第27話

 シン、と重い空気が沈み込む。


 亡霊ゴースト、と言い換えればそれを知らない学生は居ないだろう。

 あらゆる場所に偏在した脅威、そして災厄の原因。


 伝承は真実だったのだ。

 背筋に這い上がるような悪寒を感じた数人が、ストーブへとそっと擦り寄る。


 イコナはボストンバッグを開け、中から聖櫃を取り出した。

 今なら、その中身に予想が付く。


 これは、再起動装置コントローラーだ。悪魔ともう一度対話するための。


「渡すな、と言った意味が分かるだろう。イコナ」

「織人……あなたは、一体」


 織人はジャケットを脱ぎ、左肩に掲げられたワッペンを見せた。隻眼の鷹のマークに、十文字。校章ではない。


対抗組織レジスタンス、と便宜上は呼んでいる。僕らは、ずっとEDDAや他の政府機関と戦ってきた。この東京を救うために。……だけど、この様だ」


 織人は鎮座するオーキスを見やる。

 コアが破壊されたドールは、二度と蘇ることはない。


「だから、全てを話した。みんなに──頼みがある。僕と一緒に戦ってほしい」


 そう言って、彼は頭を下げた。


 生徒たちは顔を見合わせる。

 この短い説明で、全てを呑みこめた者は居ないだろう。その突拍子の無い話を、心の底から信じることができた者は居ないだろう。


 だが、彼を冷笑する者は居なかった。

 この荒廃した東京で生きるという淡い野望を、儚い矜持を、必死に抱いて戦ってきた少年少女たち。そこには、立場も、事情も、敵も味方も無い。

 ただ一つ、自分を突き動かす強い意志に従ってきた。


 安城 真鈴が立ち上がる。


「顔を上げな」


 彼女は織人の下まで歩み寄り、右手を差し出した。


 凛々しい横顔が、ストーブの上に載るカンテラの灯りに赤く照らされる。


「頼まれるまでもない。私達は、私達の世界を守るためにここにいる」

「……ありがとう」


 織人が、その手を取る。

 二人は真っ直ぐと視線を交わし、小さな微笑を浮かべ、皆の方向に向き直った。群集は静まり返っていたが、その顔には確かな闘志がふつふつと燃えている。


 そこに、体育館の暗がりから幼く鋭い声が飛び込んだ。


「その話は本当?」


 腕組をして仁王立ちの小さな背の少女──南陽学院リーダー、ステラ・ブレイスフォードが、学生達の円陣の中へと進む。


「僕が戦う理由の全てだ。嘘は言わない」


 織人は真っ直ぐと彼女を見て、返す。


「我々は彼に協力するつもりだ」真鈴が続ける。「しかし、元々勢力としては小さい上に、先の戦闘で大きく戦力を殺がれてしまった。南陽学院が手伝ってくれるというなら、歓迎する」


「……」


 ステラは俯き、思索する。

 それを見て真鈴はステラの背丈までかがみ、そっと耳打ちした。


「お菓子もあるぞ」

「お菓子っ!?」


 彼女の歓喜の声が体育館中に響く。はっとしたステラは赤面して視線を落とし、再び真鈴の目を見て、そして織人の方へと向いた。


「フン、共闘ってのが癪に障るけど、やられっぱなしで黙っているホド、まぬけじゃあないわ。クロダ!」

「ええ。アダムとイヴは戦闘不能ですが、予備のドールが七十二躯準備されています」

「ありがとう。助かる」


 真鈴が握手を求め、ステラがそれに応じた。


「で、目星は付いているのネ?」

「ああ。グングニルはその巨大さ故、存在できる場所が限られる。トーキョーネットが稼動していない今、休眠したグングニルを置いておける物理サーバ郡を擁している学院は……」


大黒だいこく学院」


 茅乃が答える。

 織人は少し驚いた表情で茅乃を見て、頷いた。


 大黒学院。

 電脳工学系の最高峰、数々の一流科学者を輩出し、日本中の未来ある優秀な理系学生が一堂に会して鎬を削る、言わずと知れた超有力校である。

 東京が荒廃してからもその名声はとどまる事を知らず、軍隊にも例えられる強力なチームで北関東ほぼ全域を制圧した。


「大黒を……攻めるんですか?」


 ミネットが怯えた声で会話に参加する。

 王楼、南陽に比べ北側にある明北なら、数回の小競り合いを起こしていても不思議ではない。


「フン、クレイジーね」とステラは大げさに頭を振った。

「そして、この闘いには──イコナ。君と、君の聖櫃が必要不可欠だ」




 織人たちの視線が、空っぽのボストンバッグ越しにイコナを見据えた。

 今、一番複雑な立場にいるのは彼女だろう。


「……イコナ」


 茅乃が心配そうな面持ちで、彼女の肩に手を置く。


「私には……」

 イコナが震える声で言葉を紡ぐ。

「私には、何が正義か分からない。私はずっと、貴方達の……電脳抗争ドールズ・ウォーを理解することができなかった。──私にとって任務は全てで、この聖櫃と、研究員としての立場だけが守るべきものだった」


 イコナは傷付いたナナを抱きかかえ、立ち上がる。


 応急処置の済まされたナナは、彼女の腕の中で眠っているかのようだった。


「でも、あの時、あの瞬間……私の中で、何か大きなものが揺らいだ。私は神藤彼女に、聖櫃を渡せなかった」


 彼女はボストンバッグに視線を落とし、再び織人と真鈴に向き直る。


「私は──貴方達の仲間にはなれない。でも、私には確かめる責務がある。この聖櫃の本当の意味。そして、この聖櫃で行えるの価値を。

 だから、もう一度だけ手を貸すわ。そしてもし、私のしてきたことが間違いだったら──私がこの手で、グングニルに止めを刺す」

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