第6話 色々と試してみた結果

 わかったことは少なかった。

 魔物に出くわすこともなく、しごく平和に色々と試した。

 その結果といえば――


「大体、十メートル前後ってとこか」

「だな。それ以上離れようとすると、オレの体が進まなくなる」


 近づいてきたカナリが、穴から木の枝を外す。

 今やっていた実験は、木の枝に穴を引っ掛け――つまり俺の部屋に木の枝が生えたということだが――カナリが離れるというもの。

 穴はカナリを中心に、半径十メートル前後まで離すことができる。いや、逆かな。穴からカナリが十メートル程度しか離れられない、というほうが正しいかも。それ以上離れようとすると穴はカナリの後に続くように動き、カナリが引く以上の力で穴が引っ張られれば、逆にカナリが引っ張られる。

 穴が空いた理由も、穴を閉じる方法も、もちろんわからなかった。穴よ閉じろと祈ってみたりもした。でも効果なし。穴はこうして目の前にある。

 以上が今日わかった実験の結果。


「こんなんがわかっても、どうしようもねーな」

「んなことないだろ。オレにとっては重要なことだぞ?」

「そんなに重要かねぇ」

「重要重要。宿をとるとき、風呂がすぐ隣の部屋じゃなきゃ安心できない。すげー重要」

「昨日みたいに、風呂付きの部屋をとればいいだろ」

「朝起きたら人の服をめくろうとしてた奴が同じ部屋にいて、安心して風呂に入れると思うか?」

「そりゃごもっともですわ。信用ねーなぁ、俺」


 向こうにいるカナリに向かって肩を竦めてみせる。

 得るような行動をしてないんだから、しょうがないけど。せいぜいバスタオルを渡したくらいだからね。金になるものをあげたんだから信用してくれ、なんて言えるわけもなし。


「しっかし、どうしたもんかね。このままだと、俺の部屋もカナリに覗かれるってことだよな」

「誰がシオンの部屋なんて覗くか。それに、そっちはまだいいよ。オレなんて、穴が勝手に後ろをついてまわるんだから」

「ご愁傷様なことで」


 カナリと違い、俺はディスプレイから離れられるからな。その点は感謝だ。


「問題が起きている側と協力する側の違いかね」

「かもな。こっちの世界で穴をそこら辺に放っておいたら危ないし。スライムなんて不定形生物だから、ズルッとそっちに入り込むぞ? そうだな、次にシオンがオレを覗いたら、それもいいか」

「よくねーよ! 俺が死ぬ!」

「まぁまぁ、スライムがそっちに入った瞬間、死ぬかもしれないし。試してみないとわからないだろ? ――お? 噂をすりゃスライムのお出ましだ」

「――っ!?」


 穴の向こう、カナリの視線の先に目を向ける。百数十メートル先の草原。そこに――スライムはいた。

 緑色のブヨブヨとした体を震わせ、半透明の触手を蠢かせ、体の中心に赤い玉――カナリが言うには魔物の心臓コア――を怪しく光らせて、草原を這いずっている。

 リアルで見ると、ゲーム画面で見るよりも何倍も醜悪に見える。有名RPGのつぶらな目をしたトンガリ頭のスライムなんて目じゃない気持ち悪さ。見ているだけでSAN値が下がりそうだ。


「相変わらず気持ちわりぃなぁ」

「お、おい! 早く、早く逃げないと!」

「大声出すな。あいつスライムが向かってる先は、

「俺たちじゃないって……じゃあ」


 もう一度スライムに目を向ける。

 何かを感じ取っているのか、深海魚の髭のように獲物を探すスライムの触手は、こちらを向いていない。向いているのはもっと街寄り。街道のほう。

 街道を見ると、鎧を身に着け、帯剣した四人の人間が歩いていた。……スライムの狙いはあいつらか。


「――って、冷静に見てる場合じゃないだろ! なんとかして知らせなきゃ!」

「いらんいらん。放っておいていいって」

「放ってって……! また教会に黒い旗が立ってもいいのかよ!?」

「いやー、立たないんじゃないかな。だってあいつら、


 カナリがニヤリと笑う。その笑みの意味が、俺にもわかった。

 街道にいた四人のうち、二人が腰に刺した剣を抜き、スライムに向かって駆ける。その動きは素早い。そして――全てが正確だった。


 スライムを挟み込むように二手に別れ、剣を構える。スライムの触手が片方に向かえば、反対の人間が剣を振る。スライムの意識が攻撃してきた相手に向けば、もう片方が剣を振る。まるで、お手本のような挟撃。油断も隙もなく、攻撃は常に安全と思われる方向から。途中、戦闘を嗅ぎつけたのか、仲間を呼んだのか、別の方向からスライムが現れた。そちらは、残った二人が相手をし始める。その二人も先に戦っていた二人と変わらず、スライムを手玉に取っている。


