第六話 天使の秘め事


  不思議なことに一日経つと昨日の出来事が嘘のように頭から消えてる...... 筈もなくはっきりと覚えてる。帰る直前に芽森さんが言った言葉。


 『明日の昼休みに理科室にきて』


学校一の美少女、といっても俺がそう思ってるだけで他のクラスや先輩の女生徒の中には芽森さんより綺麗な人がいるかもしれない。がどちらにせよ芽森さんが可愛いことに変わりはない。

そんな女の子に耳元であんなことを言われたら忘れようにも忘れられないし、忘れたくない。

俺って単純だな...... いや、もしくはこれが男の性ってやつなのか。

でもあれはどういう意味だろう、告白の可能性は、ない。

彼女とは何の接点もあるわけじゃなし、話したのも昨日が初めてだ。

けどあれは話したとは言い難いよなぁ。



「――――そろそろ時間ね、はい今日はここまでにしておきましょうか」


 考え事をしていると時間が経つのが早い、

目線を上げて時計を見ると先生の言う通り、もうチャイムがなる頃合いになっていた。

とりあえず今日はただの朗読で良かった。グループで話し合うのは苦だ。


ほどなくしてチャイムが鳴りると先生は教室を出て行った。

次の授業まで三十分の休み時間に入る。

俺はいつものように机にうつ伏せ、腕の隙間から芽森さんを見やる。

知ってか知らずか、芽森さんは昨日の出来事が嘘だったように友達と喋っていた。


昨日のあれは聞き間違いだったのか......

そう思っていた所で芽森さんは一瞬俺の方を一瞥いちべつした。


聞き間違い...... じゃ、なかった、やっぱり。

俺の思い込みであって欲しかったような、ないような、けど誰であっても芽森さんにあんなことを言われちゃ嬉しいに決まってるよなぁ。

既に俺の頭には理科室に行くという選択ししかなく何か酔いしれぬ期待が膨らみ始め次第に口元が緩んでいく。しかしながら教室で一人ニヤついてるなんて気持ち悪い奴と思われかねない。

俺は口元の緩みを気づかれないように深めに顔を埋める。



「芽森さん、ちょっと来て欲しいって」


「え、うん。」


「おぅおぅ、今日もですなぁ芽森んどの」


「もぅ...... ごめんちょっと、行ってくるね」


「アイアイサー」


 時間にして五分ぐらいの短い間、顔を机に埋めていた俺の耳にある会話が聞こえてきた。

俺の席からは芽森さんの席まで発してる声が聞き取りづらいが、一人やたらと声が大きい、悪く言えばうるさいのがいるせいで目立って耳の中に入ってくる。

今の芽森さんをちゃかしてる話し方で会話の内容が分かった。


確実に呼び出しだ。

入学してからというもの芽森さんに告白をしようとしてる男子は多く、自信がある人は直接教室までくる場合も少なくはない。

呼ばれる側の芽森さんもすごいけど、呼び出してる人達も凄いと思う。例えフラれると知りながらも告白をするんだ、わずかでも可能性があると信じて。

俺にはそんな勇気なんてかけらもない、まだスズメの涙の方が幾倍もマシだと思えるくらい。


――しばらくすると教室のドアが開く音が聞こえた。

 芽森さんが戻ってきたようだ、多分。

結果はどうだったかなんて俺の知ることじゃないけど。


「あ~もったいなぁい! あの先輩、女子の間では人気が高いっていうのに」


 緑ピアス子の少しボリュームが大きい反応で、呼び出した人は撃沈したのは明白だった。

女子に人気が高い人でもダメなのか。その先輩のショックは大きいだろうなぁ、まぁ、好きな異性のタイプは人それぞれ違うから。

だけど一つ確実に言えることは、名前すら覚えてもらえていなかった俺の可能性は限りなく0に等しいだろう。そう、所詮彼女は憧れに過ぎない。

ライブ会場で推しメンのアイドルを客席から遠目見る一人の客と同じ存在でしかないのだから......



