第26話

「三度は言わない。聖櫃を渡せ。それでお前の任務は終わりだ」


「わ……私は」



「ダメだ、イコナ!! 聖櫃を、奴らに渡すな!!」


 窓が割れ、新たな来訪者が現れる。


 常盤木ときわぎ 織人おりとだ。


 勢い良く前転して体育館のフローリングで受身を取り、イコナと神藤の間に割って入る。


「それを……渡しちゃダメだ、イコナ。逃げろ」

「お、織人……」


 先の戦いで傷付いたままのクロノドール・オーキスが、サクラに襲い掛かる。

 明燈が命ずるまでもなく、サクラの操り人形のうち一躯が飛翔するオーキスを容赦なく打ち落とし、トドメを刺した。


 織人の左手についた主計算端末が小さな爆発を起こして損壊する。コアが破壊されたのだ。


 だが、織人は怯まない。

 織人だけではない。

 傷ついた王楼学院、南陽学院の生徒たちがいつの間に立ち上がり、達の聖域に割って入った外敵をじっと睨みつけている。


 真鈴も茅乃の肩を借りて、体中の端末を屠られたステラも這いつくばるように、それでも顔を上げて、全ての視線が、イコナと神藤の二人に注がれた。


「さあ」


 神藤が歩み寄る。


「わ、私はっ……」


 意を決したように、イコナが声を張り上げる。


 彼女の表情は今まで見たどんな彼女よりも弱々しく、自信がなく──しかし、確かな覚悟が宿っていた。


「渡さない……この聖櫃を、渡さない」


「……貴様」


 神藤が手を伸ばし、強引にボストンバッグを奪おうとした。


 そこに、一筋のビーム砲が放たれ、神藤の指先を弾く。

 アメノ──茅乃だ。


「イコナから、離れて!!」


 全ての学生が、懐中時計クロノ・ドールを彼女に向けていた。

 王楼も、南陽も、関係ない。満身創痍のドールたち、その全てをかき集めてもサクラには敵わないかもしれないが、それでも構わない。


 電脳抗争ドールズウォーは、彼女たちの聖戦だ。

 子供達が作り上げてきた、子供達の世界だ。


 それを壊そうとする者を、どうして許しておけるだろうか。



 沈黙が、流れる。神藤は弾かれた指先をゆっくりと二回さすると、

「……フン。後悔するぞ」と呟いて踵を返す。


「一旦預けておく。あまり神月博士を困らせないことだな」


「……」 


 イコナは言葉を返さなかった。


 そして神藤とサクラは、元来た穴へと戻っていく。


 遠ざかるバンのエンジン音の後には、ただただ、静寂だけが残った。



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 がらんとした体育館の中央、なけなしのNリソースが灯す暖かなガス・ストーブに、大勢の生徒達が身を寄せ合うように集まり、彼らは皆一様にして、一人の青年の話に耳を傾ける。


 常盤木織人はボロボロに壊れた自身のドール・オーキスを傍らに置き、慎重に言葉を選びながら話し始めた。


EDDAエッダという組織がある。表向きは政府直属の研究機関で、トーキョーネットの構築にも一枚噛んでいる工学系の精鋭たちだ。南陽学院を強襲したあの研究員もそうだ」


 神藤明燈。

 その腕章には確かにその機関の名が刻まれていた。


「EDDAは災厄以前から、世界中の研究機関と深いネットワークを築いていた。今回のイコナの任務も、それに関わるものだったはずだ」


 イコナはじっと織人の顔を見て、肯定も否定も示さない。

 EDDAという名前自体は、彼女も知っていた。が、父親の所属する数多の研究機関のうち一つ、程度の認識しかなかったし、今回の任務がそれに深く関わる物とは誰からも聞かされていなかった。


「表面上は何の問題も生じ得ない、お役所的な研究機関。が、彼らは力を持ちすぎた。優秀な科学者、豊かな人脈、そして湯水のように湧き出る潤沢な資金。

 彼らが善であったか、悪であったかという議論は今となっては不毛だ。しかし、彼らには明確な思想があり、それは大多数の人間にとって好ましくないものだった。


 即ち、それはトーキョーネットの掌握。ひいては、この電脳都市全体をコントロール下に置き、それを足がかりとして世界中の電脳を統べること」


 ガス・ストーブがカラン、と虚ろな音を出す。


「そんな……無理でしょう。現代のネットワークは、そうやって第三者が操ったり、攻撃できない仕組みになっているもの」、茅乃が反論する。


「そう。トーキョーネットなどのクラウドネットワークは構造上、所謂〈マスターキー〉というものが存在し得ない。だが、EDDAは恐るべきアイデアでそれを解決した。トーキョーネットのシステムそのものの上に、自分自身を【操舵】するプログラムを構築したんだ」


「トーキョーネットの……中ですって? 誰にも気付かれずに?」


「大規模な作業を行えばきっと足が付くだろう。だから、それがどれほど長い年月を要したのかは分からない。

 が、彼らは着実に、自分達が保守し、修正すべき脆弱性を一つ一つ利用して、とうとう大規模なマルウェアをそこに作り出すことに成功した。コードネームは〈グングニル〉──数多のサーバを一手に掌握するための、巨大な【槍】だ」


 グングニル。

 その名を、イコナは織人の口から聞いたことがある。


 あの中沢新地での戦闘の後、彼は一言だけ、グングニルを追っていると任務の内容を漏らしたのだ。


 少しずつ、謎に包まれた彼の行動が紐解かれていく。

 EDDAの末端であるイコナに対する度重なる妨害工作。奇妙な形と性能をしたドール。妙に洗練され、大人びた立ち振る舞い。


「そして数ヶ月前、完成したグングニルの稼動実験が行われた。上手くいったと思うか?」


 茅乃は首を振る。


「──いいえ。トーキョーネットはただの一度もハッキングされたことはないわ」


 織人は頷き、


「その通り。しかし、グングニルは大きな傷をトーキョーネットに負わせた」


 茅乃は視線を落として黙り込み、彼女の小さな頭部に眠る膨大なデータベースを高速で辿っていく。

 トーキョーネットに影響? そんな事件はあっただろうか。


 やがて、彼女は一つの信じがたい真実に辿り着き、驚愕した顔で「まさか」と呟いた。


「そう──それは、トーキョーネットそのものを破壊し、。全ての始まりは、このたった一つのプログラムの暴走だったんだ」

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