第13話 予期せぬ出会い

 まさか、いくらなんでも。そんな偶然がある訳がない。

 

 懸命に否定してみるけれど、心は不安にさざ波立ったままだった。

 いつどこでとは聞いていないが、北山さんは友人の付き添いで新歓コンパに行くと言っていた。実際モヤイ像の近くではうちの学生を見かけた。帝女の一女と、彼らははっきり言っていた。揺るぎないそれらの事実に、不安のシミが広がって行くのが分かる。


「……」

 携帯電話を取り出し、彼女の名前を探す。こんな場所じゃ電話は出来ない。打ち慣れていないメール画面を開き、蹴飛ばされるように本文を打った。

『急にメールしてごめんね。今、なにしてる?』

 怪しまれても構わない。もし普通に家に居るのであれば、休み明けのゼミの相談があってとでも言えばいい。送信ボタンを押して、祈るような気持ちでメールが飛んで行くのを見送った。

 そして、三分後。受信メール一件の文字が画面に開く。差出人は『北山紫』。

『友達と、新歓コンパの二次会に来ています』

「……」

 まさかそんな。考え過ぎだろう。自分に言聞かせつつ、返信を打つ。

『そっか。場所は渋谷とか? 飲み過ぎないように気を付けてね』

『はい。でも、ともだちが飲めないから、その分私ががんばらないとだめだって』

『誰がそんなこと言ったの』

『おとこの、せんぱいが』

「……」

 不安の靄が確かな質量を持った塊へと変化する。

『大丈夫? ちゃんと帰れる?』

『だいじょうぶです』

『本当に? 酔ってない?』

『だいじょうぶ』

『北山さん』

 真面目な彼女からののメールが平仮名になって、敬語がなくなって、返信が間遠になって。

 やがて、届かなくなった。 


 外に人が居るかどうかも確かめず、思い切り扉を開いて店内へと早足で戻る。

 全室個室が売りのダイニングバーはありがたくも迷惑なことにすべての部屋が仕切られており、先ほどの彼らが戻った場所がどこだか外からでは判断が付かない。通りすがりの店員を捕まえて聞いてみても、今日は団体の予約を複数受けているので分からないと断られる。帝国女子大の学生が来ていないかだけでも調べて欲しいと頼み込んだが、俺が必死になればなるほど店員の表情が訝しむように曇った。

「お客様、大変失礼ですがご関係者の方ですか?」

「いや、あの……」

「申し訳ありませんが、お客様のプライバシーに関わることですので」

 当然と言えば当然の反応だが、それで分かりましたと引っ込む訳にもいかない。勝手に一つ一つの扉を開けていくことも考えたが、こちらには上司や同僚も来ている。迷惑をかける訳にもいかない。

 くそ、と一人呟いて唇を噛み締めた、その時。

「ねぇ、大丈夫?」

 一番奥の部屋から女の子が出て来た。あからさまに酔いつぶれてしまっているらしい女の子を友達らしき子が支えている。

 サイドを編み込みにしてリボンのバレッタで止めた紅色茶の髪。立ち姿だけで、顔を見なくてもそこに居るのが誰だか分かる。

 偶然を装ったフリをして、俺は彼女達の前に立ちはだかった。

「……こんばんは」

「え、光瀬先生!?」

 支えていた女の子が驚いたような顔で俺を見上げる。茶色い髪のショートカット。この子にも見覚えがある。日文の一年生で、彼女と一緒に中古文学史を受けている子だ。

「ど、どうしてここに?」

「先生方に歓迎会を開いてもらってたの。……それよりその子、北山さん?」

「あ、は、はい」

「具合が悪そうだね。手伝うよ」

 許可を得る前に彼女の右手を肩に回し、今度は迷わずに女子トイレへと入った。奥の個室に一緒に入り、真っ青な顔の彼女の背中を擦る。女の子だから吐くのは嫌かもしれないが、体内のアルコールを少しでも減らさないと酔いは醒めない。

「あの、紫……大丈夫ですか」

「うん、多分。アルコール中毒にはなってないみたい」

 大学の謝恩会で馬鹿みたいに焼酎を煽って病院送りになった奴を見たことがある。簡単な応急処置を救急隊員から見て学んだが、その時の様子から比べれば彼女は大したことはなさそうだ。呼吸は荒いがしっかりしている。

「あ、あの、紫はなにも悪くないんです、元々お酒飲む気はなくって、ただ私の付き添いで来てくれただけで……」

「そう。でもね、一応注意しておくけど十八歳は未成年だから。こういう場所に出入りしちゃだめだよ」

「はい……」

 素面なところを見ると彼女が言っていた飲めない友達というのはこの子のことなのだろう。『せっかく高いお店に来たんだから飲まないお友達の代わりに君が飲まないと』

 そう言われて頑張ってしまった彼女が目に浮かぶ。そして、眉間に皺が寄った。


 一杯くらい飲ませれば多分潰れる?

 処女っぽいのが好き?

 なんにも知らない子を調教すんのがたまんねー?


 ――冗談じゃない。

 これ以上、あんな奴らの目の前に、彼女を晒しておく訳にはいかない。


「……ごめんね。お水と、ついでに北山さんの荷物、持って来てくれる?」

「え?」

「これ以上ここに居たら本当にアルコール中毒になっちゃう。わたし、送って行くから」

「そ、そんな、でも……」

 躊躇う様子を見せる女の子に、有無を言わさぬ笑顔を向ける。


「大丈夫。こう見えてもわたし、結構力持ちだから」

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