第22話

「……静かね」


 イコナが、ポツリと呟く。


 屋上には一基の端末と無数の室外機、二つの貯水塔と倉庫代わりに置かれた資材の山で雑然としていたが、階下で行われている激闘の声はただ少しも届かず、吹きすさぶ風だけが背景音としてどこか寂しげな風景の一端を形作っていた。


「あっ、しまった」


 端末の前に座る茅乃が、こめかみに手のひらを当てる。「電波暗室シールドルームに入ったら、こっちとも通信できないんだった」

「大丈夫でしょう。それに、こっちはこっちでやることがあるし」


 茅乃は少し考えてアメノに幾つかの指令を出したが、この状況で出来ることは他に無いと判断したのか、立ち上がって膝に付いた砂を払った。


「うん、先に行きましょう。そろそろ追っ手も来そうだし」

「もう来てる」


 イコナの言葉に、茅乃はハッとしてその視線の先を追う。


 校舎内からの階段の出口に、一人。男子学生だ。

 染められた茶色の短髪に、白衣をジャケットのように着こなしている。

 識別子、ミシェル・アーバイン。


「一人?」「一人」「ドールは?」「確認できないわ。イコナ、注意して」


 ミシェルはイコナ達の姿を確認すると、一直線に走り出す。


 奇襲だ。

 イコナは冷静に、かつ素早くナナを戦闘起動し、パッチを流し込んだ。大きな二つの砲輪を携えた50ミリ33口径カノン砲が、ナナの前に姿を現す。


 二人の距離が、一気に詰まる。

 ところが、ミシェルはまだドールを取り出さない。


「一体、何を考えて……撃て!」


 カノン砲が火を噴く。

 音に等しい速度で、手のひら大の砲弾が空を切って進む。


 ミシェルは眼前に迫るそれを──いとも容易く、右腕で弾いた。


「う、嘘でしょう!?」茅乃が驚愕する。

 素手で電脳攻撃を防ぐなど、聞いたことがない。

「チッ」


 イコナがナナを回収すべく、地面を蹴った。


 が、遅すぎた。


 ミシェルの原始的かつ強力な一撃、がナナの体躯を捕らえる。


「ナナ!」


 金属同士が複雑にぶつかり合う嫌な音を立てて、ナナは宙を舞い、屋上の床を転げまわった。


電脳抗争ドールズウォーに……クロノドールが必要なんて、誰が決めたんだ?」


 勝ち誇った顔のミシェルが、膝を付くイコナを見下ろして、白衣の袖をめくってみせる。両腕に付いていたのは抗争の戦闘員が付ける補助端末とは全く異なる大きな外装。


 イコナは、その正体を一瞬で見破った。


「ドール……まさか、ドールの機構をそのまま、両腕に」

「ご名答。オレの腕そのものが──」


 ミシェルが腕を振り上げる。イコナは身体を翻して飛び退き、屋上の床面に突き刺さる一撃をかろうじてかわした。

「兵器ってわけさ」


 階下で何かが崩れるような大きな音がした。

 恐らく、本隊が居る一階だ。


「あいつらも始めたようだ。こっちも行くぞ!!」


 ミシェルが拳を打ち鳴らし、襲い掛かる。

 イコナの頬を、冷たい汗が一筋、流れて落ちた。




 聴覚が真っ白になりそうな凄まじいノイズ音が鳴り響く。

 王楼生二十名を背中に受けて、ミネットの展開した特製特大防護壁が、ポセイドン改の恐るべきエネルギー照射を真正面から弾いていた。


 普通なら拠点攻略の要として使うリソースの塊を、余すことなく防御に注いだ、ミネット謹製の大出力バリアである。


 そのバリアが全ての力を使い切る前に、ポセイドン改の四秒間(彼女たちは知る由もないが、二倍の時間になっていた)の照射が終わる。


 安堵のため息を漏らす王楼生たち。しかし、それを束の間のものと知る。


「フフン、なかなかやるネ。ま、リサーチ済みだケド」


 ステラは重機ユンボの上から腕組をしたまま不敵な笑みを浮かべ、王楼生たちを見下ろしている。


「クロダ!」


 スーツの上に白衣を羽織った長身の男性が、ぬるりと姿を現す。

 黒髪のオールバック、ARグラスを兼ねる四角い眼鏡は、見るからに理知的で落ち着いた印象を与えている。


 彼がポセイドン改に備え付けられた赤いレバーを引くと、使い終わった大容量メモリータンクがまるで薬莢のようにガコンと排出され、次の弾が装填された。


 ミネットはヒナギクに、二本目のメモリーを差す。

 先の結果を見る限り、彼女のバリアにはポセイドン改を防ぎきる力があった。


