第二章 白木院学園

第11話

 午前五時。


 イコナは目を覚ます。

 寝袋から這い出て、自分が他の王楼生と共に明北学院の寮に泊まったことを思い出す。隣には間抜けな寝顔の茅乃が、アメノを大事そうに抱えていた。


 遠くの方で、何か音がする。

 不規則な周期で、分厚い鉄板を繰り返し叩くような鈍い音。近隣の住民……というわけでもないだろう。嫌な胸騒ぎがする。


 彼女は眼鏡タイプのARグラスを装着し、スリープ状態のナナを掴んでそっと部屋を抜ける。


 乱暴に羽織ったコートが、冷たい夜明け前の風をかろうじて防いでくれた。



 音を頼りに構内をさ迷い、イコナは北東の駐車場へと行き着く。

 敷地の一部が見えたところで、金属片の剥がれ落ちる大きな音が響き、それきり音はしなくなった。


 塀に体を沿わせながら、そっと様子を見る。


 おぼろげに光る電灯の下、そこには無残に壊された六人乗りのシールドバス──イコナに譲渡されるはずだったものだ──と、その上にひっそりと佇む真っ黒なドールの姿があった。


(何者──!?)


 イコナの指の動きに呼応して、起動済みのナナが素早くミサイルを放つ。


 攻撃に気付いた黒いドールは、恐るべき反応速度でバリアを展開した。

 ミサイルが命中して眩い光が二回瞬いた。破裂すると周囲に特殊な電磁パルスを拡散する特別製の波動ミサイルだ。素人の単純防壁では防げない。


 が、黒いドールは無傷だった。いや、それどころか、バリアさえ打ち破れていない。


 そのバリアの構築パターンに、イコナは見覚えがあった。


「あれは、明北学院の……? でも、こんなドールは見た覚えが……」


 追撃を待たず、黒いドールは闇に溶け込むようにして去って行った。

 その後ろで確かに人影が動いたのを、イコナは見逃さなかった。




 朝方になり、現場の検証が行われる。


「こっ、これは……派手にやられましたね」


 ミネットは信じられない様子で口を押さえた。


 先に中に乗り込んで細かい状態を調べていた茅乃が、スモークガラス越しにかぶりを振り、殴打されて歪んだ扉を開ける。


「ダメみたい。中の回路も滅茶苦茶だし、外装も稼動に必要な配線の近くだけ狙われて壊されてる。プロの仕事ね」

「イ、イコナさん……確かにそのバリアは明北学院の物でしたか?」ミネットがおどおどしながら尋ねる。


 イコナは頷く。


「ええ。校章こそ確認できなかったけど」

「わかりました……盗難されたものが無いか|、識別番号シリアルを洗ってみます」

亡霊ゴースト……」


 茅乃が、ぽつりと呟く。


「え?」

「い、いいえ。なんでもないわ。ほら、バスが来た」


 四台のシャトルバスが、彼女たちの居る駐車場へと到着する。内一台は王楼学院のものだ。

 各校の生徒達が、ぞろぞろとバスの中に飲み込まれていく。


「じゃあ、ミネットはこちらへ」


 茅乃に促され、ミネットが王楼学院のシャトルバスへと向かう。そこに、タクマが駆け寄ってくる。


「ミネット!」

「タクマ君……」


 不安げな顔のミネットに、タクマは励ますような笑みを見せる。


「そんな顔するな、ミネット。しばしの別れさ」そう言って彼は、ポケットから橙色のメモリースティックを取り出し、ミネットに手渡す。


「東京を頼む」

「……はい。お元気で」


 二人はお互いに手を振り、タクマが小走りでバスに乗り込む。三台分の重低音を響かせて、明北のバスが遠くへ走り去っていく。


「彼らはどこへ?」と真鈴。

「名古屋に……明北系列の分校があるんです。先に避難した生徒も、皆そこに」


 Nリソースを失えば、学院の維持は出来なくなる。東京が再び復興するまで、この明北学院もあまねく廃墟のうち一つとして埋もれていくだろう。


 王楼のバスに全ての生徒と、新たに加わったミネットが乗り、朝日の差す丘を後にする。




「次はどこに行くんです? 先輩」


