第4話 予想外の提案

「女として働くのが条件?」


 種明かしをされた俺は、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げてしまった。

 そうなの、とため息まじりにばあちゃんは話し始める。

「実はね、うちの理事会……つまりお偉方なんだけど、「女子大教育に男は必要ない!」っていう考えの持ち主なの。女尊男卑までは言いすぎだけど、いかんせん女子大育ちの人たちが多いからジェンダー的意識が染み付いちゃっているのね。女性のエンパワーメントを目的とした女子大教育はもちろん素晴らしいものだし、その点に関しては私も賛成なんだけど、教育者まで男性を排除するっていうのはやりすぎだと思うのよ。そういう考えの人たちが上にいるから、うちの大学は男性教授が極端に少ないの。理学部に二人と文学部に一人だけ」

「……」

「そんな時に、国文学会で真琴ちゃんの論文が話題になって。職を探しているって琴音からも聞いていたし、これはチャンスだわと思って講師として採用してくれないかお伺いを立ててみたの。そうしたら実際論文を読んでいた理事長も推してくれて。私の孫っていうこともあったし、スムーズに採用まで話が進んだのよ。……そうしたら」

「……そうしたら?」

「全員、真琴が女性だと思っていたらしくて」

 そう、俺の名前は昔からよく女性と間違われる。音の響きはともかく『真琴』の字が女性らしさを感じさせるからだろう。なにを隠そうこの『琴』の字はばあちゃん、母さん、俺と三代続いている。確かに男で『真琴』は珍しい方かもしれない。

「話がまとまった時には、真琴ちゃんは女性ってことになっていてね。今更『孫息子』なんです、とも言えないし、相変わらず理事会は男性講師の採用には否定的だったし……」

「……それなら、一体どうして俺に声なんか掛けたの」

「だって真琴ちゃん、昔から夢は大学教授って言っていたでしょう?」

「言ってたけど……」

「それなら、ある程度反則でもうちでキャリアを積めば他大にも行きやすいし、真琴ちゃんのためになるんじゃないかと思ったの」

 反則。それは性別を偽って働くこと。

 ……しかしなんともまぁ、随分と思い切った反則だ。

「だって真琴ちゃん男の子にしては小さいし線も細いし、声も高いし、肌も白いし、なにより可愛いもの。おばあちゃん、昔から自慢だったのよ?」

 ばあちゃんがあさってなところで胸を張る。

 確かに俺は、運動も苦手だしたくさん食べることも苦手なもやしっ子だ。百六十五センチの身長に五十キロの体重で、体毛も薄い方。声もどちらかといえば高い方。喉仏もあんまり出てないし、容姿も童顔だから中性的な感じで……とか、プラス要素を見つけてる場合じゃない。いくら中性的でも俺は男だ。思春期やそこらの少年じゃない。二十七歳のれっきとした男性なのだ。

「……絶対、無理だと思う」

「どうして?」

「どうしてって……だって、俺男だよ? 男が女装なんかしたってオカマにしかならないよ」

「大丈夫よ」

「大丈夫じゃないって、気持ち悪いもん、絶対バレるよ」

「バレなかったじゃない」

「え」

「たった今。理事長に。バレなかったじゃない」

 そう言われてみればそうだけど。……いやいや、あっさりと納得してどうする。

「運転手の高橋さんにもバレなかったじゃない」

「……」

 いやまあ確かにそうなんだけど。高橋さんに至っては「お嬢様」とか言ってたけど。

 二の句が継げなくなった俺に、ばあちゃんが引き出しから大きなアンティークの手鏡を出し、俺に突きつける。

「ほら、見て」

「……」

 やや躊躇ってから、鏡を覗き込んだ。

 そこで初めて、俺は『孫娘』になっている自分をまじまじと確認した。


 ――ばあちゃんに似ていると理事長は言っていたが、納得してしまう。

 ばあちゃんにも似ているが、一番似ていたのは母親だった。元々母親似の顔立ちではあったが、化粧の力で目の大きさが倍になっているせいか男っぽさがまったくない。首周りのごつさはふわりとしたウィッグで隠れており、あとは俺のもやしぶりが功を奏して肩幅や胸板は何の変哲もない女性のそれだ。両手を頬にあて、鏡の中の俺を何度も確認してしまう。


「見とれちゃった?」

 くすくす、とばあちゃんが笑う。我に返って手鏡を突っ返した。

「いきなり理事長のところに連れて行ったのは、テストのつもりだったの。あなたに余計な情報を与えない状態で、女だって騙しきれるかどうか。……結果はこの通り。あなたは立派に『孫娘』だったわ」

 言葉が出てこない。黙ってしまった俺の手を、皺っぽいばあちゃんの手がそっと握った。

「ねぇ真琴、ここで頑張ってみない? 今じゃ就職口もなかなか見つからないわ。あなたは真面目な子だから、私のコネクションを使うのは嫌だって思ってたのかもしれないけど、単に孫贔屓をしてるんじゃないのよ。それくらい、あなたは研究者として優れているって、そう思ったの」

「……」

「あんな素晴らしい論文、涙が出ちゃった。よく頑張ったわね、あなたは私の自慢の教え子よ」

「ばあちゃん……」

 なんて、卑怯な台詞。

 ずっと尊敬してた、俺の目標だったばあちゃん。その人にそんな風に評価されて嬉しくない研究者は居ないし、孫だって居ない。

「お願い真琴。おばあちゃんのお願い、聞いて」 

 女装をさせたのは俺のため。ただ身内だからという理由ではなく、一人の研究者として俺を認めてくれてのことだった。確かに入り口はちょっと妙かもしれないけど、文学部の名門で教鞭を取ることは俺の夢への最高のスタートだと言える。

 ばあちゃんの瞳の中には俺が写っている。『孫娘』になっている俺の姿だ。

 清楚で上品な顔立ちだなんて生まれてこの方言われたこともなかった。自分では分からないけれど、……もしかすると俺の女装は結構イケているということなんじゃないだろうか? 


 そう思ったら、急に、すとんと肩の力が抜けた。

 だって、理事長にも高橋さんにもバレなかった。なら、教壇を挟んで相対する学生になんてバレないだろう。いや、バレる訳がない。そうに決まってる……。

 そんな風に自分に言い聞かせながら、俺はゆっくりと息を吐く。

 一番欲しい評価はもう貰えた。

 じゃあ、その他のことなんてもう些細なことじゃないか。

「……分かった」

「真琴」

「ばあちゃんに……伊藤琴絵教授に、そこまで口説かれたら断れないよ」

 がりがりと頭を掻けばいつもよりも長い毛先が指に巻き付く。臑を撫でるレースにも、華奢なヒールにもまだまだ到底慣れそうにはないけど、ここまでお膳立てされて、俺一人が突っぱねていても仕方ない。

 ばあちゃんにはこれまで散々世話になったのだ。

 恩返しをするのは、今なのかもしれない。

「……そのかわりちゃんとフォローしてよね、『おばあちゃん』」

 可愛らしくシナを作って見せた俺に、「勿論よ」とばあちゃんは力強く頷いた。



 善は急げとばかりにばあちゃんは関係各所に連絡を取り、かくして俺の新生活と女装の準備は急ピッチで整い始める。

 そしてそれは、想像を遥かに越えるとんでもない日々の始まりだった。

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