第2話


(どうなってるのよ、東京ここは)


 イコナはひとりごちて、両手を上にあげた。

 集団は照準を彼女に合わせ、じりじりと近づいてくる。


 その距離が数メートルまで迫ったとき、ふと、先頭に立つショートボブの少女が歩みを止めた。


「……? 待って、アメノ」


 少女はドールを制止し、ゴーグルタイプのARグラスを外す。

 その顔と声に、イコナは聞き覚えがあった。


「……茅乃かやの?」

「イコナ!」


 茅乃と呼ばれた少女がイコナに駆け寄る。

 すらりとしたシルエットの白い軍服のような制服。十文字に牡丹の花が描かれたワッペンは、私立王楼学院の校章だ。


 茅乃は、ぎゅっとイコナの手を握り、人懐っこい笑顔を見せる。

 同じ衣装に身を包んだ後ろの一団は顔を見合わせながらも、それが交戦中の敵ではないことを察すると静かに銃口を下ろした。



 幼馴染・浦瀬茅乃うらせかやのとは約二年ぶりだった。


 中等部の二年生から三年生へと昇級する際、茅乃は王楼学院に留まり、イコナは海外の研究所へ発ったのだ。

 年齢の割りに幼く愛嬌のある顔も、日本人形のように黒くて繊細な髪も、一緒に歩けば姉妹と見紛われる低い背丈も変わらないままだったが、その落ち着いた佇まいはどこか以前と違っている。


 聞くまでも無い。全てを変えたのは、三ヶ月前。災厄と呼ばれる、あの日からだ。




 電脳都市、東京。


 記録的な震災からの復興も束の間、最新鋭のロボット産業が齎した未曾有の好景気に後押しされ、世界中の最先端技術を集結して生まれ変わった実験都市の別称である。都市機能の九割を電脳に直結することで、あらゆる生活基盤の電子的制御を実現させたのだ。


 インターネットという旧来の概念は消滅し、代わりに独自に築かれた大規模拠点分散型ネットワーク「トーキョーネット」が人々の中心となった。

 そこでは公共交通機関、信号機や街路樹、住宅や家電、玩具に至るまで全てのものがネットワークに接続され、全ての住民が無料でそれらのサービスを享受することが出来た。


 かくして電脳都市東京は世界中から注目を浴びることとなる。

 その箱庭の中は少年の夢か成金の妄想を形にするかのように、次々と新しい技術や概念が発明・実験され、運用されていった。


 高度なAIを搭載した自律駆動ロボット。現実世界と融合したAR──仮想空間。筐体から解放されたホログラムディスプレイ。車は空を飛び、言語の垣根もなくなった。世界中の投資家から湯水のように湧き出る潤沢な資金を用いて、人類史にも刻まれる目覚しい技術進歩がこの都市を中心に行われた。


 しかし、栄光は長くは続かなかった。


 その日、どこからか発せられた天を裂くような轟音と共に、突如トーキョーネットは全ての機能を停止した。

 プログラム上の欠陥とも外部からのハッキングとも噂されたが、技術者達の努力の甲斐なく一切の原因は不明。何度システムを再起動しても復旧の見通しは立たず、電気、ガス、水道、全ての都市機能を失った東京から人々は脱兎の如く逃げ始めた。


