第19話
「……織人、伏せ──」
そう言いかけた瞬間、遠方から一筋の光線が彼女たちの頭上を掠めた。空気の振動する音が、耳のすぐそばで鳴り響く。
「い、一体何が?」
「その乗用車の裏に、早く!」
二人は身をかがめ、ガソリンスタンドに打ち棄てられた車両の陰に身を隠す。
イコナはサイドミラーをへし折って、攻撃の来た方向を見た。
およそ300メートル向こうに、学院の生徒と思われる一団。
丈の長い白衣に紫色のベスト。この特徴的な格好は国立研究所と提携した学院機関『南陽学院』の物だと一目でわかるが、日の浅い彼女たちに知る由もなかった。
「織人、ARグラスは?」
「一応、これが」
織人が自分の眼鏡のフレームに手を添える。
良く見れば内側に網膜照射用のマイクロデバイスが装着されていた。
「わかった。もうすぐ茅乃たちが来ると思うから、絶対後ろを離れないで」
「あ、ああ」
織人は、丸腰だ。
違法に改造されたドールたちの攻撃は、ドールでなければ防げない。
……私が守らなければ。
イコナはメモリスティックをぎゅっと握り締め、ナナに差し込む。
第二波の攻撃。
真っ直ぐ、車両を狙ってきた。
ナナが明北製の大シールドを展開する。眩い光が虚空に弾けた。
「わっ」
「光を直接見ないで」
赤と青の遠距離ビーム砲。
電磁波の飛び交う荒れた街中でも真っ直ぐ減衰せずに飛んでくる恐るべき高出力だが、明北のシールドは打ち破られないようだ。
燃費の悪さは気になるが、援軍までは持つだろう。
攻撃が通用しないと知ったか、ビームの照射が突然、止む。
片耳に付けたインカムから、風の音と電気回路のノイズと共に、幼い少女の声がした。通信回路が無理矢理開かれたようだ。
『ドコ製のシールド? ナカナカやるネ』
聞いたことのない、イギリス訛り。
「貴女は誰?」
『仕方ないネ。我ラがポセイドンの餌食になりナ!』
噛み合わない会話は強制的に遮断され、南陽学院のシールドバスから巨大な砲塔が姿を現す。
彼女がポセイドンと呼んだ兵器だろうか。
無数のチューブとチップに覆われた禍々しい銃身に、Nリソースの青い光が宿る。ドールの姿は見えなかった。
音も無く、濃紺の稲妻が走る。
たった二秒の照射が、ナナの構えた二枚のシールドを粉々に弾き飛ばした。
鼓膜に突き刺さるような高音に、思わず織人が顔をしかめる。
次弾の装填に、再びポセイドンの銃身が輝き始めた。
イコナは素早くナナのメモリースティックを換装し、次のシールドを張る。が、ジリ貧だ。成す術も無い。
「織人、逃げて。あと二発しか耐えられない」
「で、でも……」
「やることがあるんでしょう。あなたが巻き込まれる必要はない」
「やることがあるのは、お前もだろう! イコナ」
飛び散る青い光。
砕けるシールド。
黒ずむメモリースティック。
残るは、あと一回。
と、その時だった。
後方から
ヘルメットのような、流線型の頭部。
強化プラスチックを剥き出した、漆黒のボディ。
機能美と言うに相応しい戦闘特化フォルムのそのドールは──二度に渡ってイコナとナナの行く手を阻んだ〈
イコナは慌てて後ろを振り向く。
が、そこに
ただ一人、七色に輝くARグラスを携え、金色の大容量メモリースティックを水平に構える、常盤木 織人以外には。
「嘘……でしょう」
「オーキス、アクセプター!」
メモリーが煌き、オーキスの背部に刺さった黒いメモリーが呼応する。
空間に滲み出るように現れた無数のポリゴンが、寄り集まって巨大な砲塔を形成した。それはまさに今、彼らに突きつけられている南陽学院のポセイドンそのもの、いや、そのコピーであった。
常盤木 織人。
遠隔のパッチをコピーし、自分のドールに適用できる能力である。
当然他者のパッチは適合しないが、オーキスの持つアクセプターがその性能を90%まで引き出す。
腕時計に見えた左腕の端末が、ドールとの主通信端末らしい。
南陽学院のポセイドンが充填を終え、三撃目を発射する。
「撃て!!」
オーキスのポセイドンが火を噴いた。
鉄製の刀剣で高圧電流の有刺鉄線を叩き切ったような、物凄まじい電撃音が大気を震わせる。
二本の深い藍色の光線が、虚空でぶつかり、紫色の爆風を散らした。
仮想現実のものとは思えない衝撃が振動装置を通して、滅びた町並みを揺さぶる。
すぐさまお互いのポセイドンが次弾を装填し、撃ち合いが始まった。
空中で弾けるNリソースの塊があたりに撒き散らされ、朽ちたはずの施設や車両をほんのりと青く染めていく。
「織人!!」
イコナは叫ぶ。
忙しく手元の端末を操作しながら、額に汗をにじませる織人が、目の端でイコナを見やる。
「イコナ……僕のポシェットに、コンバータが入ってる」
「えっ、何?」
「ポシェットだ。それで、ガソリンスタンドのリソースを……」
イコナは織人の腰についたポシェットをまさぐり、そこから白い筒状の機器を取り出す。
「あった……これね?」
織人は答えない。
高い負荷が掛かっているのだろう、オーキスも、織人も少しずつダメージを受けている。リソースも垂れ流しているはずだ。
長くは持たない。
ガソリンスタンドの備え付け端末からケーブルを引き抜き、筒の片方に差し込んだ。もう片方は……決まっている。ナナに直流接続だ。
メンテナンス時に使う直流モードに切り替え、背面の端子口にコンバータの先を繋げる。
その瞬間、物凄い量のリソースがケーブルを流れ始めた。
イコナの指先が宙を舞う。
とめどなく湧き出る命の源が、無数の電子記号へと姿を変え、仮想現実の万物を構成する細かな粒子になっていく。
そこに形作られるのは、二本のレールを砲身に持つ拠点兵器。
「織人、どいて!」
「……っ!!」
織人がオーキスを抱え、その身を伏せる。迫り来るポセイドンの牙。
レールに仕込まれた無数の電極が一斉に反転した。
白銀の弾丸が空気の層を焦がすように滑り、一直線にポセイドンの稲妻を貫通する。その勢いは全く揺らぐことなく、三重の衝撃波を置き去りにし、南陽学院のシールドバスごとその凶悪な砲塔を打ち抜いた。
遅れて、爆発音。
たった一瞬の出来事だった。
パチパチと、処理限界より遥かに速く干渉された電子空間が音を立てて歪む。
南陽学院の生徒達はしばらく呆然としていたが、リーダーらしき白衣の女性が踵を返すのを合図に、全員シールドバスへと戻って去っていった。
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