第6話 一難去って
「いやー、びっくりした。上半期一びっくりしたわー」
「……」
バレた。早速バレてしまった。それは、俺がこれからを生きていく希望を失くすのに十分すぎるくらいの事実だった。
しかし、目の前に座る兵頭は鷹揚に笑いながら、あろうことか昼飯の続きに手を出している。死神は親しい友人の姿をしているとなにかの小説で読んだことがあったが、まさか焼き鮭を突つく高校時代の悪友に(社会的な)命を奪われることになるとはまるで想像もしていなかった。
「新しい講師は女性って聞いてたのに、まさか光瀬だったとはなぁ」
「……」
「なにおまえ、昔から変わってるとは思ってたけど、ついにそっちの道に行っちゃったの?」
「違う!」
「え? 違うの?」
兵頭の視線が俺の上から下までを綺麗に往復する。
……分かってるよウィッグ被ってこんな格好して説得力ないのも分かってるよ。でも違うんだよ。好きでこんな格好してるんじゃないんだよ。
「……これには、事情があって」
「どんな事情?」
目をランランと輝かせる横っ面をひっぱたいてやりたい衝動に駆られながら、兵頭が入れてくれたコーヒーを啜る。まずい。びっくりするくらいまずい。もうそのまずさに観念して、今までの事情を説明することにした。
「ふーん、なーるほどなぁ」
まだ始まってもいなかった講師ライフの終わりを覚悟していたが、奴が存外真面目に聞いてくれたので結局最後までありのままを話しきってしまった。
自分で言っててものすごいストーリーだったのにそれをなるほどと言い切ってしまえるとは。すごいなこいつ。
「いやー、お前化粧映えするのなー。女子にしか見えないわー」
「……じろじろ見るな、頼むから」
「見んなって言われてもさぁ、世の中でこんなに気になるものもなかなかないぜ? 高校の友達と久しぶりに再会したら女装してんだもん」
ごもっともだが、改めて言われると恥ずかしさと情けなさで今すぐ死にたくなってくる。
「男だと雇ってもらえないから女ってことにして採用されたってことね。女子大ってそういうとこあるよなー、分かる分かる」
「……」
「でもさ、おまえが学長の孫だったとは知らなかったよ。苗字違うからさぁ。母ちゃん方のばあちゃんってことなの? あ、そういやおまえ高校ん時もばあちゃんと住んでるって言ってたっけか」
「……」
「院出たのに就職先がないなんてきっついよなー。俺もさあ、ほんとは広告会社狙ってたんだけどさ、俺たちん時ってくっそ氷河期だったわけ。第一志望に通った奴なんて数える程度しかいなかったんじゃねーかな。そうそう、俺の就活ん時の伝説がさ」
「……兵頭」
「ん?」
こちらから止めない限りマシンガントークが収まりそうもなかったので、息継ぎの合間を見計らって呼びかける。
「……黙っててくれるのか」
「え? なにを?」
「なにをって……」
女装だよ。俺が女だって嘘ついて、ここで働こうとしてることだよ。
呆然としながら問うと、兵頭はきょとんと音が聞こえるほどのとぼけた顔で首を傾げた。
「え? 誰にバラすの俺」
「……そりゃ、偉い人とか」
「だって偉い人に女装しろって言われてるんだろ?」
一応、そうだ。この格好は学長であるばあちゃんからの指示である。講師にしてあげると呼ばれてほいほい上京したら女装させられた。ほとんどだまし討ちだった。
「じゃあバラさないっしょ、俺だって雇われモンだもん」
あはは、と兵頭は楽しげな笑顔を浮かべた。
俄には信じられなくて思わず胡乱な視線を向けてしまったが、笑うとたれ目が更に細くなるその顔にふと高校時代の記憶が蘇った。
そういえば、初めて出会った時もこいつはこんな風に笑っていた。
高校に入学したばかりの休み時間、一人で本を読んでいた俺のところに兵頭がやってきて「ねえ光瀬君、趣味なに?」といきなり聞いてきた。間髪入れず「平安文学」と答えると、こいつは「すげぇ、なんかかっけー!」と笑ったのだ。別に親友になったとか遊びに行くようになったとかではない。ただなんとなく付かず離れずの位置にいて、たまに兵頭がふらりと俺のとこにくる、そんな仲だった。
「兵頭」
「ほいよ」
「……俺のこと、誰にも言わないでくれ。頼む」
深々と頭を下げる。事務椅子に腰かけながら、自らの膝に額を付けるように。
だって、まだなにも始まっていない。講師生活も、研究の続きも、ばあちゃんへの恩返しも。
確かにだまし討ちの女装ではあったが最終的にその条件を飲んだのは俺だ。女装して女としてキャリアを積んで、これからも平安文学のことだけを考えて生きて行きたい。傍から見れば阿呆極まりない決断だと思うが、それでも生半可な気持ちでここまで辿り着いた訳ではないのだ。
ふ、と頭上で息が漏れる。
「任せとけっつーの」
こつん、と後頭部を裏拳で叩かれる。
顔を上げた先にある懐かしい笑顔に、強張っていた肩の力が抜けていくのが分かった。
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