 政府中枢が名古屋に移され、三回目の疎開トラックが町を巡り終わった頃には、この地は置き去りにされた夢の跡、広大な廃墟と化していた。


 かくして電脳都市東京の栄華は、瞬く間に幕を閉じることとなったのである。


 それから、三ヶ月。




 茅乃はイコナを王楼学院の駐屯地へと案内する。

 お互いに聞きたいことは山ほどあったが、世間話をする空気ではなかった。

 いつ他の学院が襲ってくるかわからないし、茅乃以外の王楼学徒達は、まだイコナのことを強く警戒していた。


 風化したビルの立ち並ぶ薄暗い裏路地の先に、駐屯地はあった。

 平時なら年頃の少女は決して近づかないであろう、陰鬱な雰囲気の路地。入り口は分かりづらく偽装され、その影には緊張した面持ちの番兵が二人、控えていた。


 イコナは茅乃に従うまま、その奥へと進む。


 王楼生の刺すような視線を、四方から感じた。

 茅乃がその横に居なければ、いつ身ぐるみを剥がされてもおかしくない。

 何人かは元同級生のイコナを認識したようだったが、いずれもこの空気で話しかけられるほどの勇気を持った者は居なかった。


 曲がりくねった路地を進んだ先、戦略室と小さなテープ書きがされた白い仮設テントの前で、一行は歩みを止めた。


 地図を広げて次の作戦を検討していたのは、肩先まで伸びたウェーブのかかった赤茶色の髪と、すらりと伸びた長い脚が印象的な長身の女性だった。

 一番大きいサイズの制服を着こなし、他の生徒達に冷静な指示を飛ばす様子は、イコナと茅乃より一つか二つ先輩といった風格である。


 茅乃が歩み寄り、彼女に耳打ちする。こうして並べると、親と子ほどの体格差だ。


 彼女は「そうか」と小さく頷いてイコナの方を見やり、会議を中断して歩み寄ってきた。


安城真鈴あんじょうますずだ。宜しく」、そう言って彼女は右手を差し出す。

「……神月イコナです」


 イコナが握手を返す。

 予想以上にがっちりした彼女の手に、イコナは少し驚く。


「バレーボールをやっていてな。まあ、この有様で久しく出来ていないが」


 真鈴は小さく笑い、イコナの目を見据える。きりりとした芯の強い瞳だ。茅乃は何も説明しなかったが、この一団のリーダーといった所だろう。


 真鈴はふと、イコナのボストンバッグに挟まれたナナを注視する。


「ドールを使えるのか?」


 その一言を待ってましたと言わんばかりに、茅乃が勢いよく食いつく。


「そうなんです、先輩! 是非イコナをチームに!」

「ほう、お前がそこまで推すか」と彼女は面白そうに笑みを浮かべる。「確かに即戦力はいくらでも欲しいが……〈電脳戦争ドールズウォー〉は情報戦でもある。この神月がスパイでないという確証は?」

「勿論! だってイコナは──」


「ちょっと待って」


 盛り上がる二人に、イコナが口を挟む。


「残念だけど……私、行かなきゃいけない所があるの。ここには留まれない」

「ええっ」


 茅乃はびっくりしてイコナを見る。

 まさか断られるとは思っていなかった様子だ。


 いや、彼女の反応は正しい。

 二年前の別れの前にはどこに行くのも一緒だったし、共に懐中時計を扱う親友として切磋琢磨した仲だ。有事でさえなければ、王楼学院のために一肌脱ぐのもやぶさかではなかっただろう。


 しかし、今は状況が違う。


「行かないといけない所って、どこ? イコナ」


 イコナは少し迷ったが、大まかな目的地を茅乃に伝えた。

 すると、茅乃と真鈴が共に困ったような苦い顔をする。


「そこに行くには、複数の学院管轄区を真っ直ぐ突破しないと駄目だ」

 真鈴が告げる。

「学院管轄区?」

「ええ。今の東京は──分割されてそれぞれ有力な学院の統治下にあるの。それぞれの縄張りに、他の学院は立ち入れない。施設の利用や、資源の回収も」


 茅乃はそう伝えたあと、良い案を閃いたとばかりに手を叩く。


「じゃあ、こうしましょう。イコナはあたし達を手伝う。あたし達は勢力を広めて、イコナが目的地に辿り着けるようにする。どう?」


 茅乃は目を輝かせて言うが、イコナは浮かない顔である。


「折角だけど……自分で何とかするから」


 茅乃は頑なに拒むイコナにむっとして、

「イコナ、王楼学院を見捨てるつもり? あなただって元生徒なのよ。大切な用事かもしれないけど、研究所の仕事なんて後ででもいいじゃない」


 その一言が、今度はイコナの琴線に触れる。


 彼女にとってその任務がどれほど大切かは言うに及ばない。

 それに、茅乃たちの『抗争』は自分が必死に救おうとしている東京を、まるで玩具オモチャにしているかのように、彼女は感じていた。


「東京にはね、遊びに来たわけじゃないの」


 茅乃の表情が強張り、ただでさえ大きな瞳がもっと大きく見開かれる。


「遊び? 遊びだなんて! あたし達は」

「やめておけ」


 真鈴が諌める。が、イコナはお構いなしに、

「遊びでしょう。大体、ドールをあんな危険な形に改造するなんて。平時ならよ」


 茅乃はハッとして、黙り込んでしまう。

 真鈴はかぶりを振って、パイプ椅子に深く腰掛けた。


「見送ってやれ」


 イコナは少しの間茅乃を見つめていたが、それ以上の言葉を期待できないと悟ると、無言で踵を返した。

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