第32話 道すがら
「なぁ、ゆかりんがいつからおまえを男だって見破ってたか知ってるか?」
珍しく送ってやるという申し出を受けて兵頭の車に乗り込むと、妙な話を持ちかけられた。
「薮から棒になんだ」
「他愛無いお喋りだって。いいじゃねーか、運賃だと思って答えろよ」
「……」
少し考えた後、「ゴールデンウィーク」と答える。
「ぶー、違いまーす。スーパーひであき君人形没収」
「面倒くさいな、いったいなにが言いたいんだよ」
「んもー、光瀬クンはせっかちだなぁ。もうちょっと友人との会話を楽しめよ」
「おまえの話が回りくどいんだよ」
「分かった分かった。正解はぁ、デデデデン、四月十一日でした!」
「……」
日付まで決められているとは意外と細かい……いや違う、驚くべきはそこじゃなく。
丁度三ヶ月前の四月十一日、……なんて、スケジュール帳を見るまでもなく新学期早々じゃないか。不吉な日付に思わず真顔になる。
「う」
「嘘じゃねーぞ、ゆかりんから聞いたんだもん」
いつの間にそんなこと、と問いただす暇もなく、以下詳細。
四月十一日、それは中古文学史の初授業の日だった。
源氏物語の勉強がしたくて進学を決めた実に正しい日本文学科の一年生だった北山さんは初めての授業に胸を躍らせていたという。どんな勉強が出来るだろう、これからいったいどんな日々が待っているんだろう。隣に座った友人とのお喋りにも身が入らないほど授業を楽しみにしていた彼女の耳に、やがてざわめきが聞こえた。
「え、若いんだけど」「この授業学長じゃなかったっけ?」。
何事だろうと顔を上げた先には。
『光瀬真琴、です。み、皆さんよろしくお願いします』
そう言って下手くそなお辞儀をした講師を、彼女は信じられない気持ちで眺めていたという。
他人の空似なんかではない。あれは間違いなく『先生』だ。初恋の相手とよく似た声で、顔も名前さえも同じ人間がそこに立っていた。
唯一違っていたのは性別だった。もしかして自分の記憶違いで初めからあの人は女だったのか? いや、そんな訳はない。線は細かったがあの人は確かに男の人だった。
聞けば、マイクの調整に難航していた俺を助けに来てくれたのは親切心ではなかったらしい。間近で顔と喉仏の確認をするためだったというのだから驚きを通り越して恐れ入る。結局ストールを巻いていたため喉仏は確認出来ず、化粧のお陰で女性にしか見えなかったので、世の中には同じ顔が三つ存在するという迷信を信じて気のせいだと思い込むことにした……のだが。
くすぶっていた疑惑の火種が再燃し、完全な炎となったのは論文検索の時だ。
自主ゼミに参加した北山さんは気まぐれで『光瀬真琴』と入力して論文検索をしてみた。すると、あからさまに俺が狼狽した様子を見せた。その後すぐに人が来たのでその時は気付かないフリをしたが、その後図書館で教わった通りの検索を掛けると結果は四件。そのうち一件は関西にある大学の紀要に載っている。ちょっとした罪悪感を感じつつも今度は『光瀬真琴』と『大学名』をインターネット検索することにした。すると、俺が所属していた大学院のゼミのホームページと写真が出て来た。
そして彼女は確信した。あれは、私の知っている先生だと。
「相当迷ったらしいぜー、まさかそういう性癖だったのかって一回は人間性すら疑いかけたって言ってた」
「……」
直接聞くよりも又聞きの方が胸が痛むのはオブラートが取り払われているからだろう。ぐさぐさぐさ、と一気に三本くらい矢が刺さって、俺は言葉を失った。
しかし、彼女は冷静に考える。
昨年撮られたらしいホームページの写真は男の格好で写っていた。ということは昨年までは彼はれっきとした男だったはずだ。最近ニュースでブラジャーを着ける男子が多く存在するというニュースを見たがそれと同じなのだろうか。いやしかしあれはあくまで普段は男として生活をしている人達がこっそり楽しむ趣味のだったはずで、毎日何百人という学生の前に立つ仕事は並大抵の覚悟や出来心では出来ない芸当だ……。
頭をフル回転させる。状況証拠、環境、そして本人の反応や資質、そして祖母が学長を務めているという事実を鑑みて、やがて彼女は一つの仮説に行き着いた。
――彼はなにか事情があって女装をしている、いや、させられているのではないだろうか。
「……それ、本当に北山さんが?」
「うん。俺、他人事なのに思わず恐れ入りましたって言っちゃったよ」
「……」
まさしく俺も同じ言葉しか出て来ない。頭のいい子だとは思っていた。真面目で努力を惜しまない優秀な子だと。それがこんなところで実感出来るとは。
「あとおまえ、俺のこと『高校の』同級生って言ったろ」
「言ったけど……」
「馬鹿だな、男子校だぜ、俺たち」
「あっ」
「ツメが甘いぜ光瀬センセイ。……まあ、聞かれてうっかり高校名バラしちゃった俺も俺なんだけどさ」
「……じゃあ、もしかして、あの飲み会も計算……」
「いや、飲み屋におまえが居たのは偶然だった、とは言っていた」
居た、『のは』。では、その後は?
不吉な予感を感じる胸にコチコチと音を立て、ウィンカーが点滅する。右手を確認しながら車は右折で明治通りに入り、軽快に新宿方面への道を走り始めた。
「ま、結果オーライだし、いんじゃね?」
「全然オーライじゃないだろ!」
だって、それではまるで彼女の掌の上で踊らされていたようなものじゃないか。
いや、踊らされていたのだとはっきり言える。恥ずかしさやらなにやらで、思わず顔を覆った。
「まーまー、今は無事に仲直りもしたんだし、あんまり細かいとこ突っつき廻すなって。女の子ってそういうの嫌がるぜ?」
「……細かいとこ突っつき廻すように仕向けてんのは、この間からおまえのような気がしてんだけどな」
「気のせい気のせい」
呑気かつ無責任に笑う悪友の顔に、大きな大きなため息を吐いた。
夏本番、陽炎の沸き立つ歩道を歩くのは、様々な老若男女だ。
音楽を聴いている男子大学生に犬の散歩をしている奥様、アイスを食べ歩く女子高生たちに懸命に腰を折って電話している半袖スーツのサラリーマン。ずるずると背もたれに寄りかかりながら、彼らの一瞬と俺の一瞬がすれ違う。不思議なものだ。女装姿の俺は高校の同級生だった男の車の助手席に乗って、縁もゆかりもなかった新宿へと向かっている。
半年前の俺は今の俺を予測出来ただろうか。いや、出来るはずがない。
人生なんて、たかが新幹線に三時間乗っているだけで、ガラリと変わってしまうほど不確かなものなのだから。
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