第8話 次の街に行くには
砦の魔物、ザフィージェの復活。
その噂は、瞬く間にトキレムの街に広まっていった。
教会が正式に発表したわけでも、俺たちが話を広めたわけでもない。ただ、教会に騎士が集められた。重症を負った隊商の商人が運び込まれた。この二つだけで、トキレムの街の住民が騒ぐのは十分だったというだけ。
「それだけ、この街の住民は恐れてるってことだよな」
「かもな。ちっ、後で寄ろうと思ってた露店が閉まってやがる」
サラちゃんと別れ、活気の減った道を歩きながら、カナリは舌打ちをしている。そんなカナリを他所に、俺は操っていたマウスから手を離し、自分の座るデスクチェアの背もたれに体重をかけて目を閉じていた。
別に疲れたわけじゃない。俺の情報整理の作法だ。疲れすぎていると、このまま寝落ちするのが玉に瑕ではあるけども。
「アラクネの魔物ザフィージェ。一番最初にぶち当たるボスキャラ、ね」
ボス・ザフィージェ。名前だけが攻略サイトのトキレムのページの半ばに書いていた。他の情報はなし。強さもなにも書かれていない。
さて、どう攻略したものか……
「おーい、シオン。胸の奥でうんうん唸るのやめてくれ。オレまでイヤな気分になる」
「んなこと言わないで、カナリも考えてくれよ」
「考えるって、なにをだ?」
「いや、ザフィージェの攻略法だよ。ボス攻略。弱点はなんだろうなー、とかさ。お前も選ばれた勇者なんだろ?」
「勇者。……勇者ねぇ」
「んだよ。自信ないのか。主人公なのに」
「そりゃー、オレの人生の主人公はオレだ。でも、主人公だからって勇者になれるわけじゃないだろ。オレなんて逃げ足が速いだけだぞ? そんな器じゃない」
自虐、というわけではないんだろう。
いきなり目の前に穴が現れても驚きもせず飄々としているような奴だし、冷静に自分を評価した上での言葉だろうか。
「それにな、勇者どうこうってんなら、シオンが勇者になるぞ?」
「俺が?」
「そうだよ。御伽噺でも、穴から現れるのが勇者だって言ったろ。オレは協力して魔王を倒すだけ。オレは、その従者ってわけだ」
「はぁ、んなバカな」
確かに女神像もカナリから聞いた御伽噺も、カナリを勇者だとは言っていなかった。だが、俺こそ器じゃないだろ。
「まっ、穴から現れるっていっても、腕くらいしか伸ばせない勇者だけどな」
「そんで、財布代わりってか?」
「よくわかってるじゃん」
「マジか。マジで財布扱いか」
「ごめんごめん、冗談だよ。……半分くらいは」
ぐぬぬ……本気で言ってそうで怖い。
しかしまぁ、なんともバランスの悪いパーティーか。腕しか伸ばせない財布扱いの勇者(笑)と逃げ足が取り柄の従者(仮)。
うん! 両方とも勇者の器じゃないね! 間違いない。
「で、勇者さまよ。なんでいきなり、ザフィージェの攻略だなんて話が出てくるんだ? スライム程度の魔物でも、すげー怖がってたじゃねーか」
「勇者とか呼ぶのやめろ。バカにされてる気しかしねぇ」
「はいはい。で、どうなんだよ」
「それは……」
あれ、なんでだ? なんで俺はザフィージェを倒すだなんて思った?
