第6話
明け方、午前五時。
灰色の街にも日が昇る。
まるで時が止まったように静まり返った町並みを、一台の古いシャトルバスがしきりに身体を揺すりながら通り過ぎていく。車体に描かれた王楼学院の紋章は、偽装のため白いペンキで殆ど塗り潰されている。
簡潔な方針とチーム分け。
幾つかの作戦パターンと、判断を仰いで欲しい特殊ケースの羅列。
荒削りではあるがきちんと要点を抑えていて、軍人と違って練度の低い学生たちにも分かりやすく書かれており、イコナは少し感心した。
緩やかな丘を上りきると、複数の縦長立方体が立ち並ぶ、王楼より一回り大きな学院が姿を現した。
私立明北学院。電脳分野の国際的な人材を作るため設立された、東京でも有数の情報系学院である。
荘厳な装飾の施された門の前でシャトルバスは停止し、安城真鈴がバスガイド宜しくフロントガラスを背にする。イコナの隣で熟睡していた茅乃も、いつの間に臨戦態勢だ。
「学徒、注目!!」
ビリビリとした緊迫のある声がバスの中に響き渡る。
「我々は今、明北学院の校門前に居る。敵は既に我々を察知しているだろう。各員、ドールを起動状態にしてバスを降りるように。作戦は指示書の通り、変更はない。行くぞ!」
王楼学院、二十数名が一斉にバスを降り、明北学院の城壁のような塀に張り付く。
遠巻きに、学院内で鳴り響くサイレンの音が聞こえた。
真鈴の言うとおり、既にバレバレというわけだ。
塀の上から偵察とおぼしき小型のドールが二躯、顔を出した。
その一瞬を茅乃は見逃さない。
コンマ一秒でロックオンを済ませた二基のミサイルが、アメノの背部ランチャーから発射される。
塀の裏に逃げるように隠れたドールと、山なりにそれを追うミサイル。
ワンテンポ遅れて、乾いた破裂音が鳴る。
「やりました」茅乃が小さくガッツポーズ。
「良し。全隊、進め!」
真鈴の号令と共に、部隊が進撃を開始する。
裏門の柵を乗り越えて、イコナは中庭に降り立った。
辺りはがらんとしていて、
錆びた鉄製のベンチと枯れた花壇があるだけの、物寂しげな中庭だ。
イコナは念のためナナで周囲をスキャンし、事前情報の通り監視カメラが最も手薄な場所であることを確認した。
王楼学院が選択したのは、【浸透戦術】である。
鉄壁の防衛線を張る明北学院に対し、複数の部隊で揺さぶりをかけ、イコナのような突兵が奇襲をかけることで戦線を崩壊させる。
少数精鋭の王楼学院ならではの戦術だった。
イコナの背後でがさがさと音を立て、ストロベリーブロンドの少女が落ちてくる。
イコナとペアになった
本名を平等院・フランチェスカ・映子と言い、イコナと入れ違いで学院に転入してきたらしい。艶かしい色のゆるゆるふわふわな巻き毛を揺らし、ぶつぶつと不平を言いながらイコナの後ろに付く。
「あーもー、サイアク! よりによってこんなのと組まされて、それに何? この手入れも行き届いてないシケた中庭。あっ、泥付いちゃってるじゃない。
もー帰りたーい!」
無駄に流暢な日本語。
隠密行動もあったもんじゃない。
イコナはフランを半ば無視し、とりあえず身を隠せる場所まで移動した。
選択肢は三つ。
一つはこのまま突兵として明北本隊の裏を取る。一つは隠密行動を続け、明北学院の情報を収集、茅乃に送信する。一つは、そのまま本陣に乗り込み、中枢を奇襲する。
状況から言って、一番好ましいのは一つ目である。どちらにせよ、フランを連れて二つ目と三つ目をこなすのは無理だろう。
それに──。
もう彼女が敵に見つかっている。
「伏せろ!」
「えっ!?」
フランが伏せた……というより転んだに近いが、その頭上をライトグリーンの光弾が通り過ぎる。
敵のレーザー・ライフルだ。
素早くイコナのドール、ナナが発生源に対してパルス・レーザーを叩き込む。
小さな爆発音が鳴り、反撃が成功したことを知らせた。
「追撃が来る。逃げましょう」、イコナが諭す。
が、先程にも増して制服を泥まみれにしたフランの表情は、怒りに満ち満ちていた。
「もー……ゆ・る・さ・ん!! どこだ、出て来い!!」
「ちょ、ちょっと!」
フランがクロノドール〈アマンダ〉を起動する。右手には機関銃。左手にも機関銃。フランの両手にも、AR機関銃。
【フルアタッカー】。彼女に冠せられたシンプルかつ凶悪な異名である。
「うらあー!!」
四門の主砲から、暴風雨のような一斉射が発せられた。
文字通り弾で作られた幕が中庭の虚空を充たし、木々、草むら、校舎、あらゆるものに着弾して吸い込まれていく。
制止することを諦めたイコナは代わりに着弾先を注意深く観察し、草陰の数箇所で弾が吸い込まれずに弾かれた場所を見つけた。
(そこか!)
ナナの高出力レーザーライフルが、隠れていたドールをバリアごと粉砕した。
なるほど、真鈴がイコナとフランを組ませたのはこういう理由……ではないだろう。
一人、また一人とナナの一撃によって数を減らすも、明らかにそれ以上の勢いで援軍が張られている。
防衛線が構築されれば、イコナ達は役割を果たせないどころか、チーム全体が不利に陥るだろう。
「フラン、一回退きましょう」
「ああん? アンタ、なに人のこと呼び捨てにしてんのよ。タメだからってナメてんじゃ──」
「いいから」
イコナは強引にフランの口をふさぎ、来た方向へと戻ろうとする。
そこに突然、一人の青年が立ちふさがった。
藍色のブレザーにグレーズボンの制服。明北学院の男子生徒だ。
挨拶代わりに、ナナが自動ロックオンで一撃を放つ。
が、そのレーザーは届く寸前で掻き消えた。
青年は茶髪のツンツン頭に掛けられたARゴーグルを目の位置まで移動させ、啖呵を切る。
「ここを通すわけにはいかねえな」
赤い
イコナのコンタクトレンズ型ARグラスに、ドールの名〈アプル〉と、その
イコナはオートマチックモードのナナを引き戻し、アプルに対峙させる。
「げっ、こんな時にオトコ!?」フランが喚きたてる。
ドールがそもそも女性向けということもあるし、コミュニティが小さいので東京に残り続けるメリットが少ないからだ。
しかしその分、残っている男子生徒は強く、知識も深い。
「覚悟はできたか? じゃあ、行くぜ」
自信に満ち溢れたその指先がくいっと動き、アプルが呼応するように宙を滑り出した。
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