ルキティアル戦記
第1話 キッカケの日 神楽家の庭 [改]
季節は師走と呼ばれる冬。
年末の大掃除で家の庭にある物置を片付けるため、朝からずっと動きっぱなし。運んで拭いて入れ替えて、ずっと動き続けているはずなのに――
「さぁぁぁぁぁぁむぅぅぅぅぅぅいぃぃぃぃぃっ!!」
かじかんだ手足から否応なしに寒気が登ってくる。噛み合わない歯はカチカチと鳴り、上着ごと冷えた腕をさすっても震えが収まらない。
やべぇよ、この寒さはやべぇ。温暖化の影響か、十二月だというのに雪もまだ降っていない。それでも海の近くに建つ俺の家に吹く海風は、海上で体を刺すように冷やされた風を運んできていた。
「寒い寒いうるさいよ、シオン。こんなんで寒いとか、ちょっとは体を鍛えたらどうなの?」
「そっちこそうるせぇぞ、リッカ。鍛えすぎて寒さを感じる神経までムキムキになったんじゃないか? この筋トレバカが」
「ほっほ~う。バカと言ったか。ならそのバカの力、思い知ってみる?」
目の前で短髪でタンクトップにジーンズ姿というバカみたいな姿をして汗を流している女が、俺に向かって腕を振り上げる。こいつの名前はリッカ。
鍛えた筋肉の上には薄っすらと肉が付き、パッと見では女性らしさが見て取れる。だが一皮剥けばムッキムキのカッチカチ。あと少し体脂肪率を減らせば、その正体は周囲に知れることだろう。
「ノーノーノー、暴力いくない。手を下ろせ妹よ」
「言葉の暴力に力の暴力で返すのはおかしくないよね?」
「いやおかしいだろ。口で勝てないからって簡単に手を出すのは悪い癖だぞ」
そもそも口論だってしていないだろ。互いが小学生の頃なら暴力は最後の手段だったはずだが、最近は気に食わないことがあればすぐに手を出してくる。
小学校からこのかた運動部なんて入ったことのない俺とは違い、リッカは中学から柔道部に入っていた。
もうリッカに体力も力も敵わない。俺とのケンカは柔道をやっているわけじゃないから殴る蹴るも可。まったく世知辛い。俺も通信空手でも始めてやろうか。面倒だからやらないけど。
「問答無用!」
「うひぃ!」
フック気味に振られたパンチを、なんとか後ろに下がってやり過ごす。おい待て、なんか耳元でブオンっていったぞ! お前、将来は総合格闘技の道にでも進む気か!?
二発、三発とパンチを躱す俺を、リッカが楽しそうに見ている。完全にあれだ。獲物をもてあそぶシャチの目だ。
そうこうしているうちに、物置の壁へと追い詰められた。
「ふっふ~ん、どうする? もう逃げ場はないよ? せっかく手加減してあげてるんだから、もっと足掻いてみせなよ。それとも恐怖で動けない?」
「おーおー、無駄にカッコつけた
「なっ!? なんでシオンがそのノートのこと知ってるのよ!」
「ふっはっは! 俺に知らないことはないのだ!」
まぁ、俺もついさっき知ったんだけどな。とりあえず妹よ。物持ちがいいのは素晴らしいことだが、なんでもかんでもダンボールに詰めて物置にしまうのはよくないぞ?
何かあったときのためにと胸元に忍ばせていたリッカの黒歴史ノートを取り出すと、適当にページを捲る。痛々しい技名と長ったらしい説明が、絵付きで書かれているのを見ると、俺も心の奥が痒くなってくるな。でも我慢。面白いからね!
「なになに? 柔道必殺の極意『
「ムキャァァァァァァァァァァ!?!?!?」
おお、リッカがゴロゴロと地面を転がっている。この技はノートを読むだけで効果があるらしい。柔道協会に新しい技として報告してやろう。効き目があるのは一人だけだろうがな。
だが、これで終わりだ。俺の勝ちに他ならない。
「しかし、空しい勝利だ……」
なんてったって、誰も幸せになっていないからな。
庭の前を通った隣の家の婆ちゃんが、「あらあら、相変わらず仲がいい兄弟ねぇ」などと微笑ましい笑顔を向けられたが気にしない。
「……んふふふふふふふふふふふ。なにを、勝手に、終わらせて、いるのかな?」
「――あ、やべ」
髪なんぞかきあげながら格好付けていた俺の後ろで、
「おに~ちゃ~ん? おに~~~ちゃ~~~ん? 覚悟はできてるよね~~?」
あ、これは立ち直ったんじゃないね。直ったんじゃなくてブチ切れたんだね。
その顔は狂気。怪しく光る目は、俺の命を狙っているに違いない。さっさと逃げときゃよかったね。失敗、失敗。
「は、はははは……俺をお兄ちゃんなんて呼ぶのは、いつ以来だったかな。昔は俺の後ろをお兄ちゃんお兄ちゃん言いながらチョコチョコついてきたってのに、いつの間にか呼び捨てになって――」
「んな記憶ないわボケぇッ!! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「なぁっほいっ!?」
耳に聞こえるのは数段鋭くなった風切り音と倉庫の扉がひしゃげる音。躱せたのは奇跡だろう。代わりにベッコリと凹んだ倉庫の扉が痛々しい。
「ちょっとぉ!? 殺気! 殺気がこもってませんかね、リッカさん!?」
