第3話 演歌
演歌は日本人の心だ──と、誰かが言ってた。
父ちゃんだったかじいちゃんだったか、もしかしたら氷川きよしが好きな二軒隣りのおばちゃんだったかもしれないけど、とにかく言ってた。
まあ好きなものを持ち上げたくなるのは当たり前なのでそれを否定する気はサラサラないけれど、よもや自分の恋人の口からまったく同じ台詞が飛び出すとは、若干18歳、高校3年生の多感な男子としては、想像すらしていないビッグサプライズだった。
「え……っと?」
「聞いてなかったの?」
戸惑う僕に、彼女は批判めいた口調で言う。
「あ、いや。聞いて……は、いたけどね」
「じゃあ、どう思う? 賛成? 反対?」
「え……ええ?」
彼女と付き合いだしてまだ2週間ではあるが、今は紛れもなくその中で最大のピンチだった。今後の二人の運命を左右する分かれ道かもしれない。いや、きっとそうだ。ギャルゲーだったら間違いなくフラグが立ってる。
僕の彼女はクラスでも一番可憐で儚げな、まさに男の“守ってあげたい欲”をかき立てる為に生まれたかのような美少女だ。もちろん僕はベタ惚れなので贔屓目が入っていることは否めないが、客観的に見ても可愛い部類に入ることは間違いないと思う。いや、かなり可愛いはず。と言うか、ハッキリ言って美少女である。やっぱそこは譲れない。
そんな可憐で儚げで、緩やかな風にも手折れそうな白いカスミソウのごとき美少女の口から紡ぎ出される言葉といえば、天使の歌声を思わせるような爽やかで甘く切ない愛の言葉であるはずなのに、実際出て来たのは、いつもカーラーを巻いたまま便所サンダルで家の前を掃き掃除している二軒隣りのおばちゃんとまったく同じ台詞だと言うのだから、そりゃあ思春期の男子高校生にはショックがでかい。
2週間でこんな強烈な岐路に立たされるとは思わなかった。正直、泣きたい。
「どっちなの?」
「いや……その……」
とは言え、僕が彼女を心の底から愛していることは事実だ。愛を貫くためには、己の主義主張も曲げねばならないことがある──と誰かが言っていた。
……ような気がする。
「ま、まあ、賛成かな……」
「ほんと!?」
予想以上に嬉しそうな彼女の顔。そんなご褒美をもらってしまった以上、後には引けない男の弱さ。
「も、もちろん。やっぱり日本人は演歌だよね!」
「嬉しい! あまり分かってくれる人がいなかったのよね」
それはそうだろうね。
「なんでみんなあの良さが分からないのかなぁ。細川きよしの『望郷じょんから』とか五木ひろしの『長良川艶歌』とか、たまらなく哀愁よね。女性ならやっぱり坂本冬美かなぁ。石川さゆりって言うとやっぱりちょっと素人っぽいわよね。えへ」
素人ってナンデスカ。聴く方にプロとかあるんデスカ。
彼女は教室での可憐さもどこへやら、生き生きと目を輝かせて畳み掛けるように僕には理解不能な連続呪文攻撃。すみません、風にも手折れそうな僕の白い花はどこへ行きましたか?
「ところで、ユウ君は誰が好き?」
来ました。
もちろんこの展開に傾いた時から予想はしていたものの、あまりのパニックぶりに考える余裕もなく。
「え? えっと……」
とりあえず考える。そういえばこの間じいちゃんが何か言ってた。
「えっと……そうだな。ほら、あの人……えっと……確か、オオカワ……」
「栄作!!?」
あ、それだ。
「ああ、なんてステキ! こんな身近に大川栄作を好きな人がいたなんて。神様、ユウ君に会わせてくれてありがとう。私もう死んでもいいです!」
死なれちゃ困ります。いや、そうじゃなくて、何、そのテンションの上がりっぷりは。
「私、大川栄作が一番好きなの。ホントにもう大大大大好きなの! あの人の歌声を聞きながら死ねたら最高に幸せだと思って、ママにも『もし私が死んだらお葬式には栄作の歌をかけてね』って伝えてあるぐらい好きなの」
伝えるなよ。
「この感動を誰に伝えたらいいのかしら。ママもパパもきっと喜ぶわ。運命ってこういうことを言うのね。ユウ君、ありがとう!」
なぜ感謝されたのかもさっぱり分かりません。とりあえず好きな娘から感謝されるのは悪い気分ではないのだけど、このたった数分で僕の中の愛が急速に変化して行ってるような気がするのはなんだろう、若さゆえのってヤツ?
僕の頭の中では明らかな危険信号が点っているのだけれど、目の前の美少女が美少女であることには(外見的には)変わりなく、その喜ぶ姿も笑顔も僕の好みにドンピシャだったりするのも間違いないわけで、これはもうフラグがどうとか言うよりなんて言うか完全に罠ではなかろうかと冷静に判断しつつも回避できないのが、ああそうか、これが父ちゃんの言ってた“男のサガ”ってやつなのかと思う今日この頃です。
「ユウ君……私、ユウ君ならいいよ?」
えっと、何がですか?
「もう、こんなに素晴らしい人は他にいないと思うの」
大川栄作が好きだと言っただけで? て言うか、それって大川栄作ファンをちょっと馬鹿にしてませんか? いるだろ、他にももっと。
「ユウ君……」
「は、はい……?」
「好きに……して」
なんだそれ。それはないだろ、いくらなんでも。
と思いつつも、僕の目の前で無防備な…って言うか、むしろ誘ってる感バリバリの雰囲気で瞳を閉じる美少女がいれば、それはもうどうしようもないのが男ってもので。
車と電車と男の欲望は急には止まらないのです。
そんなワケで、誘われるがままに彼女の唇に引き寄せられる僕。キスをしながら恐る恐る胸に手を伸ばしても抵抗はない。今まで感じたこともない、表現しようのない柔らかさが手の中に広がった瞬間、僕は完全に理性という尊い感情とサヨナラを告げたのでした。
18歳と1ヶ月と4日──この素晴らしき日にありがとう。
グッバイ僕のさくらんぼな日々よ。これでもう大塚愛を聴いてひっそりと心痛めることもなくなるんだね。父さん、母さん、僕はついに右手以外のパートナーを見つけました。たまに新鮮さを求めて左手に浮気したこともあったけれど、それも今は昔。笑って語れる思い出話さ。しばらくお休みをあげるよマイハンド。アディオス、また会う日まで──
その夜、数回の微妙な失敗を経て、僕と彼女はひとつになった。
幸せだと思った。
翌朝、二人はほぼ同時に目覚め、目が合うと照れ隠しにキスをして、よけいに照れた。
彼女は純白のシーツを纏って立ち上がり、カーテンを開けた。そのシルエットはあまりに美しく、僕は映画のワンシーンを見ているかのような錯覚を感じた。
僕はなんて幸せなんだろう。ここは天国か? 幸せ過ぎて泣きそうだ。
窓際で振り向いた彼女は、天使のような笑顔で僕を包んだ。
小鳥の囀り声が聴こえて来そうな爽やかな朝だ。
半裸のまま、彼女は部屋を滑るように移動し、可愛らしいオシャレなスピーカーに接続したiPhoneを操作した。
八代亜紀が流れて来た。
僕は泣いた。
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