第五話 放課後の風景
「起立、 礼!」
生徒の一人が挨拶を告げホームルームが終わる。下校時刻になるとすぐ帰る人もいれば部活に行く人や放課後の教室に残って友達と喋る人。それぞれが違う目的の為に行動し始める中、俺は席を立たずに教室に居残ることにした。ただ他の居残る人と理由が違う、俺は会話する為にいるんじゃない。そもそもに会話する相手がいない。
鞄から二時間目に貰った宿題のプリントを取り出す。目を配ってみるけど解けそうにない...... こういう時は、
だ、誰でもいいからこの問題解ける人がいたら教えて欲しいなぁ!
そっと周りを見るが返事が返ってくるはずもない。
言葉を口に出していないのだから当然か。だけど俺にとっては例え心の中であっても叫ばずにはいられない。宿題や課題は普通、誰だって家で済ますものだ。だけど俺はあえて教室に残った。家に帰ったところで問題は解けない。友達がいる人は教えてもらえるだろうけど俺にはそういった人はいない。父親や母親に聞いた所で高校の問題なんて覚えていないだろうし。
だからといってやっぱり自分の性格上、誰かに聞けるわけないし......
一度プリントから目を離し時計を見やると、既に下校時刻から三十分が経過していた。
何も進まないままプリントと格闘していたのか、問題が一つも解けていないから当たり前か。 仕方ないやっぱり先生に聞きに行くか、恥ずかしいけど......
今教室に居残ってるのは俺だけじゃない、当然周りで話してる声が耳に流れ込んでくる。少し孤独感を感じながらも俺はプリントを手に取り席を立つ。
教室を出る間際に横を見ると芽森さんはまだ残っており友達と話していた。
――――
「失礼します」
返事を交わし二階にある職員室のドアを開ける。中に入ると何人かの教師が残っていたが、お目当ての数学の先生はあいにくと席を外しているらしく仕方なく他の先生に頼むとすんなりと了承してくれた。
やっぱり自分から教わりにくる生徒がいることは嬉しいことなのだろうか。
「あの、今日配られたプリントなんですけど」
「ん、何だ?」
「お、宿題か、勉強熱心だな」
勉強を教わりにきたと知るやいなや質問しようとしている先生とは別の、向かいに座っていた先生が陽気そうに話しかけてきた。名前は知らないけど見た目が渋いから渋沢先生でいいかな。
単に俺の場合は授業に置いて行かれそうだから消去法で教わりにきただけなのに勘違いされても困ってしまう。
「分からないことがあれば遠慮なく質問しろよ、勉強を頑張るのは良いことだぞ」
「そうよ、自分から教わりに来るっていうのは大事なことなのよ」
「いやぁ、生徒に頼られるっていうのは嬉しいですなぁ」
俺が来たことで渋沢先生を始め、職員室内にいる先生達の漫談が次々に飛び交い出し始める。
ああ、これだから先生に聞くのは嫌なんだよ、質問しにくるだけでこの褒めよう。正直かなり恥ずかしい...... 生徒が自分一人で良かった。
「ただな、この頑張りを登校することにも使ったらどうだ、勉強を頑張るのは良いことだが、しっかり出席することの方が大事だぞ」
「そうね、黒沼君だったかしら。あなたもう少し遅刻を減らす努力しなさいな」
「今度からは遅刻しないことを頑張るんだよ」
ぐっ、目に見えない矢が胸に突き刺さってくる。
痛いところを、それは自分でも困ってるんだけどなかなか厄介やっかいなものでして。
それとどうでもいいけど最後の乃を言い忘れてるんですが。
「...... そうですね。 なるべく
ついさっきまで感心感心と褒めのかしていた先生達は今度は説教を入れてくる。おかげで恥ずかしさが倍増してしまう。上げて落とす、まさにアメとムチだ。なぜか最後の先生の言葉だけはジェムおじさんで脳内再生された。声が全然違うけど。
とにもかくにも、俺が目前の先生に質問し始めると渋沢先生達は口を閉じてくれた。さすがに質問してる最中に