――――


 ごちそうさまでした。


 四時間目が終わりお昼休憩。

俺は早々に食べ終わり席を立ち、足を理科室へと向かわせる為に教室を出た。

少し気になったけど芽森さんの方はあえて見なかった。


理科の授業があるときぐらいか、普段は上ることはめったにない三階にある理科室へと続く階段を上る。

途中でニ、三年生と思われる先輩の人達とすれ違うも怖すぎて思わず顔を伏せてしまう。

上級生の怖さは身に染みてる。ある出来事がきっかけで先輩と属される人とはまともに顔を合わすことができなくなった。

俺にとっては上下関係のルールを初めて知った日でもある。

先輩と顔を合わすことが出来ないのはなぜか学生限定で、社会人などは平気でいられる。人によるけど。

これは同じ制服を着ることによって起きる共通効果の影響なのか知らないけど、中学で先輩が怖いのはおそらくあの学ランが理由だろう。私服だった小学生から中学に上がると雰囲気がガラッと変わる。

中学に入って登校し辛くなることが多いのはこれも一つの原因かもしれない。

そんなことを考え平然を保たせながらも足を進ませる。


このまま階段を上っていくと最上階には学校の鉄板、屋上があるけど今は用がないので三年の教室がある階段で足を止める。三年生の教室がある廊下。

全体的に褐色かっしょくの床、広告などの必要以上の物を貼っていない白い壁、形や幅の広さだって下の階にある一年の廊下と何ら変わらないはずなのに、

なぜこんなにも委縮してしまうのか不思議だ。ここも中学と同じように学年が上がれば違和感がなくなるのかな。


ま、どうでもいいか今は。

あとは直線の廊下をまっすぐ歩いていけば理科室はもうすぐだ。いや結構遠いか。

そうなってくると気になるのはやっぱり呼び出された理由だ。

芽森さんは何であんなことを、もしかして何らかの罠? 

ドアを開けた瞬間に別の女生徒が何人かいて......


「うわっ、本当に来てっつし」


「いっ、マジで来てやんの、な、何勘違いしてんだよ、ば、ばば。ばかじゃねーの」


「あんたみたいな地味で、チビで暗くてつまらない奴誰が相手するかよ、キメェ」


「あっはは! それ言い過ぎじゃね、ってかマジ受けるんですけど、マジにくるとか」



 ――みたいなはずしめを受けるとか...... 

特殊な人にとってはご褒美と呼ぶみたいだけど。

というか俺の女の子、もといギャルのイメージって、何気に一人ツンデレがいるし。

でも、それはない。芽森さんがそんなことをするはずがない。

なら普通に考えて遊びでちょっとした賭け事をしていて負けてしまい、罰ゲームで仕方なく俺に白羽しらはの矢が当たって...... そう考えると合点がいく。


そうだよな......俺みたいな奴に興味なんて示すわけないよな。名前すら覚えてもらえていなかったし、名前すら。

昨日の芽森さんの顔が鮮明に目に浮かぶ。きょとんと頭を傾けながら、なんだっけ? だもんな。

でも考えてみれば罰ゲームだとしても芽森さんに告白されるんなら逆にラッキーじゃないか。

そう罰ゲームでも......


ため息を吐き出しそう考えてる内に三階にある理科室の扉の前にたどり着いた。

思想に集中していたおかげか先輩には目もくれもしないで済んだ。

そして若干の不安要素が脳裏に浮かびながらも扉を開いた。



――――


 ......中で待つこと数分、されども芽森さんがくる気配はない。


暇だったので室内を見渡してみたが、授業で使うビーカーやら器具が置いてあるだけで大して暇潰しにはならなかった。理科室に水道の数が多いのは実験で手が汚れたり殺菌などに掛からないようにする為だろう。まぁどうでもいいけど。

