第5話 彼のたそがれ(3)
うちの母親は、予言がどうのって騒ぎの前に、事故で突然死んでしまった。
仕事にばかりかまけてあまり構ってくれなかった親父の分まで、俺を大事に育ててくれた人だった。いつまでも実家に居座る息子とどんどん偏屈が増していく夫の間で、少しずつ擦り減りながらも、笑顔を絶やさない人だった。
あんたもいつか結婚して子どもを持つかもしれないし、慎重に使いなさいな。そう言って、二人を海外にでも連れて行こうと俺が貯めていた金に出番は訪れなかった。
埋め合わせをするように男二人で隣県の温泉に行った。干からびた二人の日帰り旅行だった。
「そう言えば、ゆりあちゃんがちっちゃいとき、うちで預かっていたような記憶あるんだけど」
珍しく居間で引き出しを引っ掻きまわしている親父に、ふと訊いてみる。
「俺は知らん」
それもそうだった。
「……いや、確かに母さんがそんなことを話していた気がするな。なんとかちゃんの娘さんを預かっていて、英隆よりよっぽど可愛かったとか」
「そりゃあ、女の子のほうが可愛いんじゃねえの」そもそもその頃既に俺は30代なので比べないで欲しい。
「出かけてくる」
親父はそう告げると、俺のことなんて気にも留めず、真っ直ぐ家から出ていった。
「いってらっしゃい……」
俺はまた一人部屋に残され、何度も読んでぐしゃぐしゃになったあの日の新聞に視線を落とす。
どれくらいをひと目盛りで数えたらいいかわからないが、しばらくゆりあちゃんは姿を見せていなかった。
ある日のうたたねで、懐かしい顔を見た。細部まではわからないけれど、懐かしい、不思議と落ち着く印象の顔だ。
「
あの夜と同じ話題。彼女も俺も酔っていて、そんなロマンティックを通り越して吐き捨てたいような話をしていた。
会社の上司に連れられ初めて行った合コンで、ずっと蚊帳の外で、同じように「ハズレ」だった女の子とだけ話していた。薄暗い居酒屋の店内では同い年くらいかと思っていたけれど、
ふわ、とゆるやかに目覚めた。彼女といた時の余韻のようだった。
ソファに横になったまま、リビングのドアを眺めていたら、一度だけここへ招いたことを思い出した。たまたま両親が留守だったんだと思うが、家の前で久しぶりに真愛美と鉢合わせて、胡散臭そうな視線を向けられたことを覚えている。「え、ひでくん誰、それ」みたいな失礼な物言いにも、彼女はへらへら笑っていた。そういう子だった。別れたときも、そもそも俺たちはなんで付き合っていたのかわからなかったから、当然だったように感じた。あの子はどうしているだろう。名前を思い出しそうになって、慌てて三人称に置き換えた。
彼女、だったんだよな、あの子。それもひでおじちゃんの人生における、最初で最後の。
重くもなく軽くもない彼女の存在感は居心地がよかったけれど、俺たちの人生を決定づけるようなものではなかったんだろう……なんて煮え切らない表現しかできないあたり、彼女にとっての俺もそんなもんだったのだろうと思う。
ただ時折、あの柔らかさが恋しくなる瞬間があった。ヘンな意味じゃなく。
そして時折、胸が締め付けられるような苦しさに襲われることがあって、いまだに片づけられない自分が嫌になった。
かりそめの街 陽鳥 @hidori
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