか。実際、隣の馬車に載っている何人かの補修の作業員――たぶん大工は、青い顔をしていた。


「なんだよ、オレに文句でもあるのか?」

「いや、ザフィージェと戦いに行くわけでもなし、文句ってほど文句はないんだけどさ」


 道中に現れた魔物は教会騎士が片付けているし、大きな問題も起きていないように思う。だけどさ、せめて昨日のうちに説明して欲しかったんだけど。


「だったら黙ってろよ、シオン」


 まただよ。棘だらけだよ。説明してくれなかったのも、カナリの機嫌が悪いせいなんだろうな。あれー、俺、そんな気に障ることしたっけ?


「なぁ、カナリ。なんでそんな機嫌が悪いんだよ。俺、なんか言ったか?」

「黙ってろ。馬を操るのに忙しいんだ」

「忙しいって、馬車は素直に走ってるじゃねーかよ。会話くらいいいだろ」

「知るか」

「知るかって……なぁ、なんか気に障ることを俺がやったんなら、ちゃんと謝るからさ。せめて理由くらい教えてくれよ」

「だから黙れって……!」


 大声を出しかけて、カナリが慌てて言葉をとめる。


「クソ……っ。なぁ、シオン。俺と話してるより、あのセリって子と話してたほうが嬉しいんじゃないのか? ああ、シオンは話しかけられないか。穴の向こうだもんな。勇者だってバレちゃ、ヤバイもんな」

「なんでそこでセリたんが出てくるんだよ……ん?」


 ふむ。ふむふむふむ。ちょっと、ティン! ときたね。

 カナリの機嫌が悪くなったのは、いつだったか。俺が質屋に持っていく品を渡したときには、すでに言葉に棘があった気がする。その前は? その前、つまり商人たちと話していたときは普通だったよな。そのときになにがあったのか。つまりは。


「まさか、カナたんって呼ばなかったのが原因か?」

「――っ!?」


 あ、今、息を呑みましたね。胸元にいるんで、聞こえてますよ。……って、マジか。マジでそれが原因?


「え、なんで? そんなに呼ばれたかったの?」

「オレが聞きたいよ。なんでオレには、”たん“をつけて呼ばないんだよ」

「そりゃ”たん“ってのは、セリたんみたいに小さな可愛らしい女の子にこそ似合う言葉。うん、言ってみれば称号みたいなもんなんだよ。そう、称号なんだ! セリたんはなぁ! あの顔! あの表情! あの声! あの仕草! それに付け加えてフリフリの服! その全てを合わせて、セリたんなんだよ! だからセリたんなんだよ!!」


 そう、俺が決めたんだから! 頭沸いてるなぁ、俺!


「なに力説してんだか。……悪かったな。オレはちっちゃくて可愛い女の子じゃなくて。オレは女っぽい服なんて似合わねーし」

「いやいや、似合うよ。カナリは元が美人なんだから、大概似合うだろ」

「なっ……! え、びじ、え……!?」

「そうだな、俺のお勧めは、髪を上げてタイトな感じのスーツとかかな? メガネもかけてくれたら文句なし。……いや、待てよ? 髪を解いて、白ワンピースみたいな清純派路線も捨て難い。それとも、いっそゴスロリとか? なら、和ゴスってのもいいな。すげー見てみたい。化粧しだいで印象も変わるだろ。ああでも、カナリは化粧の必要はあんまないよな」


 ロリっ子キュートな服装だとちと厳しいかもしれないけど、それ以外なら全然いける。いけないはずがない。それだけのスペックをカナリは持っている。


「だったらやっぱり、スーツとかワンピースのほうが……」

「ちょ、ちょっと待て! は、話が脱線してるぞ! オレはその、なんでカナたんって呼ばないのかって話をしてただけで……その、オレが美人とか、そういう話じゃないだろ……」


 最後は消え入りそうな声で、カナリが俺を止める。ありがとう。正直、暴走してました。でもね、着せ替え人形ってわけじゃないけど、美人がなにを着たら似合うとかって考えるの、すごい楽しいじゃん? コスプレとかいいじゃん? はい。ごめんなさい。


「たんってのが称号だってのはわかった。セリのことはいい。だから、これだけ聞かせてくれ。――シオンは、オレを信頼してるか?」

「なんでそんなことを」

「いいから答えろよ」


 今日は俺もカナリも、『なんで』ばっかりだな。

 俺の質問に答えなかったり、そっちの質問には答えろと言ったり、なんだというのだ。別に、答えられないような質問じゃないからいいけど。


「信頼してるさ。まだ出合って二日もたってないけど、カナリが悪い奴じゃないってのはわかってるし。カナリと話してるのも楽しいし。信頼してない相手なら、質屋に売るもんを渡したりしてないよ」

