第35話

 軽やかなストライドで、恵理が土色の大地を駈走はしる。


 きっと生身の人間が飛び出してきたことに、向こうも面食らっているだろう。だが、それで手を緩める間抜けではない。


 すぐに、校舎の端がキラリと点滅し、光線がほとばしった。

 息を呑む間もなくグラウンドを横断し、一直線に恵理の下へ光が突き刺さる。


「……っ!!」


 その一閃を、恵理はかわす。

 否、かわしていた。


 射撃時にどうしても発生するNリソースの光を見て、身体の軸をずらすことで回避行動を取ったのだ。


「電脳の狙撃を避けるなんて……」


 イコナが驚愕する。

 こんなことが出来る人間は、東京広しといえど彼女一人かもしれない。


「次が来るぞ!」


 真鈴の声が響き、次弾が放たれる。


 恵理はまるでえているかのようにその動きを捉え、僅かに身体をそらしてかわした。決して、まぐれではない。


 そのまま彼女は一気に距離を詰める。

 残り、40メートル。


 焦りか、その次の弾は早かった。校舎の一角が再び光を帯びる。


「ふ……っ」


 小さく吐息を漏らし、恵理が再び身体をそらした。

 こめかみから、一筋の汗が流れて舞う。


 が、光弾が来ない。


「まずい、ダミーだ!!」


 間髪入れず、本物の発光。

 恵理は、まだ体勢を立て直していない。


 目前に、金色のレーザーが迫る。


『パッチ・アクセプト』


 恵理の胸元で、激しい閃光が散る。

 直撃にも近い位置。


 ──しかし、すんでの所で攻撃は防がれた。


 シールドごと砕け散った小型のドールが、前進する恵理の身体にぶつかって墜落する。無機質な頭部に、ナンヨウ017の印字。


「あれは、予備の──」


 恵理が、簡易式の主端末を投げ捨てる。

 ドールを使ったことのない彼女だったが、護身用に胸部に隠せる小型のものを持たされていたのだ。


「真鈴さん!」イコナの声で、真鈴ははっとする。

「っ、恵理、今だ、投げろ!!」


 インカムを通じて、恵理が素早くチャフグレネードの電子ロックを解除し、投げる。

 空高く上げられたグレネードが時限式の雷管で破裂し、無数の紙片が散らばった。陽光を反射し、真昼の星々のようにまたたく。


 命令を待たず、ナナが低空ギリギリを滑走し始めた。

 右手には、紅く光るブレードが握られている。


 校舎の端がチカチカと発光し、光線が校庭に堕ちる。


 が、チャフの壁に阻まれ、到達できない。


「目標地点到達、ナナ、ブレード投擲!」

『命令を受諾』


 ナナがその場でくるりと横向きに一回転し、手に持っていたブレードを真っ直ぐ、校舎へと投擲した。

 舞い散る電波欺瞞紙の濃厚な防壁がその勢いを阻むも、自己修復信号による強固な貫通性能が標的を逸らさせない。


 一直線に抜け出たブレードは校舎を直撃し、紅い閃光を撒き散らして爆発した。


「よし、全軍、進撃!」


 雄叫びをあげて、連合軍が一斉に草むらから飛び出した。


 呼応するように、校舎のいたる所から大黒の生徒が現れ、それを迎え撃つ。

 グラウンドは、瞬く間に色とりどりの光線が飛び交う戦場となった。さながら、上陸作戦のようである。


「イコナ、お前は先行しろ。茅乃が迂回路を知っている」

「わかりました」


 豪雨のような銃弾の中を、イコナが突っ切っていく。それを後押しするように、連合軍の弾幕が唸りを上げた。




 シンと静まり返った研究室。飲み干されたばかりの三つのコーヒーカップ。


 階下で繰り広げられた目覚しい攻防を堪能した後、木肌は慌しく部屋を出て行った少女たちのことを手元の端末に書き留める。


 左手で葉巻を、右手でポケットをまさぐりながら、ふと何かに気付いたように首を振り、葉巻を箱に戻すと、彼はテーブルに置かれた旧式の通信端末をタップする。