「そりゃ、最初のボスだし。このタイミングで復活だなんて、どう考えても必須イベントじゃ……」
「ザフィージェがボスってのは間違ってないが、イベントってなぁ……。シオンよぉ。まだこっちの世界が、ゲームがどうとかって言うんじゃないだろうな」
「いや、そんなことは」
ない――なんてことは言えないよな。イベントだなんだって考えてる時点で。ボスってことは、スライムなんかよりよほど強いに違いない。下手すりゃ……
「……カナリが死ぬ」
頭を振り、考えを改める。
そうだ。ゲームがどうこうなんて考えは捨てろ。教会を見たときに教えられたじゃないか。黒で染められた旗の意味を。俺たちの世界よりも、死が身近にあるのだということを。
この世界はゲームじゃない。絶対に戦わなくちゃいけないイベントなんて、ないんだ。逃げられるなら、逃げろ。
「そうそう、中央に行く前にオレが死んじゃう。だから、ザフィージェってのと戦わせようとするなよ」
「どうせ逃げるくせに」
「ははっ、よくわかってるじゃないか。死にたくないからな。だからこうやって、わざわざ穴も隠してるんだ。勇者だなんだって言われるのも面倒だし」
やっぱり、穴を隠してるのにも理由はあったか。主人公として――というか従者としてか――動こうと思ったら、穴の存在を教会あたりに告白してもいいはず。協力者を得られれば、中央に行くにも動きやすくなる……が、だ。
そりゃそうだよな。器じゃないと思ってるなら、勇者だ従者だと担ぎ上げられるのは避けたい。大陸全土に伝わっている
「じゃあ、ザフィージェは倒さない方向でいいんだな? 回り道をして次の街を目指すと」
「砦から動かないっていうからな。……まっ、シオン次第かもだけど」
「あんっ? それ、どういうことだ?」
「言葉どおりだよ。――おおい! オマエら!」
くそっ、答えないのかよ。文句を言いたいところだが、誰かに話しかけているようだし、俺も口をつぐむしかない。
カナリが声をかけたのは、広場に集まっていた数人の男女の集団。その中から、厳つい男が睨みつけるように前に出てくる。
「誰だテメェ。こっちゃあ忙しいんだ」
「いいじゃねーか。アンタら、この街の商人だろ? ちょっと聞きたいことがあるんだよ」
「はっ! ガキはどっかいってやがれ! 忙しいって言ってるだろうが!」
「まぁまぁ、コリッソさん落ち着いて~。……あら~? あなた、昨日の~?」
しゃがれ声で怒鳴り散らす男を止めたのは、獣耳の小さな少女だった。というか、質屋の犬耳ロリっ子だった。カナリに驚きつつも、笑顔――営業スマイルだろうけど――を向けてくる。
……やべぇ、やっぱり可愛いですよ。二日間で三度目のエンカウントですよ。二度あることは三度ある。三度目の正直。仏の顔も三度まで。きっとこれは運命だと思うよ、うん。だからもそっと近くで……――はいここだっ!!
机についていた腕を思い切り伸ばし、イスごと身体を後ろに押すと、勢いよく体が後ろに滑る。
「…………チッ」
イスのキャスターが床を滑る音と、穴の向こうから聞こえてくる舌打ち。そして、さっきまで俺の目があった位置に突き出された指。
ふんっ、バカめ! タイミングは完璧に掴んだぞ! やーい! バーカ、バー――
「へぁ?」
僅かな衝撃とともに、視界が勢いよくグルンと回る。俺はスローモーションのようになる視界で見た。キャスターの隙間に挟まったディスプレイの空箱を。――そして数瞬遅れ、火花が散る視界と、後頭部に走る激痛。
「……いぎっひぃ!! いあっ! がはっ!!」
「ちょっとシオンー! うるさいよー!」
余りの痛みに後頭部を押さえ部屋を転がっていると、部屋の外からリッカの声が聞こえてくる。黙れ、それどころじゃない。それと、せめて心配してくれ。
……あ、鼻水と一緒に涙も出てきた。悲しい。これ、天罰? 俺、そんなに悪いことしたかな……
「相変わらず、不思議なお腹をしてるみたいですね~」
「なんだ兄ちゃん、病気だったのか? なら、腹痛に効くいい薬があるぞ? 虫下しも一通り揃ってるが」
「いらねーよ。虫下し程度でどうにかなるもんじゃないからな。にしてもアンタ、薬売りだったか。アンタの怖い顔を見てるだけで病気が吹っ飛びそうだ」
「がっはっは! おかげで俺は病気知らずだ! 兄ちゃん面白いヤツだな。他に欲しいモンがあるなら、このコリッソに言えや。口くらい利いてやるぞ。と言っても、いつまで口が利けるかわからんがな」
頭を押さえつつ、机に戻る。……ああ
「やっぱり、ザフィージェって魔物のせいか?」
「お、知ってたか。なら話が
「その様子だと、噂、本当みたいだな」
「ああ、商人にゃ商人の情報ルートがあるからな」
たぶん、街に運ばれたっていう隊商の人間から聞いたんだろうな。教会の情報規制、ガバガバじゃないか。
「で、アンタらは他の街に逃げる準備ってわけか」
「その手の文句は聞かねぇぞ。機を見て敏なり。商売の基本だからな。すまねぇとは思うが、こっちも商売なんでね。欲しいもんがあるなら今のうちに買っとけ。山間の道が使えなくなったせいで、流通が悪くなる。そのうち、値札見たら驚くことになるぞ」