これで受験に受かったなんてほんと、奇跡だと思う。まさか親が裏口入学のため大金を...... それはいくらなんでも考え過ぎか。とりあえず問題の解き方を教えて貰ったし、これ以上迷惑をかけるのもあれだし、そろそろ退散しようかな。
「えっと、後は自分でやりますので。ありがとうございました」
俺は数変わ先生にお礼を言い職員室を出た。
教えてもらったことを忘れない内に早く教室に戻らないと、そう思い一歩目から早歩きに移行する。
ちんたら歩いてたらすぐ忘れてしまう。
しばらく廊下を歩いていると横から光が差し込んできて少し目が細まる。
思わず立ち止まり、窓を覗き込む。日は落ち始めてはいるがまだ人が行動するには十分に明るい。
目線を下に移すと、ひっきりなしに走り、ボールを拾ったり、窓越しでは聞こえないけど掛け声を発しながらせわしなく動き回ってる人の姿が目に映る。
運動部だろう、熱心に部活に取り込んでいる。実際目にしてないので分からないけど真剣にしてると思う。
「青春してるなぁ......」
眼光に映し出されている綺麗な夕焼け空と、その下で影を追いながらグラウンドで汗を流している人達。それはどこか遠い、記憶の片隅にある懐かしさみたいなものだと感じ自然と口からこぼれ出た。
それほどに眩しい光景に見えていた。
――――
ふぅ......
やっと終わった。
何とか出来たけど多分間違ってる箇所もあるはずだ、また先生に聞かなきゃな。
そう思うと少し億劫だ。立ち止まらないですぐに教室に向かえばよかったと少し後悔。
プリントから顔を上げ一息つく。
横の窓を見ると日は沈み始めていて先ほどまでの明るさはなく少し薄暗い夕暮れ時になっていた。
もうこんな時間か、問題を解くのに集中していてすっかり気づかなかった。
周りからは声が聞こえず俺は顔を後ろに背け夕暮れで薄暗くなった教室を見渡す。時間が時間なのか居残っていた人は帰ったようだ。俺も早く帰ろと思った矢先、以外にも残っている生徒が目に入った。
芽森さん? こんな遅くまでいたのか。
芽森さんは机に突っ伏しているみたいだけど、この位置からでは確認し辛く動いてる様子は見えない。
こんな時間まで何して......って関係ないか。
別に彼女が何をしていようと俺には。
プリントをしまい鞄を肩に掛けて席を立つ、そして教室を出ようと寝ているであろう彼女の横を――あ、っと通る寸前あることに気づいた。
一応声かけた方がいいのかな......こんな時間だし。
視線を机に移す。
自分の席からでは暗がりで見えなかったがこの距離なら彼女の顔を認識できる。
頭を腕に乗せて静かに寝ており、その横にはスマホが置かれている。
普段こんな間近で彼女を見ることはないせいか、あらためて可愛い人だなぁと思う。
まつ毛も長くて綺麗だし、それにいい匂い......
っ、 変態か俺は!
すぐさま顔を離す、いつの間にか自分でも気づかない内に顔を近づけていたらしい。危うく鼻をスンスンしてしまいそうになったが寸前のところで理性が働いてくれた。
もう少しで男としての何かが終わってしまいかねないところだった。男としてはあくまでも紳士でありたいと思う。でもまぁ、一般男性としての変態心も多少は持ち合わせているのかもしれない。最低だな俺。
っと、それより誰も芽森さんを起こさなかったのか。
違う、多分誰か起こそうとしてくれたはずだ、よっぽど疲れていて起きなかったのか。まさかこんな時間まで誰かとメールかラインでもしてたとか?
けど普通こんな時間に......って余計か。
俺は彼女に声を掛けるか必死に悩んだ挙げ句、声を掛けないことにした。
きっとその内誰かが起こしにきてくれるだろうし。
それに俺みたいな奴が声を掛けるなんて、おこがましいに決まってる......