「だって殺気を込めなきゃ殺せないじゃない!」
「込めなくていいから!! 謝る、謝るから許して! ほら、これ! 黒歴史ノートも返すから! なっ?」
「お前の記憶ごと脳みそも
「いやっふぃ!? それをやったら本当に死んじゃうからね!?」
デタラメに繰り出されるリッカの連続パンチに名前を付けるならば、柔道必殺の極意『
つーか、やべぇ。完全に手加減なんてどっかにブッ飛ばして俺に攻撃してきやがる。どうにかしないと。
「ってバカ野郎! そこはダメだ!」
「――あっ……」
そこにあったのは、リッカが倉庫から運びだして力任せに頭上高くまで積まれたダンボールの山。その山の中段を打ち抜く形で、リッカの拳が振り切られる。
「くっそ……!」
頭上に落ちてくるダンボールを
ゴツゴツという降ってくる衝撃と痛みに、リッカを抱えながら地面に倒れる。
「………………!」
最後に一つ、俺の顔の横を掠めるように、落ちてきた古い鉄製のアイロンが重い音をたて庭の地面を抉った。
時間にしてみればほんの数秒。その数秒で片付けをしていてもかかなかった汗が、体中をじっとりと濡らしていた。いわゆる冷や汗。
「いつつ…………リッカ、大丈夫だったか?」
「う、うん…………」
ガラクタの中から体を起こすと、玩具やらバラバラになったパズルやら古本が背中から落ちる。背中は多少痛いが、怪我はない。俺の下で、ビックリしたのか固まっているリッカにも怪我はなさそうだ。よかったよかった。
冷たい地面に寝かせておくのもなんだし、リッカの手を取り立ち上がらせてやる。差し出した手を素直に握るとは、殊勝で大変よろしい。いつもそうやって素直なら、可愛げがあるってもんなんだけどな。
「バカみたいに暴れるからだ。少しは落ち着いたか?」
「……落ち着いた」
「なら、今度から気を付けろよ」
「そうだ――ねっ!」
「――!?」
油断していた。手を繋ぎっぱなしで逃げられない。リッカの拳が俺に迫る。迫って、顔の前まで迫って――
「いて」
人差し指が俺の鼻を叩いた。
「これで勘弁したげる。あと、ノートは返してもらうよ。ほら、散らばったモノ集めといてよ。わたしは中から新しいダンボール持ってくるからさ、お兄ちゃん」
「へ~~い。りょうかいだ、妹よ」
リッカは落ちていたノートを拾い上げると、家の中に戻っていった。
……なんだ。俺は許してもらえたらしい。うむうむ、計算どおりだ。
怒った相手を静めるには、さらに上の怒りを見せて意表をついてやるか、怒っていられない状況にして怒りを逸らしてしまうことだ。
怒り狂ったリッカが俺に向かってくることなんて想像してたからな。ダンボールの山に誘導するのは簡単だった。
「まっ、最後にアイロンが落ちてきたときは、ちょっとばかし死を覚悟したけどな」
潰れもしないで積んであったダンボールだ。重いものはあまりないと思っていたが、アイロンだけが誤算だった。
まぁ、俺が原因だからな。それで怪我をしても俺の自業自得だ。それにだ、妹に殴られて怪我をするよりは、妹を庇って怪我をしたほうが格好が付くってもんだろう。多分な。
「これ以上、体力を使うのもなんだし、さっさと片付けますかね」
散らばった荷物を壊れかけのダンボールに詰めてゆく。子供の頃に遊んだヒーローや怪獣のビニール製の人形。リッカと取り合いになってボロボロになった、十四匹のげっ歯類が引っ越ししている絵本。中学のときハマって作ったペットボトルロケットの残骸たち。バラバラになって地面に落ちた童話を題材にしたパズルは……紙製だし雪でも降ればそのうち土に返るだろ。ピースが小さすぎて拾う気にもならない。
ふぅむ。黒歴史ノートの他にネタになりそうなモンはないな。残念至極。リッカで遊ぶのは多少痛い目に合うのを覚悟すれば、まぁまぁ面白いんだけどなぁ。
――と、なんだこれ。
「なになに? 『ルキティアル戦記』……PCゲームか?」
プラスチック製の大きな箱。古臭い表紙絵の裏には、これまた今では考えられないような古臭いゲーム画面と『等身大の人間を感じろ!』というキャッチコピー。親父が若い頃に買ったエロゲーってわけでもなさそうだ。それはそれでイヤだが。
箱を開けてみると――
「CD-ROM六枚組みとか、どんなゲームだよ」
今だったら全部の容量を合わせてもDVD一枚に収まる。CDからDVDへの転換期のゲームなのか? それにしたって、俺が生まれた頃のはずだ。
「ジャンルはRPGか。ちょっと調べてみるかな」
リッカの黒歴史ノートまではいかないが、少し興味が湧いた。プレイできそうなら試しに遊んでみるのもいいし、高く売れそうなら売ってもいい。どうせ押入れにしまわれてたレトロゲームだ。別にいいだろう。
俺はリッカが庭に戻ってこないうちに、ゲームの箱を持って自分の部屋へと戻った。
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