第4話

「ぅおぁぁああああっ!?」

「アーサーッ!」

 説明しよう。いま、崖を滑り落ちている!

「って、のんきに説明してる場合じゃねーだろ! 死にたいのかテメェ!!」

「フレイ! 俺にもうちょっと優しくして!」

「うるせぇぞ、アーサー!」

「ごめんなさい!」

 もう口調が最悪に悪いとか言っていられる状況ではないことはアーサーも自覚している。それでも、言いたかった。もうちょっと、あとほんの少しでいいから優しくしてほしい。切実に。

 いつもと変わらず1年前に見たあの幻想を探すため、アーサーとフレイは森の中にいた。森の中を馬でうろうろするのも大変だし、何より馬での移動になってしまうと小さなことを見落としてしまいそうで怖く、アーサーは探すときは必ず馬から降りて探していた。自然、フレイも同じようにし、馬はそこらの木につないで大自然の中をうろうろと歩き回る。

 しかし、寒い。季節が冬なのだから当たり前だが、寒い。あんなにももこもこの外套を羽織っているにもかかわらず、アーサーもかなり寒そうである。もちろん、フレイも寒い。

 いつになったら見つかってくれるんだという、少し八つ当たり気味の感情を抱きながらフレイはアーサーについていく。もし遭難でもされたらたまったものではないからだ。

 フレイもアーサーと同様に当たりをくるくると見回しながら歩いていた。

 しかし、当たり前のように見つかるはずもない。ため息をつき、ふとアーサーの方を見た瞬間。

 ――先ほどの悲鳴につながる。

「ちゃんと前見て歩け、アホか、このバカ! いまこの瞬間に自分が死んでも誰も困らないとかぬかしやがったら俺が殺してやるからな、マヌケ!」

「すごい罵詈雑言が入ってるね!? フレイ、怖い! 思ってないから!」

「くそっ、引き上げられない……!」

 寒さで体がかじかんでいるのもあり、うまく引き上げることができない。枝をつかんでいる手も、凍えてすぐにでも離れてしまいそうだ。フレイはアーサーのさらに下を見た。そして、突然ぱっと枝から手を離した。

「なっ、ちょっ! フレイ!?」

 体がふわっと浮いた感じが一瞬したと思った瞬間に、二人の体はそのまま雪の斜面を滑落していく。

「ちょぉぉおおお!」

 何を言えばいいのかわからなくなったアーサーはとりあえず叫んでおいた。フレイのことだからなにか考えがあってこの行動を起こしたのだと理解できても、追いつかないものというものは存在する。

 しばらく、二人の体は急斜面を滑り落ちていった。一瞬のような気もしたが、その時間は数分間あり、ようやく下までたどり着いた。

 落ちた衝撃は新雪がクッションになりあまりなかったが、精神的な衝撃は大きかった。

「……フレイ……心の準備が欲しかった……」

「そんな余裕があの時にあると思うのか」

 新雪に体を沈めながら二人はそんなことを言った。もちろん、アーサーはフレイのことを信じていたが精神的な衝撃というのはさすがにきついらしいと、アーサーは身を以て知った。フレイの方も、自分の主であるアーサーにこんな思いをさせたくはなかったがあの状況では仕方なかったと笑ってほしいのも事実である。

「……これ、登れるかな」

 アーサーがそんなことを呟きながら上半身を起こした。それに続いてフレイも体を起こす。

「たぶん、大丈夫だと思う。一応気にして落ちたし」

 フレイも見上げながらそういった。とりあえず登れそうなところを探すかといい、二人は立ち上がった。

「こんなことになるなら、馬持って来ればよかったなぁ……」

「めちゃくちゃ言うな。持ってきたとしても馬だって自分が可愛いんだ。お前なんて置いていかれるわ」

「……フレイ、本当に酷い……俺の方が偉いはずなのに……」

「この場合、どっちの身分が上とかもう関係ないだろう。というか、お前はもうちょっと王族の自覚を持て」

 一応はあるよ、と軽い感じで返されてフレイは少しムッとしたが、おそらく本人は本当に本人なりに王族の自覚というものを持っているのだろう。それが、他人が求めているような立ち居振る舞いではないだけで彼は彼なりに一生懸命なのだ。

 それをわかっているため、フレイはアーサーに何も言えない。たしかにこんな風にのこのこと城を抜けて自分勝手な行動をとることはいけないだろうが、これはアーサー自身の心を守るための自己防衛本能だということにも気づいている。あの城の中は、アーサーにとってはただの牢獄と同じなのだ。

 しばらく、お互いに無言で歩いていると、森の中で少し開けた場所に出ることができた。一応、上を目指して歩いているため、周りを確認すると、先ほどよりも目線が上になっていることがわかる。

 その事実に少し小さく息を吐き、フレイはアーサーに声をかけようとした。

 しかし、できなかった。

 アーサーの背後。もっとずっと先。アーサーが不思議そうに自分を見つめているのがわかる。けれど、それどころではない。

 見つめる先にあるのは。

「……女の子……」

「え……?」

 フレイのその呟きにアーサーは首を傾げた。そして、フレイと同じ方向――自分の背後を見た。フレイと同じように体が固まった。

 言葉でどう表現していいのか。わからない。ただ、幻想的な世界に、一人の少女が立っている。いや。立っているわけではない。舞を舞っているのだ。真冬のこの時期に似合わない衣服を身にまとった少女。見ている自分たちの方が寒さで凍えていまいそうなほどの薄着なのに、少女自身は楽しくて仕方がないというふうに舞を舞っている。満面の笑顔。溢れる笑い声。

 誘われていると、錯覚した。

 知らぬうちに、アーサーは駆け出した。新雪を大胆に踏みつけ、足元ではざくざくという音が鳴り響く。

「っ! アーサー!」

 駆け出した自分の主人に反応が遅れたフレイは大声でアーサーを呼んだ。しかし、それがいけなかった。今まで楽しそうに舞を舞っていた少女がびくりと体を揺らしたかと思うと自分たちの方を見た。そして、驚愕の表情でこちらを数秒間凝視したかと思うと、慌てて駆け出したのだ。

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