薄情なように聞こえるが納得もできる。慈善事業じゃない以上、情より利ということだろう。だが、一日だった行程が三日になるだけで、それだけ驚くような値段になるものなのか……って、ああ、そうだった。まず、前提が違うんだ。
二日分の手間賃や食費が増えるだけじゃない。二日分、魔物に襲われる危険も増えるわけだ。しかも、通るのは十年前に使っていた道。今はどうなっているかわからない。そりゃ、値段も跳ね上がるわな。
「オレがしたいのは、買い物じゃないんだよ」
「モノを買うんじゃなかったら、なんの用だってんだ?」
「いやー、どうやって街に移動するのかと思ってね。まさか、その子……えーと」
「セリトフィラといいます~。カナリさん、でいいんですよね~?」
「あれ、オレ、名前教えてたっけ」
「昨日、書類に書かれている名前を見ましたから~」
「そういやそうだった」
バスタオルを売ったとき、書類がどうこう言われてたな。そこに書かれた名前を覚えてたんだろう。にしても、セリトフィラって名前なのか。ふ~~ん。……ふ~~~~~~~~ん。
「セリトフィラも行くのか? 結構、古い店だったと思うんだけど」
「いえ~、私はお婆さまの代わりにお話を聞いていただけで~」
「セリの婆さまはな、この街の商人をまとめる組合長をやってんだ。別の街に行くにしても、世話になったし話は通しておかなきゃいかんと思ってんだよ。婆さまの具合がよけりゃ、直接会いにいくんだがなぁ」
「へぇ、殊勝なこって。まぁ、それは置いといてだ。移動する算段はついてるのか?」
「腕の立つ奴らが集まり次第だな。二、三日後になると思うが。教会に護衛を頼めりゃ楽なんだが、すぐには教会も動けんだろうからな。なんだ、兄ちゃんもしかして、護衛に名乗りをあげてくれるのか? だったら、給金は弾むぞ?」
「いんや、オレはアンタらに護衛を頼みたいというか、一緒に連れてって欲しい感じ。戦うのはからっきしだ」
やっぱりか。一人で次の街に行けないんなら、誰かに頼むしかないよな。一日だってムリなのに、三日も一人旅なんて無謀過ぎる。
「なら、すまんが他所を当たってくれ。余計な荷物を
「んだよ、ケチくせーな」
「ケチにもなるわ。こっちゃあ予定外の出費で頭抱えてんだ。護衛を雇うにも、ギリギリなんだよ」
「そこをなんとかさぁ。なんない?」
「ならんと言いたいが……そうだな、二万Gほど金を用意できりゃ、考えてやるぞ。言っとくが、ぼったくってるわけじゃねぇからな。追加の食料と護衛なんかの必要な分を考えりゃ、二万あってもこっちの利益はほとんどねぇんだ」
「くそっ、足元」
「だから見てねぇっつってんだろうが。金が用意できなきゃ、他の移動する商人連中を探すか、教会が落ち着くのでも待つんだな。二週間もすりゃ、教会も少しは落ち着くだろうよ。おら、こっちは話がまだ終わってねぇんだ。行った行った」
「わかったよ。じゃあまた、金が貯まったらな」
「また売るものがあれば、ご利用お待ちしています~」
ああ、小さく手を振るセリたん、やっぱり可愛い。そんで、商人の輪から追い出されたカナリは、そのまま誰もいない広場の隅へと移動した。はい、なんて言われるか想定してますよー。
「シオン、二万Gよろしく」
「ですよねー。そうなりますよねー」
マジで財布扱いじゃないですかやだー! しかもその言い方よ。もうちょっと感謝というか、お願いのしかたがあるんじゃないのか?
「昨日のタオルを十枚分だ。他のでもいいけど、用意できるか? シオンの毛布でもいいけど」
「やだよ! だってセリたんの店に売るんだろ!? 俺の汗とかアレとかコレとかの毛布をセリたんが手に持ってモフモフするとか………………えっと、ダメだよ?」
「ほんっっっっっっとうに気持ち悪いな。なんだよセリたんって」
「それはほら? 親愛の証? みたいな?」
ね~。本当に気持ち悪いよね~。知ってる~。でも、心の奥底で加速が止まらないんですよ。しょうがないんですよ。セリたんはセリたんなんです。
「なら、オレはカナたん?」
「……………………ぺっ。ヨォシ、ボク、オシイレミテクルゾー。ガンバルゾーイ」
「おい待てシオン、なんだその棒読み。あっ!? 逃げんなこの!」
穴の向こうで騒ぐカナリを無視し、さっさと部屋の外に避難する。あのままだったら、なぜセリたんがセリたんでセリたんになるのか、小一時間説明しなきゃならないところだった。危ない危ない。
「しっかし、回り道で三日か」
ザフィージェのいる砦を避けるためとはいえ、危険ことには変わりないんだよなぁ。でも、どっちが安全かなんてわかるわけもなく。
「まっ、選択肢を広げるって意味でも、押し入れを漁りますかね。死なれたくないし。売るものがあったら、またセリたんに会えるし」
どうにか自己紹介してお知り合いになれないものかと考えつつ、俺は階段を下りた。
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