幸い部屋に入る前に危惧していたようなことはなく完全に杞憂だった。それもそうだ、俺には初めから分かっていた。

今の時刻はと思い室内の時計を見ると十ニ時十分。

早くき過ぎたのか、俺は誰とも話さないから箸が進み食べ終わることが早い。

対し普段の芽森さんは食べるペースがゆっくりだ。

遅いのはその為か、それかもしかして俺は騙されたの――――



「お待たせ」


 突如スライド式の扉を開く音とみ渡るような綺麗な声が聞こえ俺の思想を遮った。

顔を上げてみると、その声からも連想されるであろうまごうことなき美少女、芽森さんが入ってきた。

やっぱり芽森さんは天使だ。きっと空の上から愛の種を降らせていたあの天使エンジェルに違いない。


「ごめんなさい、少し話し込んじゃってて、それに先輩が」


 近づいてくる芽森さんを見ると、何かを言おうとしている意思が表情から伝わってくる。これはもう罰ゲーム確定だ。


「あ、いあ別にっ。そ、そんなに待ってないから!」


 俺は腰かけていた椅子から立ち、慌てて返事をする。

たかが十分如き待った内に入らない。数学の授業を十分間受けるより幾倍もマシだ。それに芽森さんの為ならいくらだって待つに決まってる。

すると芽森さんは少し微笑したように思え、俺は小っ恥ずかしくなりうつむく。


信じられない...... 今俺の前には芽森さんがいる。

あの芽森さんが。

意識を強めると俺の心臓は異様に加速し熱を帯び高鳴りだす。

身体中の細胞がザワついてるのが分かる...... 何言ってんだ俺。

それとなぜか胸の辺りがキリキリと痛むのは気のせいか。


「えっと、昨日はごめんなさい。あれから帰ってから名簿めいぼで名前確認したから」


 昨日俺の名前が出てこなかったことを気にしていたのか、律儀りちぎにも名前を確認してくれたようだ。声からも反省の色が伺える。

芽森さんはやっぱりて、いや聖なる天使ミカエルと言ってもいい......

こんな良い子は他にいるだろうか、いないな。

ミジンコ以下の存在なんて誰も気にしない、普通は、なのに彼女はわざわざ......

俺は小さな幸せを噛みしめ、心の中でゲッツポーズした。


だけどこの時間も僅か数十秒で終わってしまう。

彼女が次の言葉を発した時、もう彼女と関わることはないだろう。

このまま時が止まってしまえばいいと。

そう思ってしまう俺ははたから見たらさぞや惨めに映ってるんだろう。

なんて思いながら芽森さんの言葉を待つ、例えそれが偽りの告白だとして――



「黒沼君ってクラスで孤立してるよね、いわゆるボッチって奴?」


 へ ......なんて?


一瞬、放たれた言葉が信じられなかった。小幸せを感じたのもつかの間、俺の思考は一時停止する。



――――孤立してるよね、ボッチって奴――――


 い、いやいやいや...... 芽森さんがそんなことをストレートに言うはずがない。きっと俺は聞き間違えたんだろ、それか幻ちょ――


「それに、たぶんだけど女の子と付き合ったこともないよね」


 なっ、え? ...... め、もりさん......


さらに重ねて告げられる言葉に幻聴だと思ってた俺の胸に深く突き刺さる。


「あ、あのっ、芽森さん...... い、いまなんて?」


 俺は彼女の言葉が信じれなく、震える口で恐る恐る聞いてみる。


「黒沼君って孤立してるよね、クラスで誰かと話してるの見たことないし」



 ...... 何かが欠ける音がした。


彼女はハッキリと言った、聞き間違いじゃない。

それでも俺はまだ信じられず顔を上げて前を見ると、真顔だった。

先ほど一瞬見た柔らかな微笑はどこへ行ったのか、今はどこかましてる顔でこちらを凝視している。

俺は開いてしまった口をそのままに、目を見開いたまま芽森さんを直視してしまう。

目を反らすどころか彼女から視線を外せない。


「え、そ...... それって」


 動揺しながらも言葉をつむぎ出す。

なぜ芽森さんがこんなことを言うのか理解できない。

ニセ告白じゃないのか、まさか猫を被ってた......

俺が今まで見ていた芽森さんは表面繕づくろっていたのか、だとしたら。


「気に障った、よね? ごめんなさい、悪く思わないでね。でもそんな君に黒沼君だからこそ頼みたいことがあるんだ」


 芽森さんは目を一回閉じ、それからまた俺を見やる。

さっきから気にしてなかったけどが抜けてるんだけど、口にするほどのことじゃないか。

一応謝ってくれはしてくれたものの、非道ひどうの言葉を浴びせられた俺の心のダメージは大きく、返事を返すことが出来ずそのまま何が何だか分からず立ち尽くす。


「...... えっと本当にごめんなさい。悪く言うつもりはなかったの」


 少し眉が下がり視線を反らす芽森さん。

どの口で言うのか、だけどなぜか許してしまう。可愛いは正義とは良く言ったものだ。声のトーンが低いことからも悪く言うつもりはなかったのは本当みたいだ。


ものの数分硬直していたが状況が理解でき始め、落ち着きを取り戻してきた俺は身体を動かせるようになった。


「あ、謝られても」


 困るんだけど。いや、それよりさっきのって......