 短いビープ音の後に、通話開始を知らせる緑色のLEDが点灯した。


王賀おうが。彼女たちは来たよ。……こちらも、そろそろだろう。準備をしてくれ」


 通信相手は、何も答えない。


「大丈夫、春之塚は既に配置を終えている。全ては順調だ。後は君にかかっている」


 木肌は通信を閉じ、深く椅子に腰掛けた。


 そうして何か思いにふけるように天井を見つめた後、静かに目を閉じる。




 北西に位置する第二体育館を制圧したフラン率いる分隊は、当初の予定通り本隊との合流を目指して本校舎北棟の回廊を南下していた。


 目算では既に分隊の四倍ほどの敵を屠ってきたが、大黒学院の戦力は一向に尽きる兆しを見せない。その一方で、分隊のリソース残量は少しずつ底が見えてきた。


「全員、リソース残量に気をつけて。補給が必要な人は先に申請すること」


 フランがインカムで注意を促す。


 とはいえ、ここまでは想定内だ。

 静紅のチームも作戦通り動いていると仮定すれば、大黒学院は三つに分断されており、本校舎で連合軍の本隊が仕掛ける最終戦に集結することはできないだろう。


 そして先ほど、本隊が本校舎に到達したという知らせが入った。あとはフランたちが合流すれば、勝ちも同然である。


 ──合流できれば、の話だが。


「フランさん!」

「ん」


 を最初に見つけたのは、索敵班の後輩だった。

 均一に砂利の敷かれた遊歩道の真ん中に佇む、一人の少女。耳上で切られたボーイッシュな黒髪に、風にたなびく紅いマフラー。袖を通さず、羽織っただけの黒い制服。ドールの姿は見えない。


 その異様な雰囲気に、フランは思わず立ち止まる。

 が、他のメンバーを制止する前にステラが勇ましく前へ出た。


「フン、はぐれたのかシラ! クロダ!」

「ええ」


 クロダのドールがレーザーガンの銃口を少女に向ける。

 

 その虚像を、俯いた少女の二つ眼が睨みつけた瞬間、フランは電流のように背筋を打つ悪寒を感じ、身を翻してアマンダを庇った。


 その視界の端に溢れた青い光の渦が、空間を覆う。

 電子回路の焼き切れるツンとした匂いが鋭く抜け、目の前が真っ白に染まった。




『イコナ、聞こえる? 中央サーバルームは本校舎中央棟の西側にあるわ。ただ、入り口は三階で、その目前には大黒の守備が三部隊構えている』

「三部隊……徹底抗戦されれば突破に時間がかかりそうね」

『そもそも、一階ではこちらの本隊と大黒の堀川隊が衝突してるから、死守してくるでしょうね。イコナ、そこから本校舎西棟の非常口が見えるはずだけど、見つかる?』


 イコナは走るのをやめ、辺りを見渡す。

 生徒の出払った渡り廊下はがらんとして、霜の張った赤レンガ造りの花壇の合間に、錆び付いた小さな扉が見えた。


『ポータル確認、マップ照合。西棟非常口と断定』とナナが短く報告する。

「あれね」


『OK。その先には本来相手の防衛陣が敷かれていたけど、源光寺隊が北部を荒らしてくれたおかげで手薄になってるわ。そこから侵入して、西棟二階の連絡通路に向かって。サーバルームのメンテナンス用の直通路よ。セキュリティは硬かったけど、到着する頃にクラックが完了するはず』


「わかった。そちらの状況は?」

『回廊沿いに東から西に走ってるトコ! 多分合流でき──』


 ガチャン、と耳障りな金属音が通話先から聞こえる。


『フラン! 一体どうしたの? 分隊は……えっ』

「どうした」


 擦れ合うようなノイズが鳴り、苦しそうな息切れがマイクを通して伝わってきた。


『イ、イコナ。イコナは居るの』フランの声だ。

「ええ。どうしたの」


『壊滅、させられたわ……たった一人の大黒生に。王賀真琴おうがまこと……彼女は、イコナを探してた。気を……つけて』


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