俺は今度こそ教室を出ようと少し止めていた足を動かした。
「あたっ!!」
瞬間――軽めの金属音が響くと同時に、足に鈍にぶい痛みが走り思わず声を荒げる。
よそ見をしていたせいか前を通る時に足取り感覚がわずかにズレ、机の脚に引っかかってしまった。
その反動で机は少し傾むき置いてあったスマホが目前の床に落ちてきた。
俺は反射的に拾い上げ、机に戻そうとしたが寝ていた芽森さんのうわずいた声が耳に入ってきた。
「んっ......んん」
寝ていた彼女を起こしてしまう、という罪悪感からか机を傾かせてしまったせいかは分からないが、ただ一つ分かるのは今まさに起きてしまいそうな状況化にある芽森さんを見て足の痛みを忘れてしまうほど俺の頭はパニックになる。そのせいか指一つ動かせない。
どうすればいいか分からずその場で戸惑とまどっていると意識がはっきりとしてきたのか、芽森さんは机から顔を上げようとしていた。
まだ少し景色がぼやけているのか、視点が定まらない様子の芽森さん。
俺は身体に変な汗をかき始める。
「あれ? わたし、何してたっけ......」
ようやく夢から目覚めたのか、顔を上げた直後彼女の視線が俺を捉える。
「あ、おお、おはやぁう!」
「え......」
目が合いついとっさに挨拶してしまったが顔を直視してしまい、まともに言葉が言えず噛んでしまった。そんな俺の噛み言葉にあっけにとられてる様子の芽森さん。だけどまだ言わなきゃいけないことがある。
「あ、起ここしちゃってす、まいせん」
起こしてしまったんだし謝らないと、そう思い今度こそはと言葉を発してみたが再び噛んでしまう。
あまりの恥ずかしさで身体の緊張が解け、俺はその場から消えようと教室を出ようとした途端、芽森さんに呼び止められた。
「ねぇ、ちょっとそれってわたしのスマホだよね? え、何で、持ってるの」
言われて即座に顔を下に向けると右手にスマホを握っていた。
忘れてた、そういえば慌てて拾ったんだっけ。
彼女の少し戸惑っている様子が声からも伝わってくる。
「ご、ごめんっ! 落ちてきたからとっさに、はいっ」
変な誤解をされないように瞬間的に右手を差し出す。
だけど芽森さんはスマホを受け取ろうとしない。
警戒されていたのか、彼女はわずかな間を置き手をおずおずと伸ばし出した。
細くて白い手が指に触れそうになり、少し胸がトクンっと脈打つ。
...... き、気まずい、
スマホを返却すると話すことがなくなり、教室に無言の空気が流れる。
芽森さんとの会話、さらに言えば薄暗い教室で二人っきりの状態......
普通ならかなり嬉しいシチュエーションだ。けど今はそれよりも恥ずかしさの方が大きい。只でさえ人見知りなのに芽森さんとなんて、嬉しいけど。
「え...... あ、っとそれじゃ」
無言の空気に堪えかねた俺は帰る挨拶を告げ、急いで教室を離れようと踏み出す。
「あっ、ちょっと待って!」
「えっ...... ?」
教室から出ようとした瞬間、彼女が発した声に不意に踏みとどまる。
えっ、俺何かしたのか......
してないよな、俺の浅い記憶にも思い当たらない。
「えっと、ご、ごめん」
芽森さんの方に振り返りながらも一応謝っておく。
もちろん目は合わせない。
「スマホの中身、見た?」
勘ぐっているのか、静かに問いかけてくるその言葉には棘がある。
「いあ、見てないよ」
目を合わせていないおかげか、少し声が
呼び止めた理由はそれか、当然か知らない人に中身を見られていないか心配はするか。ストーカーの被害に合う可能性もあり得る。
何より芽森さんなら確実性は高いだろうな。可愛いし。
何を考えているのか分からない人に付きまとわれたらと思うと怖い、他人なら余計だ。俺は見てないから大丈夫だよ芽森さん。
あれ? その他人って俺のことじゃ......