 悪口を言われたのは辛いけど今はさっきの言っていたことの方が気になる。

俺は芽森さんに言われた言葉の意味を問う。


「た、頼み事って、おれ、じゃない...... 僕に?」


 俺の言葉に頷く芽森さん。

 

 頼み事...... 俺なんかに何の?。


「じ、実は、これまだ誰にも、友達にも言って、ない......ことなんだけどね」


「と、友達にも!?」


 少し駆け足気味で答える彼女の返答に俺は深く驚く。

友達にも言ってない、ってことは余程の事情があるのか、友達にも言えないことって何だ、そもそも何で友達にも言えないことを俺なんかに......


「誰にも言わないでね...... 実は」


 視線を横にそらしモジモジと一指し指をこすり合わせる芽森さん。

か、可愛い、まさか彼女のこんな姿が見られるなんて。

だけど、そ、そんなに恥ずかしいことなのか、一体......


「じ、実は、小説を...... 書いてるの」


「しょうせつ?」


 若干声が小さめだったけど確かに小説と聞こえた。

小説って、芽森さんが? いや、それは別にいいとしてそれと何の関係があるんだ。

小説に出来るほど俺の人生は薄く平坦で何も語るところなんてない。わずか三ページほどで埋まるんじゃなかろうか。ただ一点を除けば。


「別に、本格的とかじゃなくてね、日記みたいな感じで...... と言っても書き始めたのはここ最近なんだけどね」


 芽森さんは照れているのか、少し言葉を詰まらせてる。


「そうなんだ、で、でも小説と何の関係があるの、僕の人生なんかけ、毛ほども参考にならないよ」


 なんか自分で言っていて悲しくなるけど、カルピスを至極しごくに薄めたような俺の人生なんかよりも別の人に聞く方が参考になるに違いない。せっかくの頼み事だったけど俺には無理そうだ。


「え、人生? 何言ってるの」


 きょとん、と首を傾け疑問符ぎもんふを浮かばせてる芽森さん。


「え、違う、てっきり人生でも参考にするのかと」


「あーなるほど、でも私は人の人生より自分の経験の方が大事だと思うんだよね。だから他の人の経験は参考にはしないかな」


 俺は思い違いをしてしまったらしい、人生は関係なかった、じゃあ何だっていうのか。


「それでね、今書こうとしてるのは恋愛小説なんだけど、私書けないんだよね、恋愛って」


 おもむろに制服のポケットからスマホを取り出すと、少し残念そうな表情を見せながらもスマホの画面に目を通すと飄々と言い放つ。


書けないならなぜ書くのか、という突っ込みは置いとくとして。

恋愛小説、つまりは男女の恋。でもそれがどうしたというんだ。芽森さんは何が言いたいのか、まさか頼み事って小説のこと? そんなの俺も分からないよ。


「えっと、わ、悪いんだけど小説書いたことないから僕に聞かれたって分からない、かなぁ......」


 それに恋愛なんかしたこともないし。

 俺は遠慮気味に告げチラッと芽森さんを見やると何やら難しそうな表情をして いた。


「小説のことじゃないの、あの...... こ、こんなことを言うのあれなんだけど」


 渋っているのか、躊躇ためらっているのか、声が僅かに強張ってる。


小説のことじゃない? 人の経験談でもなかった。

ならまさかとは思うけど、いやない。

今思い浮かんでいる可能性がもしあるとしたら、あるとしたなら、小説を書く、その為だけに彼氏役を演じて欲しいとか......

はっ、さすがにそんな訳な――――


「か、彼氏役を演じて欲しいなって思ってるんだけど」


 ...... 


 へ? 

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