「毛布はくれなかったけどな」

「それは置いとけ。あげないのは罪悪感からだから」


 俺の欲望が染みこんだ毛布を、セリたんにモフらせないためにな。


「じゃあ、オレを信頼してくれてるんだな」

「そう言ってるだろ? 大体、なんで信頼してるかなんて……あ、もしかしてセリたんって呼び始めたとき、親愛の証が~とか言ったせいか?」

「……ま、そんなとこ」


 あれか。

 たんってつけて呼ぶのは親愛の証→カナリにたんをつけない→親愛というか、信頼してないことになる。

 こういう公式か。それって、つまりカナリは……


「もしかしてヤキモチ? カナリ、セリたんにヤキモチ焼いたの? もしかして俺のこと」

「バカじゃねーの。全然違う」


 わーお、バッサリ切られましたー。少し悲しい。


「しっかし、なんでそんなことを気にしてたんだかね。信頼ってのは大事なもんだけど」

「色々あるんだよ。……シオンは仲間、だと思ったからさ」

「仲間ねぇ。なんの仲間なんだか」


 勇者と思われたくない仲間ってことか? なんとも情けない仲間だろうか。事情もわかってカナリの機嫌が直ったみたいで、一安心だけどさ。


「気が向いたら話してやるよ。今日はこれまでだ。ほら――」


 前から、『この場で止まれ』という教会騎士の声が聞こえてくる。どうやら目的の場所に無事、着いたようだ。

 止まった隣の馬車から、『早く終わらせるぞ!』や『こりゃー大変だわい』と大工の声が聞こえてくる。声に釣られて覗いてみると、道幅は通ってきた道よりも広く、広場のようになっている。その脇。崖のふもとに、それはあった。

 三メートルはあろうかという、石が積まれた壁が、どーんとそびえ建っている。その石壁の奥に、岩肌をくり貫いたような穴が空いている。あれが監視小屋――というか、監視砦って言ったほうがいいだろう。石壁よりも高い位置に穴が空いているのを見ると、中はそうとう広そうだ。

 監視砦は十年という歳月を経てもなお、重厚な威圧感を放っている。しかし……


「スッカスカだな」

「木でできた部分が軒並みダメになってる感じか。窓も扉も全部腐ってやがる。今日は見積もりだけで帰るって聞いてたけど、中も酷そうだ。時間、かかりそうだな」

「カナリは手伝わないのか?」

「俺は馬車の御者ってだけ。人手が足りなさそうなら手伝うけど。それよりほら、見てみろよ。凄いことになってるぞ」


 目の前に、ガラスがはめられた小さな筒が現れた。


「望遠鏡か」

「そ。昨日、質屋で買っといた」

「金が足りないってのに、無駄遣いしやがって」

「まぁまぁ、安かったんだよ。いいから覗いてみろよ」


 言われるがままレンズを覗くと、カナリが手を動かし、レンズの焦点を動かす。

 望遠鏡から見える景色。この場所は他の場所より高い位置にあるのか、道は下っている。そして、その道の先に、それは見えた。


「なんだ、あれ……」


 レンズの向こうに、小さく建造物が見える。しかし、それは距離からして小さく見えるというだけ。ゴマ粒のように黒く見えるのが窓だとしたら、監視砦よりもなおデカイことがわかる。道を塞ぐように作られたあれこそが、ザフィージェの居城なのか。

 だが、山間の砦の大きさよりも、もっと驚くことがあった。



 砦の建っている道が、白く塗り潰されている。よく見れば、それは道だけではなく、崖まで続いている。

 あれじゃまるで……


「雲の上に建つ、みたいだ」


 白い空間に浮き建つ、無骨な石の砦。それは、幻想的な光景を作り出している。しかし、その幻想に覚えるのは感動ではなく、不気味な恐怖。


「それ、ダジャレか? 面白くないぞ」

「そんなつもりで言ったわけじゃない。でもダジャレになるってことは、アレって」

「糸、だろうよ。ザフィージェのな」

「あの糸の領域に入り込んだら、グルグル巻きってわけか。洒落にならないな」


 あれでは、逃げ足自慢のカナリでもどうしようもないだろう。逃げる逃げないじゃなく、踏み込んではいけないのだから。


「――カナリさーーん! ちょっと、お手伝いしてもらっていいですかー!」


 少し離れた場所から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。これは、サラちゃんの声か。


「はいはーい! りょうかーい! さて、お仕事お仕事。さっさと次の街に行くためにっと」


 カナリが望遠鏡を縮めて懐にしまうと、光景が広場に戻る。そのことに、俺は少し安心した。

 それは、最後に望遠鏡から見えた光景。山間の砦が、まるで巣で獲物を待ち構える巨大な蜘蛛のように見えてしまったからだろうか……

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