「見て、ないよ。そ、そんな余裕もなかったし」
念の為、もう一度謝っておく。
一応クラスメイトだし、決して他人じゃない、と思いたい。
「だ、だよね。そっか、ごめんなさい引き止めてしまって」
「い、いや......」
むしろ謝るのはこっちなんだけどなぁ。
彼女の返事を聞き今度こそ教室を出ようと身体を前に向ける。
少し
「待って! もう少し」
良かったと、思った所で再び呼び止められ、身体をピタリと止める。
え、今度は何?
俺本当に何かしたんじゃ、不安に駆られながらも学校での記憶を辿ってみる。
だけど教室で机につっぷくしてる姿しか思い浮かばない。
ましてや芽森さんと近づく機会なんてない、いや昼間に遭遇してしまったけど。
「あの——」
「まだいたのかよ文音!」
芽森さんが何かを発言しようとした時、言葉が切られた。
「楓......」
見ると芽森さんの友達の楓さんが驚いた様子で後ろの教室の扉から入ってきていた。
「先帰っとけって言っといただろ、ったく」
「ごめん、どうしてもやりたいことがあって」
楓さんはため息混じりに呆れた表情を見せると、芽森さんは少し身体を縮こませる。
放課後、それも部活が終わり始める時間で女の子が一人居残ってる。
そりゃ心配になるに決まってる。そもそも部活でもしてなければこんな時間まで残らないよ普通。
芽森さんは何でこんな遅くまで残っていたのか、仮に何かの部活に入っていたとしても俺に知る
「ところでよぉ、コイツ誰だっけ」
今気づいたのか、楓さんは親指を俺に差し向けながら芽森さんに問う。
それを尻目に俺は内心ビクビクしていた。
芽森さんの友達、楓さん......
間近で見ると顔が整っていて可愛いというよりかは美人だ。
俺や芽森さんよりも背が高くモデルでもやっていそうなスタイルの良さ。
それに金髪のせいだろう。良いイメージがない、
偏見で決めつけるのは悪いと思うけど一般的に見ても俺の考えに共感を持つ人は多いと思う。
「同じクラスでしょ、もう、確か...... あれ?」
芽森さんが失礼だと言わんばかりに楓さんに言うが、その芽森さんも俺の名前が出てこないようだ。
全然フォローになっておらず、むしろ逆に傷ついた......
正直いうと少しは名前を覚えてられてるんじゃないかと期待していたが甘かった。
机でつっぷくしクラスで孤立、なおかつ学校で目立たない存在感のなさ、普通に考えて認識されるはずもないか。
クラスメイトではあってもあくまで他人、悲しいけどコレが現実、所詮俺なんてミジンコ以下の存在なんだ。初めから分かっていたじゃないか。
今なら使えるかな、ミスディ〇クション......
「まっ、どうでもいいからさ。早く帰るよ」
「あ、うん」
気だるげに楓さんが帰りを
いくら考えた所で俺の名前なんか出てこないだろうに。
「――ふぅ~ 終わった終わった」
突如教室の外から声が響いてきた。
「あ~つっかれたぁ、ラーメンでも食いに行こうぜ」
「お前またそれかよ。それにしても早くも監督に気に入られるとかやる気下がるわ、あいつって何組だっけ」
「ああ、確か二組だったはず、ありゃモテるわなぁ」
その声は足音と共に徐々に近づいてくる。
こんな時間まで居残ってるのは部活の連中か先生達ぐらいだ。
そう考えると楓さんも何かの部活をして残ってたのか、でいち早く終わって教室に戻ってきたんだな。
「
「いまいくから」
楓さんは教室の扉前で芽森さんを呼ぶと芽森さんは慌てて返事を返し、
せっせと帰る準備を急がせる。
そして準備が終わり横を通り過ぎる直前、俺の耳元で一言告げて出て行った。
え...... 今なんて。
耳元で囁かれた言葉に俺は一瞬理解できなかった。
俺の聞き間違いじゃないよな、どういう意味だ......
っと、運動部の連中と鉢合わせない内に俺も早く帰らないと。
――明日の昼休みに理科室にきて――
先ほどの言葉の
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