第33話
広大な大黒グラウンドの先に、城砦を思わせる物々しい造形の本校舎はあった。
連合本隊はその手前の低木に身を潜め、五分前に王楼の先遣隊を狙撃した敵の位置を必死に探知しようとしている。
「いました。校舎三階の東側三つ目の窓、狙撃手です」
白木院の象牙色の制服を着たお団子頭の少女が答える。
「イコナ、スナイパーライフルは作れるか?」
真鈴が尋ねた。
「作れますが、ナナのレーダーでは射程が足りません」
「……カガリを使うのはどうだ。ナナはそれをシールドで防護する」
「やってみる価値はありそうですね」
そう答えて、イコナはパッチ生成ウィンドウを展開する。
瞬く間に長砲身のスナイパーライフルが生成され、カガリの右腕部に装着された。
ナナは明北製のシールドを両手に一枚ずつ装備し、その防護に臨む。
その防御力足るや、拠点攻略級の兵器が相手でも数発分の時間稼ぎはできるだろう。
『パッチ・アクセプト』
「いきましょう」
カガリとナナがリンクするように瞳を明滅させ、土色のグラウンドへと飛び出した。
『射程距離到達』
カガリが停止し、ライフルを真っ直ぐ構える。
それを覆うようにしてナナがシールドを構え、砲身の先だけが僅かにシールドの外を覗いた。
「気をつけて、もうロックオンされている」
ふと、本校舎の片隅が煌いた気がした。
その直後、バチン、という音と共に超音速の弾丸がナナのシールドに命中し、明後日の方向へと弾かれた。ビリビリとした衝撃が後部の本隊にも伝わってくる。
「カガリ、撃て!」
『命令受諾』
返し弾。カガリのスナイパーライフルが火を噴いた。
が、その光の塊は決してグラウンドを横断することなく、カガリの目の先で突然火の玉になり、四方にはじけた。痺れるような音の波が全員の耳を打つ。
「なんだ!?」真鈴がたじろぐ。
「真鈴さん……あれを」
見れば、スナイパーライフルの先端に、モザイクのようなものが掛かっている。データが破損しているのだ。
それも、シールドから出た僅か数センチの箇所だけ。
つまり、敵の狙撃手はこの百数十メートルの距離から、たった数センチの
こんなことが出来るのは、東京中でたった一人しかいない。
「堀川譲二……奴は三柱の一人、堀川だ」
一番出会いたくなかった敵との遭遇に、真鈴は苦い顔をする。
「ミネットが居なくて良かったですね」
イコナはナナを回収する。
大黒は、連合本隊を徹底的に足止めする作戦のようだ。ただでさえ海道に時間を稼がれている。これ以上遅れれば、こちらの戦略に致命的な風穴が空く。
「時間がありませんよ」
「分かっている」
真鈴は思索した。
その頭の中で数十の選択肢が交錯し、可能性と共に消滅していく。そうして残ったのは、最も避けたかった一つの原始的な策だった。
「……仕方ないか」
真鈴は回線を開き、後方支援の待つシャトルバスからある一人を呼び寄せた。
東第二校舎、三階。
階下の喧騒はどこへやら、ひっそりと静まり返った廊下を茅乃とミネットがたった二人で進行する。他のメンバーは第一分隊βに合流したきりだ。
「茅乃さん……ルートを大きく外れていますが、ここには何の?」
訝しげな表情でミネットが尋ねる。
茅乃は緊張した面持ちで歩いていたが、ミネットの声にはっとして、彼女の顔を一瞥し、手元のマップに視線を落とす。周囲に二人以外の人影はない。
「……そうね、話しておきましょう。ミネット、この
ミネットは短く考える素振りを見せて、
「それは、東京に居残った学院と学院が残り少ない
「ええ。でも、それは要因であって、成立を導くものではないわ」
茅乃は、ポシェットからメモリーを取り出し、窓から差し込む陽光に透かして見せる。
「ルール無用の陣取り合戦。普通なら、そこに抗争なんてものはそもそも成立しない。莫大な機動力と資産を持った学院が、皆が寝静まった深夜に奇襲をかけて、あっという間に踏み潰していくでしょうね。
でも、
「ええ……一つは深夜という時間帯を
「その通り。でも、何故? オブザーバが希少なリソースを使って、情報を提供し続けた理由は?
私は、
茅乃は廊下の先、行き止まりに佇む扉の前で立ち止まる。
「東第二校舎三階、このドアの先にある」
表札は掠れていて見えない。
曇りガラスの小窓からは僅かに光が溢れていて、中から人の気配を感じさせる。
茅乃はドアノブに手をかけ、ゆっくりとそれを回してみる。
鍵はかかってないようだ。
ミネットとアイコンタクトをし、ミネットが小さく頷く。アメノが、身構えた。
一気に扉を開く。そして、二人は息を呑んだ。
2mはあろうかという巨体。
白衣に身を包み、大きな鉤鼻と彫りの深い鋭い目つきの男性が、入り口に立って彼女たちを見下ろしていたからだ。
「ひっ」
ミネットが小さく悲鳴を上げて身をすくめる。
茅乃も目をまるまると大きくし、今にも逃げ出しそうな両足を必死に理性で抑えた。
「あっ、あの……」
「入りなさい」
齢の重ねを感じさせる、野太く渋い声。
大男は踵を返し、部屋の中へと戻っていく。ブリザードのような彼の印象とは裏腹に、部屋の中はぽかぽかと暖かく、心地良い空間だった。
促されるままソファに身体を沈め、背の低いガラステーブルを隔ててどっしりとしたアームチェアに男が遅れて座る。
手にはゆらゆらと湯気を登らせるコーヒーカップが二つ。
「飲めるかね。砂糖とミルクはそこにある」
彼はコーヒーカップを二人に差し出す。
ミネットは警戒した面持ちでじっと固まっていたが、茅乃がおもむろに手を伸ばし、角砂糖二つとコーヒーフレッシュを入れ、口元に運んだ。
冷えた身体に、暖かなコーヒーが染み渡る。
その感覚を、茅乃は味わったことがあった。
中学の時、スクールカウンセラーに掛かった時のことだ。進路について昼夜悩んでいた彼女を、カウンセリングの先生は何も言わず一杯のコーヒーで落ち着かせてくれたのだ。
「君達が来ることは分かっていた」
彼はゆっくりと、言葉を選ぶようにして話し始める。
「今階下で起きている抗争が何を目的としているかも、ね。質問があるなら、答えよう。話せないことも多くあるが」
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