第20話

 辺りを、漏出した青い粒子が漂う。


 ボロボロになったオーキスを抱え、織人はイコナに背を向けた。

 コアこそ無事のようだが、今の東京では完全に修理するのは難しいだろう。


「織人……どうして」

「……」


 彼は何も答えない。


 聞きたいことは一杯あった。何故、シールドバスを壊したのか。何故、彼女たちの行方を遮ったのか。何故、黒いドールを持って──この東京で、何をしているのか。


「ねえ」


 イコナは彼の腕を掴む。彼は一言、


「話せない」


 イコナはハッとする。

 彼女がそうだったように、彼もまた、話すことの出来ない事情を抱えている。

 ──それはきっと、イコナの任務と相反するものなのだろう。本来なら、手負いの彼をここで仕留めるべきだ。


 否、誰が出来ようか。

 彼は身を挺してイコナを守ったのだ。イコナが茅乃にそうしたように。


 織人はするりとイコナの手をほどいた。


「〈グングニル〉を追っている」

「グングニル……?」


 織人は振り返った。

 彼は、今まで決して見せたことのない悲しげな表情で、イコナのことをじっと見て、小さな声で告げる。


「聖櫃をに渡すな」


 足音が、静まった灰色の街に響く。


 イコナはそのまま、彼の姿が瓦礫の影に見えなくなるまで、ただ無言で立ち尽くして見送った。


────────────────────────────────────────


 シャトルバスは羽黒区へと突入した。


 先日発掘を行った中沢新地を隔てて更に東、王楼学院生にとっては前人未到の地である。


 領域を侵犯された王楼学院と、面子を潰された南陽学院はその翌日ほぼ同時刻に宣戦布告し、電脳抗争ドールズウォーが成立した。

 茅乃の事前調査によれば南陽学院はそもそも喧嘩を吹っかけては返り討ちにし勢力を拡大してきた好戦的な学院で、今回の招待も罠である可能性が高いという。


 しかし、衝突は避けられない相手である。

 中沢新地での激闘の末、ガソリンスタンドに蓄えられていたNリソースは三分の二が消費及び流れ弾によって漏出してしまっていた。

 今後もこういう邪魔が頻繁に入っては、発掘作業もままならない。


 それに、戦う理由はもう一つあった。


「それが……ウワサの『聖櫃』ですか?」


 ミネットがイコナのボストンバッグを指差して言う。


 宣戦布告した後、差出人不明のメールがイコナに届いた。

 本文はなく、タイトルに『南陽学院に聖櫃を運べ』とだけ書かれている。


 これが到着日に一度きり連絡を寄越したと同一人物である確証はない。いや、低いと言っていいだろう。

 しかし任務に関して一切の進捗がない今、差出人が誰であろうと関係はなかった。仮に敵対勢力の罠だとして、それは即ち研究所を破壊した真犯人への手がかりに繋がるからだ。


 そういうわけでイコナはコインロッカー──真鈴が気を利かせて貸してくれていた──からボストンバッグを取り出し、今回の任務に持ち運ぶことになった。

 動きは大分制限されるが、その代わり空いたスペースには予備のNリソースが敷き詰められている。


「差し支えなければでいいんですけど、その中には一体何が?」

「さあ。ロックが掛かってるから」


 イコナはボストンバッグのジッパーを開け、黒い防磁合金板に覆われた箱を見せる。


「あら? その型なら……これでどうかしら」


 ミネットが端末を弄った後、聖櫃の上に手をかざした。

 すると、パチン、と何かが弾けた音がして、ロック状態を表す赤色のLEDランプが緑色に変わる。

 イコナはびっくりしてミネットの顔を見た。


「貴女、どうやって──」

「あら。だってこれ、明北ウチ製品ロックですもの」


 彼女は無垢に微笑んだ。

 世にも強固なハードウェアロックのはずが、こんな所にマスターキーが居たとは。


 イコナは息を呑む。

 確かに──中を見てはいけないという命令は課せられていない。もっとも、見た所でそれが何かを知ることは難しいだろう。


 恐る恐る箱の蓋を開けると、中には小さな筒状の電子端末が入っていた。


 大きさはドールより二周り小さい程度で、上部に電源ボタンらしきスイッチ、下部に複数のアダプター差込口が付いている。

 あとは全面を艶のある灰色のプラスチックが覆っており、液晶や説明書きの類はない。


「これは……」

「コンバータの一種でしょうか。信号変換機シグナルコンバータ


 イコナにも、同じ予想が付いた。

 特殊に暗号化された信号を元に戻し、通信するための機器だ。


 しかし、それを何に使う? 研究所の庭であるトーキョーネットの中で、そんなものは必要ないはずだ。


 つまり、それはトーキョーネットの管轄にある「何か」との通信──。

〈グングニル〉。ふとその単語が彼女の脳裏に浮かび、まさか、とかき消す。



「イコナ」


 突然、一つ前の席に座っていた真鈴が立ち上がり、イコナに話しかける。

 彼女はさっと変換機を聖櫃の中に滑り込ませ、ボストンバッグの口を閉めた。


着用端末ウェアラブルメディアのメンテナンスはできるか?」

「ええ、できますけど」

「それは良かった。彼女の調整をしてくれないか」


 そう言って真鈴は、隣に座っていた女生徒を紹介する。

 青みがかった暗い灰色の髪。日焼けした褐色の肌。背は高く、痩身ながら筋肉質な体。一目見て、アスリートと分かる。


斎 恵理いしき えりだ。普段は私がやるんだが……少し茅乃と話すことがあってな」

「分かりました」


 真鈴は満足げに頷いて、席を移動する。

 その空いた席にイコナが座り、恵理の頭部と右腕に付いた端末を預かった。


「あっ、と……宜しくお願いします」


 恵理が挨拶する。

 上級生のはずだが、何故か敬語である。


「ドールはどこですか?」

「いや、ドールは……なくて」

「えっ、でも……この端末は戦闘員のものじゃ。それに──」


「ああ、スマンスマン」

 茅乃を連れてきた真鈴が通りがかりに補足する。「彼女は、それでいいんだ。補給部隊だから」

「補給部隊?」

「あれ、見たことない? イコナ」


 茅乃が口を挟む。ご高説モードだ。

「スナイパーや通信班みたいに自分達のドールで手一杯な部隊に帯同して、リソースやグレネードを届けるの。抗争中ずっと前線を走り回るのよ」

「ふうん……」


 つまり、運び屋だ。

 期せずしてイコナと彼女は同じ境遇なのである。


 シャトルバスがトンネルに突入する。

 真鈴たちは最後のブリーフィングを行い、イコナは恵理の端末を作戦に沿って一つずつ丁寧に最適化した。勝手なシンパシーから、少しの手心を加えて。




 南陽学院の建物は前の二つと比べて簡素で無骨なデザインの、どちらかというと研究所に近い風貌だった。


 塀は高く、有刺鉄線が張ってある。

 電子ロックの玄関は窓口もないシンプルな作りで、微かな消毒剤の匂いがまるで魔除けのように漂っている。


「王楼学院、安城真鈴だ」

「……どうぞ」


 短い返答の後、扉が開く。

 建物の中は薄暗い。


「他に入り口がないか、イコナと茅乃で外周を回れ。他は私と共に、分かれ道を見つけ次第分隊化する。質問は?」


 生徒達は無言で頷く。

 真鈴はそれを先導し、学園の校舎へと足を踏み入れた。

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