 圧倒的だった。スライムとの戦いに圧倒的だなんて表現をするとは思わなかったが、ルキティアル戦記のスライムを知っている俺には、そう言えるだけの驚きがあった。


「……強い」

「そりゃ教会の騎士様だからな」

「教会って、総合教会のか?」

「そうだ。コラキ大陸総合教会の教会騎士。こんな世の中だ、大きな国以外でも自前で騎士をもってるさ。しかも教会は大陸全土にあるからな。魔王の領土に近い最前線の国から、こんな辺境の街まで。辺境の下っ端騎士だろうと、スライムに負けるような奴は教会騎士になれない」

「……はぁ」


 つまりあれか。一定の強さがないと教会騎士にはなれないってことか。そして、中央魔王の領土に近ければ近いほど強い騎士がいると、そういうことか。


「そんなに強い騎士がいるんなら、教会が魔王を倒しちまえよ」

「ははっ。ホントにな。そうすりゃ信者ももっと増えるだろうよ。でもな、それは無理だ。教会騎士も大国の騎士も専守防衛。魔王の領土に攻め入ることなんてないのさ」


 言いながら、カナリは落ちていた木の棒で地面に丸を描き、真ん中に線を引く。ギリシャ文字のΦファイのような形。


「線で分けた円の、半分は人間の領土。半分は魔王の領土。魔物は人間の領土の端から中央に近づくにつれ、スライムみたいな初級。もっと強い中級。さらに強い上級の魔物になっていく。さて、ここでシオンに問題だ。魔王の領土に入ったら、どんな魔物が、一体どれだけいると思う?」

「それは……もっと強い、つまり超上級の魔物が……ああ、そりゃ無理だ」


 納得した。この話の先には、絶望が広がっている。


「人間側でスライムと戦える奴は、全人口の四分の一もないだろうな。中央の魔物と戦えるようなのは、さらにそこから数分の一以下。そして、魔王の軍勢――魔王軍の規模は未知数だときた」

「誰も魔王軍に攻め込んでないのか?」

「いたさ。だいぶ昔にな。でも、だーれも帰ってこなかった。だから、誰も魔王軍がどれだけの規模か未だにわかってない。それからは魔王軍に攻め込んだとか、攻め込もうなんて話は聞こえてこない。つまり、足りてないんだよ。人間側の戦力はな」


今度は、カナリが肩を竦める番だった。まるで諦めたような、吹っ切ったような、そんな不思議な顔を俺に向ける。


「だから専守防衛か。つーか、防衛しかできないってか」

「そういうこと。細々と延命処置をしているだけさ」

「延命処置、ねぇ」


 酷いかもしれないが、上手い言い方だと思った。

 カナリの話が本当ならば、この世界ルキティアル戦記の人類は詰んでいる。

 人員も自力も足りず、攻め込むこともできずに守るだけ。確かに延命処置。病気が悪化しないように、なんとか耐えているだけの状態。耐えて、耐えて、耐えて。それでも、気を抜けばあっという間に終わってしまう。

 魔王が本気で配下の魔物を送り込めば、終わる。

 ……おい、俺はそんな状況で、どんな協力をすればいいってんだ?


「まっ、実際は中央に行ってみないとわからないけどな。さて、頭の痛い話は一旦お終いだ。――あっちも終わるみたいだぜ」


 教会騎士の剣が振られるたびにスライムの身体は削り取られ、触手は勢いを失い、最後には中心にあったコアが剣で貫かれ、スライムの体がドロドロと崩れる。教会騎士のほうに怪我はないようだ。


「おっと、見つかったみたいだ」

「ス、スライムか!?」

「違うよ。あいつらにさ」


 四人の教会騎士の内、一人がこちらを見ていた。その一人が、こちらに近づいてくる。


「穴を服に閉まってるヒマはないな。木の陰――そうだな、上の方にでも隠れてろ」

「あ、ああ。わかった」


 カナリが実験で使っていた木の幹に背中を寄りかからせると、俺は穴から腕を伸ばし、裏にまわって木の上へと向かう。木の高さは十メートルもないし、葉も茂っている。十分隠れられる。

 登っている間にも、教会騎士は近づいてくる。あれか? 実は魔女裁判をやるように、怪しい人間を片っ端から捕まえるような危ない教会なのか?


「おい、キサマ。こんなところで何をしている」


 フルフェイスのかぶとでこもった声が、カナリに声をかける。そこには、友好的な感じがしない。もしかして、これピンチだったりする?


「これは教会騎士様。ちょっと外の空気を吸いたくてね。田舎から出てきたばかりで、街の中は息が詰まるんだ」

「何をバカなこと、を……」


 にこやかに笑顔を見せながら言葉を返すカナリに、教会騎士の言葉が詰まる。


「どうかしたのか?」

「い、いいえ! お気になさらずに!」


 ガチャガチャと金属音を立て、教会騎士が冑を外す。

 仮面の中から出てきたのは、ふんわりとウェーブがかかった長い金髪。切れ長の目。声をかける前は引き締まっていただろう、赤い唇。

 教会騎士の正体は、綺麗な女の子だった。そして、ピンチになんてなっていないということがわかった。

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