 が、それはリソースが無尽蔵であればの話だ。バリアの展開中にパッチを差し替えることはできないし、メモリースティックの残り本数が即ち王楼学院の寿命である。


「真鈴さん……バリアはあと二本しかありません」


 ミネットは、敵側に困窮がバレるのも厭わず、その事実を告げる。

 少なくともポセイドン改にそれ以上の残弾があることに疑う余地はなかった。


「それまでに、作戦を」

「……現れた窓から通信が飛ばせた。イコナと茅乃に救援を要請している」


 そう告げる真鈴の表情は固い。

 、そんな言葉は意味がなかった。

 要請が通じたなら、リアクションがあるはずだ。そうでないということは、イコナ達がそう出来ない状況にある。


 ミネットは言葉を返さず、力なく微笑んでバリアを展開しなおした。


 ポセイドン改の二波目が迫る。


 再び劈くような音が電波暗室シールドルーム中を支配し、飛び散った藍色の光線が白い壁を染め上げた。

 永遠にも感じる、四秒間。たっぷりとNリソースが注ぎ込まれ、突然、静寂が再び舞い降りる。


「じゃあ、これで残り一発ネ。こちらは後いくつだったカシラ? クロダ」

「四十二発分です」


 クロダが淡々と答える。

 眼鏡に人差し指と中指を添えて直し、もう片方の手でレバーを引いた。薬莢がはじき出され、中庭の地面に転がる。


 ミネットはヒナギクのバリアを差し替えた。

 恐らく、最後の一撃だろう。王楼生たちがドールを取り出して、身構える。


「ふうん……なんだか、まだ諦めてないって様子ネ。ええと、なんだったカシラ……マウスがキャットを」

「窮鼠猫を噛む、ですか」

「Yes,まさに、そんな表情ネ」


 ステラは流し目で左腕の端末に目を通すと、口元を残酷に緩める。

 そして真鈴の方を向き、彼女にも見えるよう、ホログラムのディスプレイを展開した。


「アナタが頼りにしているのは? ドール、破壊されちゃったみたいだケド」


 そこには、戦闘不能となったナナを抱え真っ青な顔をしたイコナと、果敢に体を張って敵の猛攻を弾く茅乃の姿が映っていた。

 王楼学院に、どよめきが走る。


「フフッ、その表情、なかなかいいカンジ、ネ!」


 ステラが右手を天に掲げ、ポセイドン改が青い光を放出する。




 アメノの体から蜘蛛の糸のように無数のワイヤーが射出され、壁・フェンス・床、あらゆる場所に電子罠を張り巡らせた。

 屋上は中央こそ広めに空いていたが、積み上げられた資材は簡単な迷路を形成しており、それが彼女たちの延命に一躍買っていた。


 が、対抗手段は皆無だ。

 ミシェルは多重に張られた電子罠をもろともせず、腕の一振りで強引に除去し、突き進んでくる。


「チッ、ちょこまかと……」

「ったく、とんでもないわね。対戦車機雷でも作っておくべきだったかしら」


 懐中時計クロノドールには様々な制約があるが、その主たるものは機動力に因るものである。

 後部のバーニアで自由な飛翔を可能とするには装甲を薄くせざるを得ないため、対ドール兵器もそれに応じた威力を持てば良い。


 ところが、自分で機動する必要が無いとなれば根本からその前提は覆る。装

 甲は持ち運べるギリギリまで厚くなり、余ったリソースは全て火力に割かれるだろう。ドールの脆弱な装甲を想定した通常兵器では、到底敵うはずもない。


 結論から言えば、茅乃に対抗手段はない。

 が、その言葉を彼女は飲み込む。


「イコナ、ナナの調子は?」

「……ダメ。コアをやられたわけではないから、修理すればいいけど……応急処置の範囲はとっくに超えている」


 イコナは下唇をぎゅっと噛み締めた。

 それは悔いているようにも悔しがっているようにも見えたし、相棒を壊された悲しみにも、彼女を渦巻く研究任務の重圧にも、茅乃には見えた。


 吹きすさぶ冷たい風が、二人を取り囲む。茅乃は、イコナの頭にそっと手のひらを添えた。


「大丈夫よ、イコナ。あたしが守ってあげるから」


 アメノが再び罠を展開した。


 対抗手段はない。しかし、勝機がないとは言っていない。


『こっちよ』


 くぐもった茅乃の声が、乾いた宙空に響いた。

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