 茅乃が聞く。

 小競り合いを起こしていた明北とは決着が付き、資源もたんまり手に入れたことで王楼学院には一時の平和が訪れた。


 が、まだ解決していない問題がある。


「それなんだがな。ミネット、あのシールドバスはどこで手に入れた?」

「えっ? ええと……丁度災厄の一ヶ月前に、白木院さんから研究目的で買い取ったものです」

「やはりな。あの型のシールドバスは量産品の改造ではなく、特注で生産されたものだ。名門明北とはいえ、専用に発注するにしては少々値が張る」


 茅乃がなるほど、と手を叩く。


「すると、次は……」

「ああ。白木院女学園だ」


 茅乃はイコナの顔色を伺うが、特に無表情で窓の外の景色を眺めていたのを見て、ほっと胸をなでおろす。


 イコナとしても、シールドバスの再入手は必須事項だった。

 それにしても、気がかりはあの黒いドールである。何が目的で、何故あのシールドバスを、何故あのタイミングで──。



 王楼学院に帰着したチーム一同はすぐさま補給と修理、そして次の戦闘に向けてのパッチ作成を開始した。

 先の戦闘で着用端末ウェアラブルメディアやドールを失った数名は、非戦闘員としての研修を受けるか、ARグラスのみ確保して特殊任務のチームに参加するか、或いは東京を去るために神妙な面持ちで荷物を纏めている。


 ホールの端では真鈴と茅乃率いる情報班、そして幹部待遇のミネットが簡単なブリーフィングを行っていた。


 白木院女学園。

 日本でも有数のお嬢様学校であり、財界の令嬢なども多く通う女学院である。電脳工学では数年前まで無名だったが、現生徒会長の学院理事長の娘、源光寺げんこうじ 静紅しずくが入学してからは学内改革の実施と関連研究機関への積極的な投資が行われ、三年で都内有数レベルまで成長した。


 東京が荒廃してからも継続した資金援助により、学園はおろか近隣の商店街までもが機能を維持したまま運営されているという噂だ。


「とはいえ、戦闘の可能性は低いだろう。チームを保持しているとは限らないし、我々のようにNリソースに貪欲なわけでもない」

「そう、ですね。わっ、私がシールドバスを頂いた時も、随分気前良く、安く譲って頂きましたし……」


 ミネットが緊張した様子で同意する。茅乃は作戦マップから目をそらさず、


「他の学院からの強襲を受ける可能性もあります。バスには十分なリソースを積んでおきましょう」

 と進言した。



 ロビーに隣接した一階更衣室では、イコナとフランがドールをメンテナンスしていた。明北での共闘以来、仲良くとまではいかないが奇妙な信頼関係が生まれている。


 ふと、イコナがロッカーに無造作に入れられた灰色の大きなメモリーボックス(ノートパソコン用のバッテリーのような形をしている)を指差し、

「それは?」と短く尋ねた。


 見た所、Nリソースのようだ。

 しかし長く使われている形跡はないし、大事な資源にしては扱いが乱暴すぎる。


「ん、休眠リソース。ちょっと特殊なロックがかかってて、掘り出したはいいけど、活動状態にするのに大量の電気を使うから意味ないの」

「ふうん……」


 イコナはそのうち一つを手にとってまじまじと眺め、ポシェットの中にしまいこむ。


「ちょっと。話聞いてた?」

「ええ。いらないんでしょう」

「あのね。持っていっても、使えないんだけど!」

「使えるかもしれない」


 イコナは嘲るように笑みを浮かべる。フランは猫が背中の毛を逆立たせるような表情をして、


「そんなわけが!」


 と言いながら自分のバッグにも休眠リソースを詰め込む。バチバチと、お互いの視線に火花が散った。奇妙な信頼関係である。


「準備は終わったか? そろそろバスを出すぞ」

「はあい」


 ボス猫に宥められて、二人は更衣室を後にする。




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